2008年08月26日

北京オリンピックの話題■本当は怖い、努力主義?

 オモテの話題が面白いか、それともウラの話題か?

 ニューヒーローの誕生を阻むような出来事については、日常茶飯事だから書くまでもないことか。
 しかし、金メダルを取った後の柔道家の内芝正人のバカ親ぶりは、ヨソでやってくれといいたくなりましたね。
 公私をわきまえぬ態度で、何が家族愛か。

 他に、父子鷹や兄弟選手の話題は、私は好きではない。どこかローカルな場所で放映してくれ、といいたいですね。


 オリンピックで金メダルを取った選手を見ると、がんばろうという気持ちになる人が多いと思いますが、実は、これがすごく危険な行為であることがわかりました。
 劣悪な環境から脱出しようと努力しても、その環境ゆえに足を引っ張られて挫折して、一気にアタマがおかしくなって、暴走するといいますか、そんな殺人事件が多発しています。
 反対に、自殺するケースもあるということです。

 次の引用は、「名古屋オリンピック構想」を実現すべく努力主体を立ち上げた仲谷義明愛知県知事が招致に失敗した後、責任感の非常に強い方だったのでしょうね、ソウルオリンピックも終わった11月中旬に自殺しています。


■ 招致運動の経緯

1977年8月 - 仲谷義明愛知県知事が名古屋へのオリンピック招致を提案
1979年2月 - 仲谷県知事が再選
1979年10月 - 日本オリンピック委員会 (JOC) 総会で名古屋へのオリンピック招致を決定
1979年11月 - IOC総会を名古屋で開催
1980年11月21日 - 鈴木善幸内閣により閣議了承
1980年11月26日 - IOC本部に正式の誘致申請書を提出
1981年5月12日 - 衆議院において招致決議案を全会一致で採択
この間、財政負担の増加や環境破壊への反対を唱える、市民レベルでのオリンピック招致反対運動が断続的に続く
1981年9月30日 - IOC総会(西ドイツのバーデンバーデン)で開催地の決選投票、27対52でソウルに敗れる
1983年2月 - 愛知県知事選に仲谷知事が不出馬
1988年9月17日 - ソウルオリンピックが開幕
1988年11月18日 - 仲谷前知事が自殺
■招致失敗の原因
日本で3度目、夏季大会限定でも2度目の開催であり、過去の東京オリンピックや札幌オリンピックと比較すると政府の動きが鈍かった事が指摘されている。また、アジアでのオリンピック開催を日本が独占することへの懸念があったことも指摘される。そして、何より当の名古屋市民の間にあまり関心が無く、行政だけが盛り上がっていたことが大きな敗因となった。事前に劣勢が伝えられていたソウルは、韓国政府や財界が一丸となって招致運動を進めた一方で投票権を持つIOC委員への不正献金や接待による投票依頼が行われたのでないかとの疑惑の声もある。その一方で、名古屋市はIOCに対して賄賂を一切出さなかったことも原因ではないかとも言われている。

 この名古屋オリンピック招致活動の失敗が、1998年長野オリンピック招致において長野県庁などが行った買収工作の要因になったとも言われている。
(Wikipedia「名古屋オリンピック構想」)

「賄賂を一切出さなかったことも原因」とは、伝統の愛知主義なんですかね。
しかし、自分さえ努力すれば何とかなると思ったのがそもそもの大火傷の原因ではないんですかね。

2016年の開催として第一次選考を通過した都市は、次の4都市。

「ブラジル リオデジャネイロ」
「アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ」
「日本 東京」
「スペイン マドリード」


 未開催地の南アメリカのブラジルが最有力都市と思われますが、金がものをいう世界ですから、全く読めませんね。

 仮に、東京が招致に失敗したとき、石原慎太郎都知事の去就に注目が集まりますよね。

 いずれにしろ、努力するって、その後がどう転ぶかわからないから、本当は怖いと・・・そう思いません?
posted by 9組の秋六 at 08:12| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月25日

北京オリンピックの話題■気になる4人

20080824-016-jnn-soci.jpg20080824-016-jnn-soci.jpg450_2008081606.jpg224445.jpg日本メダル25個、惨敗3種目に団長一喝…五輪総括
夕刊フジ(08月25日17時00分)

 【北京=久保武司】史上最多の選手団を送り込んだ日本選手団。獲得メダル数は金9、銀6、銅10の計25個に終わり、アテネ大会の37個(金16、銀9、銅12)より12個も下回った。
 大会最終日の24日、日本オリンピック委員会(JOC)の福田冨昭団長は「金は2ケタを目標にしていたが、選手はよく戦ってくれた」と一定の評価を与えた。しかし、注文をつけたのが、野球、男子サッカー、そしてマラソンの惨敗3種目だ。

 特に、批判の対象となったのが、メダルを逃した星野ジャパンと反町ジャパンの“プロ軍団”。「強い選手だけを集めて、ちょいちょいと練習して勝てるほど、甘いものではない」とバッサリ切り捨てた。

 選手村の入村を拒否し、豊富な資金にモノをいわせ、大会期間中は5つ星ホテルに滞在。大気汚染や食事問題など、各選手が味わったアウェーの洗礼とは無縁だったが、福田団長は「選手村に入らないとダメでしょう」と一喝し、「1年間は同じ釜の飯を食べて、強い連帯感をもってチームジャパンとして、戦わないと勝てない」と続けた。

 故障者を出した日本陸連に対しても「マラソンだけを特別扱いにしすぎる」と口火を切り、「調子が悪いとか、事故があってもこちら(JOC)に連絡されない」と管理能力の不足を指摘した。

 今大会、日本はメダル獲得ランクは全体の8位でベスト10入りは守った。ただし、次のロンドンではどうなるか。資金面を見ても、6位の豪州は200億円近い巨費を北京大会に向けて投入。また、総メダル獲得数が110個で、世界一を守った米国では、国が定めた「A代表」には、大会まで選手の家賃を全額負担する制度も。

 アテネでの実績を踏まえて、2005年度から4年間でJOCに国から補助された選手強化費は総額で80億超。今大会、メダルの「お値段」は高くついた格好だが、今後もメダル数とお金が比例する流れは変わらない。



日本人選手のメダル情報

種目 選手名 備考
柔道男子66kg級 内柴正人 金
柔道男子100kg超級 石井慧 金
柔道女子63kg級 谷本歩実 金
柔道女子70kg級 上野雅恵 金
柔道女子78kg超級 塚田真希 銀
柔道女子48kg級 谷亮子 銅
柔道女子52kg級 中村美里 銅




出身地 大阪
所属 国士舘大
生年月日 1986年12月19日
年齢 21歳
性別 男
出場競技 柔道
男子 100kg超級

石井が不調ニッポン救う金メダル/柔道2008年8月16日 10時02分日刊スポーツ

 柔道男子最重量の100キロ超級で、初出場の石井慧(21=国士舘大)が柔道ニッポンの牙城を守った。4連続1本勝ちで臨んだ決勝で、タングリエフ(ウズベキスタン)に優勢勝ち。「オール1本V」の快挙こそ逃したが「スポーツじゃない。勝負です。これが僕の柔道です」と会心の笑みを浮かべた。100キロ級から転向してわずか1年。勝負にこだわる若きエースが66キロ級内柴正人(旭化成)に続く2個目の金メダルで、不調を極めた柔道ニッポンの意地を見せつけた。

 右手を突き上げ声援に応えると、涙が止まらなくなった。日本男子柔道を救う金メダル。歓喜、感謝−。石井が胸にため込んだ感情を一気に爆発させた。「今は実感がわかない。これが五輪かな、と。初めての経験だけど終わってみれば、いつもの試合と同じだった」。21歳の五輪王者は堂々と胸を張った。

 「らしい」試合で栄冠を手にした。2回戦から4連続1本勝ちで迎えた決勝戦。タングリエフ相手に前へ前へと突き進んだ。相手のスタミナ切れを誘い、指導2つで優勢勝ち。「スポーツではない。勝負です。負けちゃいけない。これが自分の柔道」。勝負に、金メダルに徹した結果だった。

 柔道最終日、最終競技の自分を残し、日本男子のメダルは内柴の金1個のみ。そんな柔道ニッポンの危機にあって「これで勝てば自分が目立てる。この状況に立たされたことを幸福に思った」と言ってのける。前日14日に100キロ超級担当の正木コーチに「金メダルを取ってきます」と宣言した。それを現実にした。

 強心臓、ビッグマウス…。周囲の評価と裏腹に繊細な一面を持つ。6月20日、練習中に右足親指を開放脱臼。「五輪が近いのに…」と入院先の病院で涙した。リハビリと筋トレに明け暮れたが、柔道練習は2週間中止。畳での練習不足は否定できず、北京入りを前に柔道部仲間に「おれ、勝てるかな」と弱音を吐いたこともあった。「不安がないとダメだと思う。不安というより恐怖心があった」と胸の内を明かした。

 16歳の冬、大阪から単身上京した。国士舘高に編入直後は、初の寮生活に「同部屋のやつがテレビをつけていて寝られない」とトイレで泣いた。それでも高校卒業まで1度も大阪の実家には帰らず、練習に没頭。ただただ、強さだけを追い求めて汗を流し続けた。

 100キロ級から100キロ超級に転向後、わずか1年。棟田、井上ら年上の猛者相手に代表争いを制したが「かけ逃げが多く、日本柔道らしくない」と批判も浴びた。この日もオール1本勝ちの優勝を捨て、最後は勝負にこだわったが「勝因はだれに何を言われようが、ヒールになろうが、自分を貫いたこと。それが自分の強さと思う」と断言。「日本柔道を背負っていたわけではない」とも話した。

 「日本柔道」ではなく「日本柔道の強さ」を世界に示した新世代の五輪王者。さらなる進化へ93年世界選手権王者で背負い投げの名人、全己盈(韓国)を見本に上げた。「この柔道で勝ち続けられるほど、甘くはない。全さんのような柔道をしたい。研究をして鍛錬したい」。まだ21歳。4年後はさらに強い姿で連覇を目指す。【菅家大輔】

内村航平
出身地 長崎
所属 日体大
生年月日 1989年1月3日
年齢 19歳
性別 男

内村航平 関連ニュース
難度追求の流れ加速=ミス連発でもメダル獲得−体操〔五輪・体操
2008年8月20日 06時39分時事通信社
 北京五輪の体操は19日に全日程を終えた。従来の10点満点から、2006年に点数に上限のない採点方式に移行して初の五輪。結果は、高難度の技を多く持つ中国選手が金メダルを量産した。実施の正確さよりも、より難しい技をより多く−という流れが加速した印象だ。

 男子個人総合では、内村航平(日体大)があん馬で2度落下しながら銀メダルを獲得した。男子代表の具志堅幸司監督は教え子の快挙を喜びつつ、「あんなに失敗したら、普通はメダルなんて考えられない」と困惑。優勝した楊威(中国)を含め、上位選手でも細かいミスが多かった。

 技の高度化が進み、6種目を通して演技するだけで体力を消耗するのが現状。結果として技の実施の精度は落ち、失敗が増えることになる。一つのミスが勝負を分ける個人総合のメダル争いは、もはや過去のものになったのかもしれない。

 国際体操連盟のグランディ会長は、五輪開幕直後の記者会見で「難しさばかりにこだわらないで、体操の美しさも残してほしい」と選手に注文を付けた。それでも、五輪では難度を追求する流れは変わらなかったし、それはロンドン五輪でも同様だろう。日本では全6種目を正確にできてこそ体操選手という考え方が根強いが、今後も世界でトップレベルを維持するには、スペシャリストの育成が急務になる。(北京時事)




平野早矢香

出身地 栃木
所属 ミキハウス
生年月日 1985年3月24日
年齢 23歳
性別 女
出場競技 卓球
女子 シングルス
女子 団体

平野、屈辱胸にロンドンへ=厳しさ知った初舞台−卓球女子〔五輪・卓球〕
2008年8月21日 06時55分時事通信社
 20日の北京五輪卓球女子シングルスの3回戦。39歳の元中国代表、ガオ・ジュン(米国)との初対決で完敗した平野早矢香(ミキハウス)は、試合終了直後に「次(の五輪)に出る時はもっと力を付けて出たい。勝ちたい」と思ったという。

 負けず嫌いの性格。強い精神力が持ち味の23歳にとって、第2ゲームを1−11で取られたのは屈辱以外の何ものでもない。「途中で戦術がバラバラになってしまってどうしようもなかった」と振り返った。「大切な場面でどうプレーしていくか」を課題としていただけに、自らをコントロールできない場面をつくったことは納得がいかない。

 4年前。19歳だった平野は全日本選手権の覇者となりながらアテネ五輪に出場できなかった。「五輪というか、卓球に懸けてきた4年間だった」というように、求道者のように卓球のことだけを考えた。その執念は、今年の世界選手権団体戦で日本に銅メダルをもたらす大車輪の活躍となって結実。五輪世界ランキングも上昇し五輪出場権は自動的に手に入った。

 迎えた本番。団体戦では韓国のカットマンに大事な試合で2度にわたって完敗した。シングルスでは、相手に遊ばれたような試合で敗退した。

 「自分の力を付けていくしかない。(ロンドンでは)金メダルを取れる力を付けていきたい」。既に全日本選手権優勝4度。海外でさらに飛躍するため、努力の人の新たな4年間が始まる。(北京時事)
posted by 9組の秋六 at 22:47| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月24日

祝・ソフトボール「金」■記念大特集V・関連記事10連発一挙掲載!!

sakai_hiroko_sponiti_skfuln20080727004001.jpgソフトの勝因は、敗戦の責を帰すべき責任主体の明瞭化?星野ジャパンの最終戦で、横浜の村田修一が打席に立って初球をフルスイングして、バットは空を切る。
点差は4点。走者が1塁と2塁におり、つなぐ打ち方をして欲しいところ。
次は、ワンバウンドになるような低い球に手を出して、またしても、バットは空を切る。
この時点で、ボールが見えていない打者への期待は諦めに変わる。

続く巨人の阿倍も凡フライに倒れて、試合終了。

と、このように書くと、ホームランバッター依存症の巨人を思い出す人が多いのではなかろうか。
この象徴が西武の砂糖といえるかもしれない。

とくると、なぜか粗塩の効果について書きたくなるが、さてどこで歯車が狂ったか?


いつも競艇場に行って想うことは、一流選手と二流選手の違いはどこにあるかというと、フアンの声援にこたえきるかどうかである。
 ソフトと野球が明暗を分けたものを、そこに求めることはあまりに酷か。

もうひとつ挙げるならば、野球の敗因は、責任の所在をあいまいにするような選手の起用法であろう。
 いいかえると、責任回避というジャパニーズスタンスが敗れたのである。


【北京五輪】ソフトボール 日本、打線奮起で金メダル2008年8月22日(金)08:15 産経新聞

 ≪3連投・上野413球 宿敵、米を撃破≫

 金メダルを懸けた駆け引きは開始早々から始まっていた。打線の主軸、3番・山田は一回、一度もバットを振らずに見逃し三振を“選択”した。

 「駆け引きでどんな球が来るかを見極めたんです」。四回の2打席目には、決勝点となる本塁打をセンターにたたき込んだ。「(わざと)ドロップを空振りして、次のライズボールを打った」。上野にかかる重圧を和らげた一発は、研究のたまものだった。

 爆発力のない打線は「上野頼み」と揶揄(やゆ)されることもしばしば。山田をはじめ野手はその陰口に耐え、最後の舞台に照準を合わせていた。米国の先発オスターマンの武器は、浮き上がるライズボールと落差の大きいドロップ。「上か下かを絞る。それだけのことなんですけどね」と謙遜(けんそん)したが、狙いは的中した。

 日本代表の主軸打者として五輪3大会を戦った斎藤氏が2006年12月、代表監督に就任した際に掲げたテーマは「スピード・パワーソフト」。投手頼みを脱却し、結束を高めることを目指してきた。おろそかにされていた相手の分析も徹底した。

 三回の先制の場面に、その成果が出た。0−1から狩野を呼び寄せ、三遊間狙いを指示。「米国から(五輪で初めて)3点取ることを目標にやってきた」と斎藤監督。米国の“穴”がどこにあるかは知っていた。「悲願達成です。私は銀止まりだったけど、選手には金メダルをかけさせてあげたかった」。五輪最後の試合で理想のチームが完成した。(川越一)



独身サヨナラ!斎藤監督が悲願達成/ソフト2008年8月22日(金)07:42 サンスポ

 夢のような風景が目の前に広がる。選手たちが歓声を上げ、何度も跳びはね、マウンド周辺で抱き合っている。斎藤春香監督(38)はかすむ目で、頼もしげに15人を眺めた。

 「優勝の実感が沸きません。この子たちに金メダルを獲らせてあげたかった。自分は銀メダルだったけど、金メダルを掛けさせることができて、うれしい」

 悲願を達成した。主軸打者として活躍した3度の五輪は、00年シドニー大会の銀メダル止まり。06年12月に代表監督に就任するとライバル米国の攻略に執念を燃やした。

 難攻不落の左腕オスターマンを想定し、強化合宿では男子を相手に打撃練習。夜は米国投手陣のデータを分析し、ミーティングを重ねた。現役時代から配球の読みにたけていた斎藤監督の言葉に選手もうなずいた。

 勝利の瞬間、ネット裏の放送席では元全日本監督の宇津木妙子氏(55)が涙を流していた。「雨が降っていて、シドニーの試合を思い出した」。8年前、米国との雨中の決勝。延長八回に左翼手がフライを落球し、金メダルの夢がこぼれ落ちた。そんな悪夢を教え子の斎藤監督がぬぐい去ってくれた。

 この2年間、宇津木氏は若い斎藤監督を励まし続けた。「わたし人間不信になりそう」と相談されたこともある。選手一筋で組織になじめない教え子に言った。「最後は選手を信じなよ」。

 55歳の宇津木氏は、験担ぎで下着をピンク色に統一。38歳の斎藤監督も「金を獲るまで結婚しない」と監督就任時に宣言し、いまだ独身。なりふり構わない2人の思いは天に通じた。

 今大会限りでソフトボールは五輪競技から外れるが、「また16年には復活するかもしれない。ソフトの魅力を伝えていきたい」と宇津木氏。米国を倒し、ソフトの歴史を変えたこの日の勝利が、復活への足掛かりだ。


「金」のため、未来のため=貫いた堅実ソフト〔五輪・ソフトボール〕
時事通信(08月21日23時15分)

 2日で3試合を投げ抜いたエース上野由岐子(ルネサス高崎)の鉄腕に「鳥肌が立った」という。王者米国を、理想的な試合展開で倒した金メダル。自分たちのスタイルを貫いて「金」を追い続けた日本ソフトボールが、北京で満開の花を咲かせた。
 アテネ後、日本を世界の強豪国に押し上げた功労者、宇津木麗華、斎藤春香(現監督)らが第一線から離れ、チームは若返った。一回り小粒になった攻撃陣で米国、オーストラリアなどパワーのある強豪と対等に戦うには、堅守と緻密(ちみつ)な攻撃が求められた。
 1点を守り抜くスタイルを追求。命運は世界最速右腕、上野に託され、上野は懸命に応えた。「金メダルはみんなの思い。信頼される投手に自分をつくっていきたい」
 実施競技からの除外で、金メダルへの渇望とともに、選手たちはもう一つの願いを抱いた。未来の選手のために競技の五輪復帰を願い、魅力を伝えたい、記憶に残したい。斎藤監督は「ソフトボールにとって一つの区切りであり、集大成だけど、復活に向けての思いも強い」と言う。
 決勝進出が懸かった20日の死闘に、そんな思いが凝縮された。とりわけ延長戦2試合、318球を投げ抜いた上野。米国、オーストラリアに、4年間に成長した姿で立ち向かった。「テレビで一流の選手を見て五輪に行きたいと思った。子供たちにもそう思ってほしい」。ピンチのたびに勇気を奮い起こした。
 世界選手権を6連覇中で、五輪では一度も王座を譲らなかった米国から奪った金星。ソフトボールを愛する強い気持ちとともに、悲願達成へ向かって死力を尽くした姿は、北京から世界へ向かって発信された。(北京時事)
【明解要解】ソフトボール「金」へのカギ握る上野 
07/28 21:00更新iza!

記事本文 北京五輪でメダルが有望な女子ソフトボール。日本代表のエース、上野由岐子投手(26)=ルネサス高崎=の直球は世界最速とされる。野球にあてはめた場合の体感速度は時速160キロ超。下投げにもかかわらず、これだけの球速が出るのはなぜか。(西尾美穂子)

 ソフトボールの球速を野球と対比させるとき、よく用いられるのが体感速度。筑波大学人間科学総合研究科で野球の投打に関する動作研究をする川村卓講師によると、算出方法は野球とソフトボールの投手板から本塁までの距離(投本間)の比率によるという。

 女子ソフトボールの投本間は13・11メートル。野球は18・44メートルでソフトボールの約1・41倍ある。上野の直球の球速を時速117キロとすると、1・41×117で時速164キロとなる。

 もっとも、時速117キロというのは、2004年アテネ五輪のときの上野の球速。今では球速が119キロまで増しているので、体感速度は時速167キロと驚くべき数字になる。

 プロ野球に目を向けても、ここまでの球速は例がない。日本での最速はマーク・クルーン(巨人)の時速162キロ。大リーグでは1997年ロブ・ネン(当時マーリンズ)の時速163キロ(102マイル)。非公式記録では、ジョエル・ズマヤ(タイガース)が06年に時速165キロ(103マイル)を出したなどとされている。

 ソフトボールの投手が腕を一回転させて下からボールを投げるのに対し、野球の投手は腕を上から下に振り下ろして投げる。見た目は全く違うフォームだが、意外なところに共通点はある。川村講師は「上野は(レッドソックスの)松坂大輔投手に近い背筋の付き方をしていて、ボールをリリースするときの体幹の使い方が松坂と似ている」と分析。これが世界最速ボールを可能にする理由の一つとなっている。

 野球で投手が時速160キロの直球を投げた場合、本塁へボールが到達する時間は約0・4秒。それに対し、ソフトボールで上野が時速119キロの直球を投げた場合は約0・36秒。一流の男性の打者が、投手がボールをリリースした瞬間から打つと判断し、バットに当てるまでにかかる時間は約0・4秒とされる。このため、「0・4秒以内でコースを判断して打つのは相当不可能」(川村講師)という。野球を超越した“スピード感”はソフトボールの魅力であると同時に、打者にとっては反応の限界との戦いだ。

 川村講師は、北京五輪で上野が最も用心しなければいけない米国の強打者については「力が強く腕でバットを操作するので、振り始めたら止まらない傾向がある。打つタイミングを外されるような遅いボールには弱いだろう」と指摘。世界最速のボールと100キロ以下というスローボールで緩急を交えることが、悲願の金メダル獲得へのカギを握るようだ。


北京五輪 ソフトボール 心臓病の西山、サヨナラ打 「子供たちへ」願い込め2008年8月21日(木)08:15 産経新聞

 あこがれの選手だった監督、そして、病気の子供たちのためへの一打だった。20日夜の北京五輪ソフトボール3位決定戦。遊撃手の西山麗(24)が一死満塁からサヨナラ打を放ち、21日の決勝戦を引き寄せた。生まれつきの心臓病を抱える西山。「元気なプレーで、病気の子供たちに勇気と希望を与えたい」。悲願の「金」を目指し、米国との決勝に挑む。

                  ◇

 「心臓の弁が閉じきらず、激しい運動をすると血が逆流して突然死することがある」。小学校に上がる前、西山は「大動脈弁狭窄(きょうさく)・閉鎖不全症」と診断された。しかし、運動が何より好き。中学でバスケットボールからソフトボールへ転向した。心臓への負担が少ないからだ。それでも、プレー中は必死だった。「走るな。ゆっくり」。塁を駆ける西山にベンチから声が飛んだ。

 中2のころ、症状が悪化し、米国から届いた心臓弁を移植した。臓器提供者は交通事故で亡くなった同じ14歳の少女だった。

 8時間の手術に耐え抜いた。「大きくなったら一緒のチームでやろう」と声をかけてくれた人がいたからだ。北京でチームを率いる監督の斎藤春香さん(38)だった。

 斎藤さんは、アトランタで3打席連続本塁打を放った。それ以来、あこがれていた選手に、講習会で出会った。「五輪に行きたいんです」。緊張しながら斎藤さんに話しかけた。

 術後、「もう運動はやめて」と泣きながら説得する母、美千子さん(57)に「私は生まれ変わったの。グラウンドで倒れるのは怖くない」と訴えた。「五輪で活躍して、私と同じような病気の子供たちに、勇気や希望を与えたいから」。母と父、義信さん(66)に夢を語った。

 10年前、両親に明かした夢はかなった。しかも、監督は斎藤さん。「一緒にできるなんて信じられない。夢みたい」。西山は、声を弾ませて母に電話してきた。中学時代のソフト部顧問、畦地隆弘さん(48)には「斎藤監督のために金を取る」と誓った。

 「投手が頑張っているから」と西山は踏ん張って、劇的な決勝打を放った。

 娘の試合を観戦するとき、いつも心臓に何事も起きないよう祈るという義信さんも「金メダルを取るという夢を正夢にするための一打を、自分のバットで決めた。娘は本当に強運だ」と、この日ばかりは興奮した。ソフトは4年後のロンドンで正式種目から外れる。「21日は夢のファイナルステージ。思い切ってプレーして」。義信さんは娘にそうエールを送った。

                  ◇

 ■「米国戦もこの調子で」

 シドニー、アテネ両大会に主砲として出場し、アテネで主将を務めたルネサス高崎監督、宇津木麗華さんの話「西山麗選手のサヨナラ安打は本当にうれしかった。そして、なんといっても、決勝へと導いたのは、上野由岐子投手の力投だ。20日は昼の米国戦、夜の豪州戦をそれぞれ完投し、2試合で300球以上投げた。アテネ以降、練習に明け暮れた4年間の思いをボールに込めていた。『明日は絶対に米国と対決するんだ』という気持ちも強かった。米国との決勝もこの調子で行け。連投になるが、彼女しかいない」


日本、カナダに快勝 ソフトボール五輪壮行試合07/27 22:09更新iza!

記事本文 ソフトボールの北京五輪壮行試合最終日は27日、仙台市民球場で行われ、金メダルを目指す日本代表が五輪の1次リーグ最終戦で対戦するカナダ代表に4−0で快勝した。
 先発したエース上野(ルネサス高崎)が力強い速球に変化球を織り交ぜて3回を完ぺきに抑え、4投手で無失点の継投。打線は一回に馬渕(日立ソフトウェア)の適時打で先制し、三回には馬渕、佐藤(レオパレス21)の連続本塁打で加点。馬渕は3安打3打点の活躍だった。
 日本は26日のオランダ戦に続く連勝で、五輪本番前最後の実戦を終えた。

北京の弟子に日本からエール ソフトボール女子元日本代表主将の宇津木麗華さん08/12 23:21更新iza!

記事本文 北京で悲願の金メダルを目指す日本のソフトボールが12日夜、初戦で豪州と対決。アテネは初戦で負けており、今回はリベンジだ。ソフトは次回のロンドンで正式種目から外れることが決まっており、最後の五輪。「ここで負けたら頂点に立てない。がっちり勝ってほしい」。シドニー、アテネ両大会で主軸として活躍したルネサス高崎監督、宇津木麗華さん(45)は日本から声援を送った。
 宇津木さんは北京生まれ。五輪ソフトボール会場の近くで育った。あこがれの名選手、宇津木妙子さん(54)=の指導を受けるため、昭和63年に日本へ。平成7年に帰化すると、代表チームの主軸として活躍し、シドニー、アテネ両大会では銀、銅メダル獲得に貢献。アテネ後に現役を退き、現在はルネサス高崎の監督を務めている。
 「日本の銀獲得はほぼ確実。しかし投手の総合力は米国が勝っており、打ち崩さない限り、金の確率は30%」。分析は冷静だが、エース、上野由岐子(26)=ルネサス高崎=の踏ん張り次第では「40%に上がる可能性はある」。
 上野は宇津木さんがこの4年間で徹底的に鍛え上げた。速球に頼りがちだったが、変化球の大切さをたたき込んだ。「ベテランになり、筋肉が固くなる前に覚えさせたかった。直球だけで抑えられるほど世界は甘くない」
 習得するべき球種のヒントはアテネのグラウンドに転がっていた。米国の練習風景を何気なく観察していたところ、内角に食い込む球を打ちにくそうにする選手が多いことに気づいた。
 「上野にシュートを覚えさせたい」。大会終了後、半ば強制的に米国へ連れて行き、ソフト先進国のコーチらに頭を下げ、教えを請うた。当の本人は「なぜ変化球ばかり練習するんだ」と不満げだったが、投球の幅が広がった。
 2年前、中国のソフトボール協会幹部から「監督にならないか」と誘われた。1週間悩んだが、結局断った。「当時、ルネサスの選手は平均年齢が19〜20歳。若い選手を見捨てるわけには行かなかった」
 「中国と日本。どちらを応援するのか」。メディアからこんな質問を受ける機会も増えたが、答えはいつも一緒だ。
 「4年間、手塩に育てた選手が所属しているチームを応援しない監督がどこにいますか」 
 日本で大会が控えているため、声援は群馬県高崎市の自宅でテレビの前から送る。「ソフトボールが8年後の五輪で復活できるようなプレーを世界中の人に見せてほしいですね」



【1都4県週刊知事】神奈川・松沢成文知事 ソフト代表を特別表彰

2008年8月24日(日)08:15産経新聞

「家で見ていました。(同日に行われた)女子サッカーは残念だったけど、その分、金メダルの期待を込めて応援し、家族みんなで抱き合わんばかりに熱狂しました」

 球技としてモントリオールの女子バレー以来32年ぶりの五輪金メダルを獲得したソフトボール日本代表の興奮冷めやらぬ翌日22日、松沢成文知事は会見でソフト日本代表に県特別表彰を贈ることを明らかにした。今までの例にないが、「過去にない快挙であり、県出身者や学校出身者、県内企業に勤める人も多い」と表彰を決めた。急な決定のため、贈呈の方法などは決まっていない。

 同チームでは、日立製作所ソフトウェア事業部(横浜市戸塚区)に斎藤春香監督と西山麗、山田恵里、馬渕智子の3選手が所属。また県立厚木商業高出身者が西山、山田、三科真澄の3選手、横浜市立瀬谷中出身者に峰幸代選手がいる。女子サッカーにも、県出身者や県の学校出身者が多く、前日の観戦にはいつになく力が入っていたようだ。



22連勝指令…上野大フィーバー/ソフト 
2008年8月24日(日)05:49サンケイスポ


 悲願の金メダルを獲得したソフトボールの日本代表が23日、成田空港着の航空機で帰国した。立役者となったエース上野由岐子(26)=ルネサス高崎=に対し、出迎えた所属先の宇津木麗華監督(45)が、今季国内リーグ戦全勝の「22連勝」を指令していたことが判明。すでに11戦全勝の“鉄腕”は、リーグ戦再開となる9月6日のシオノギ製薬戦(北海道・石狩)から新たな伝説に挑む。

 到着ロビーに姿を見せた上野は、真っ先に恩師を探した。ルネサス高崎の宇津木監督を見つけるや、人目も気にせず涙の抱擁。監督の首に、光り輝く金メダルをかけた。

 「チームにはあすにでも合流したい。常に勝とうと思ってやっていますから」という上野の視線は、すでにリーグ戦再開に向けられている。それは、宇津木監督との“女の約束”を守るため。「(今季リーグ戦全試合の)22連勝。次も先発で考えてます」と同監督も早くもムチを入れた。

 五輪では準決勝から決勝までの2日間、3試合で計413球の熱投を見せた。疲れは隠せないが、五輪前の国内リーグ戦は今季11戦に先発して全勝。今後も終了まですべて先発し、全勝するという前人未到の記録への挑戦なのだ。

 世界一の豪腕を生で見ようと、北の大地もフィーバー。関係者によると、普段は2日間で多くて約3000人という観衆が、9月6、7日の試合チケットの売れ行きはすでに合わせて5000人を超える勢いで、倍増は間違いない。

 「ソフトのすばらしさを伝えていきたい」という上野の夢は、16年の夏季五輪での正式競技復帰。女子ソフト熱の火を絶やさぬためにも、鉄人伝説を作り続ける。



坂井 悲願の金へ完成!魔球「ドリーム」
2008年7月27日(日)06:51 スポニチ


 悲願の金メダルへ“魔球”が完成した。女子ソフトボールの北京五輪壮行試合が26日 、宮城県仙台市民球場で行われ、日本は北京五輪1次リーグの3戦目に対戦するオランダを4―0で下した。先発の坂井寛子投手(29=太陽誘電)は、左打者の内角に食い込みながら落ちる新球がさえ、5回を被安打2、4奪三振。アテネ五輪で2勝を挙げ、上野由岐子(25=ルネサス高崎)と2本柱と呼ばれながら、一時は引退した右腕が、秘密兵器を手に帰ってきた。

 復活ではなく、進化だ。試合終了後のインタビュー。坂井は「今回は五輪前最後の国際試合ということで、試したいことがあったのでやった」と話し、こう続けた。「新球です。まだ完成していないけど、いい感じだった」。左打者のひざ元に食い込みながら、落ちる。名称は「募集中ということで」と笑ったが、自ら練習中に「ドリーム」と呼ぶボールだった。

 5回まで15個のアウトのうち、内野ゴロは8。本来、坂井の最大の武器は、右打者の懐に食い込むシュート。逆の動きをしながら、さらに落ちるボールは、左打者対策に加え、シュートを生かす効果も抜群だ。センターで投球を見守った山田主将も「アテネに比べてもボールの動きが凄かった」と目を丸くした。

 速球派として上野との2本柱で臨んだアテネは2勝。その後、現役引退してスポーツメーカーの社員として働いた。しかし、各地のソフトボール教室で競技に触れるたびに、くすぶる心を自覚した。復帰の契機となったのは06年の世界選手権。獅子奮迅の活躍を見せる上野をテレビで見て「つらそうな顔をしている。何とか助けたい」と現役復帰を決めた。

 110キロ近かった速球は「以前とそんなに変わっていない」と言うが「もうガチンコの勝負は必要ない」とも言う。日本代表復帰後は、男子選手との練習試合を通じ、左打者に対する決め球の不足を痛感。前日本協会女子強化委員長の星野昭氏に相談し、新球の開発に取り組んだ。昨年春の日本リーグ復帰から1年半余り。ようやく実戦で手応えを感じるレベルに仕上げてきた。

 「一度引退した分、精神的には余裕があるような気がする。少しずつでも納得できる部分を増やして、五輪に臨みたい」と29歳は言う。斎藤監督は「変化球を生かして、進化しているし、安定感は抜群」と評価する。残る日数はわずか。夢の金メダルへ、この「ドリーム」が大きな武器になる可能性は高い。




ソフト上野、鉄腕伝説…8年後、正式競技復活の切り札2008年8月22日(金)17:37 夕刊フジ


 【北京=宮脇広久】「祭りの後」は−。ソフトボール日本代表は、正式競技採用以来、3大会連続で金メダルを獲得していた米国を決勝で破り、初の金メダルを獲得した。2日間で3連投、計413球を投げた鉄腕・上野由岐子投手(26)は一気に国民的ヒロインの座へ。ところが、ソフトボールは次回の2012年ロンドン五輪で正式競技から外されてしまう。成し遂げた快挙と、不透明な将来には実に気の毒な格差がある。

 まさに神様、仏様、上野様と奉りたくなった。上野は20日、午前9時半試合開始の準決勝・米国戦で延長9回147球の熱投も実らず1−4で敗れると、試合終了約5時間後には豪州戦のマウンドへ。ここでも延長12回、171球を投げ抜いた。

 そして勝ち上がって迎えた21日の決勝・米国戦で7回95球の完投勝利。試合終了は午後8時25分。2日にわたる34時間55分内に、28イニング計413球を投げたことになる。対照的に米国は2投手の継投で、2日間でアボットが10イニング、オスターマンが6イニングと分け合った。

 それでも上野は「今回はコンディションがいい形で調整できた。そういう意味では、まだまだ投げられる可能性はあります」と言い切ったのだから、恐れ入る。五輪史に残る力投伝説だ。

 しかし、ソフトボールは野球同様、今大会限りで五輪正式競技から外される。4年に1度の世界選手権が2年後に迫っているとはいえ、世間の注目度、盛り上がりは、五輪とは雲泥の差。最大の目標を失う彼女たちは、いったいどこへ行くのか。

 金メダルを獲得した選手には、JOC(日本オリンピック委員会)から報奨金、1人300万円が贈られる。JOC関係者は「日本ソフトボール協会から別に報奨金が支給される可能性がありますが、野球やサッカーと違って、ソフトには有力なスポンサーが付いているわけでもなく、懐が寂しいのが実情。いずれにせよ、多くは望めないでしょう」と気の毒な背景を打ち明けた。

 前日本代表監督の宇津木妙子氏は、上野が所属する日本女子リーグのルネサス高崎の総監督で恩師。

 宇津木氏は「余程の精神力がなければ、あれほどの連投はできない。日本のソフトボール界のためによくやってくれました。ソフトが正式競技から除外される理由のひとつは、過去の五輪で米国以外に金メダルを取る国がなく、ひとり勝ちだったから。そういう意味で、この金メダル獲得には大きな意味がある」

 「日本にも上野のような凄い投手がいることもアピールできた。ソフトを普段見ない人たちにも感動を与えたと思いますよ。世界選手権が2年後に迫っていることだし、16年の五輪でソフトが復活するかどうかはわかりませんけど、せっかくここまで来たのだから、米国に勝てるレベルを維持できるよう、強化を続けなければなりません」と一気にまくし立てた。

 00年シドニー五輪で銀メダルを獲得した際には、「女大魔神」と異名を取った高山樹里投手をはじめ、選手たちがテレビのワイドショーで盛んに取り上げられるなど、時の人となった。だが、日本リーグにまで注目するファンは稀で、ブームの潮が引くのも実に早かった。

 かといって、野球のように「メジャー挑戦」なんて夢もない。むしろ、練習環境の良い日本リーグのチームに、米国や豪州の代表経験者が来日して加入しているほどだ。

 上野の父・正通さん(54)は、スタンドで愛娘の晴れ姿に目を潤ませながら、「無敵の米国が負けたのですから、悔しがって8年後には、意地でも正式競技に復活させるのではないですか」と望みをつなぐが、既に代表では中堅にあたる上野は、8年後には34歳。現役を続けているかどうかは微妙だ。

 「親の心境としては微妙です。花嫁修業をしてほしい気持ちも当然ある。今まではこの五輪にすべてを捧げてきた。彼氏なんかもいないようですが、最大の目標にしてきた大会が終わったことで、そっちの方向に行くかもしれませんね」とも。

 タフネスだけでなく、世界最速といわれる球速119キロを誇り「オリエンタル・エクスプレス」の異名を取る上野にとって、目標とする8年後は、あまりに長い。このまま埋もれさせるのは、あまりにも惜しい人材だ。熱しやすく冷めやすいといわれる日本人気質。どこかに格好のヒノキ舞台がないものか−。



ここまで目を通してくれて、ほんにありがとう。

このシリーズは、とりあえず終了。数百人のビジターに恵まれるなんて、驚いています。ほんにありがとう。
posted by 9組の秋六 at 11:46| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

祝・ソフトボール「金」■記念大特集U・関連記事10連発一挙掲載!!

mai_20080822k0000m050131002].jpgソフト「金」奪取…選手抱き合い喜び爆発、ファンも大歓声
読売新聞(
08月22日00時59分)



 「よくやった上野」「おめでとうニッポン」──。21日の北京五輪・ソフトボール決勝で、日本は米国を3対1で下し、悲願の金メダルを獲得した。

 その瞬間、グラウンドの選手たちは抱き合いながら喜びを爆発させ、スタンドのファンは「日の丸」を振って歓喜の声を上げた。

 試合は六回まで2対1で日本がリード。前日、2試合で318球を投げた上野由岐子(ルネサス高崎)が先発し、再三ピンチを背負いながら、米国打線をホームランによる1点のみに抑えた。

 最終回の七回、日本は米国内野陣の2つのエラーに乗じて1点を追加した。その裏、米国は先頭打者をヒットで出したが、上野の鬼気迫る投球の前に、後をつなぐことができなかった。

 最後の打者を打ち取ると、上野は両手を上げて喜びを表し、駆け寄ってきたチームメートと抱き合った。控えの選手たちもベンチを飛び出し、マウンドの近くで歓喜の輪を作った。

 スタンドの日本のファンは立ち上がって拍手を送り、「日の丸」を振りながら歓声を上げた。多くのファンが上野の名を呼び、力投をたたえた。

 前日の豪州戦も応援したという東京都品川区の江川河代さんは「とにかくうれしい。上野さんの精神力の強さに脱帽です」と興奮気味に話し、友人で埼玉県富士見市の鴫原美奈さんは「チームワークが素晴らしかった。言葉にならないぐらい感動しました」と、目を潤ませながら話していた。(メディア戦略局編集部・久保田稔)

奮起した打線=見極め明確−ソフトボール〔五輪・ソフトボール〕
時事通信(08月22日00時59分)

 米国の牙城を崩すには、何より打線の奮起が必要だった。前日まで徹底されていなかった狙い球、バントへの集中力。この大舞台では明確だった。
 3回の先制点。三科の二塁打は高めに浮くライズボールに合わせた。三科は先発で2人しかいない右打者。「左打者は苦戦する。4年間この投手の研究だけしてきた」と言う。狩野の遊撃への適時内野安打は沈む球の落ち際をたたいた。狩野は「打席に立つ位置を前に変えていた」と言い、いずれもオスターマンの勝負球を見極めていた。
 4回。貴重な本塁打を放った山田も甘いライズボールを弾き返した。第1打席で1度も振らず三振して球筋を見極めた。初球の沈む球を空振りして誘い、浮いたところをコンパクトに合わせた。山田は「落差が大きい。上か下かを絞ること」と胸を張った。
 前日目立ったバントの失敗もなかった。3回の峰、7回の三科の犠打はいずれも得点に結び付いた。エース上野が3連投。負担を軽くするのが何よりの薬になった。(北京時事)


「会って抱き付きたい」=上野選手の両親−ソフトボール〔五輪・ソフトボール〕
時事通信(08月22日00時52分)

 ソフトボールで金メダルを獲得したエース上野由岐子投手(26)の父正通さん(54)さんは、観客席で娘の勝利に「夢を見ているみたい。すごい子供です」と感動。「全員が(娘を)守ってくれた。おめでとうと言って抱き付きたい。最高です」と笑顔を見せた。
 母京都さん(52)さんは「24時間、ソフトボールのことばかり考え、『いかに時間を使うかが結果につながる』と言っていた。体力は限界だったでしょう。休ませてあげたい」と思いやった。
 上野選手の精神力の強さについて、京都さんは「好きの一念とアテネの悔しさがあった。宇津木さんや斎藤監督、みなさんに支えられ、育ててもらった」と感謝した。
 20日のオーストラリア戦後、上野選手に「おめでとう」と声を掛けると、「こんな長い試合でごめんね」と気遣う言葉が返ってきたという。京都さんは「あんな大変な試合をして、どうしてこういうことを言えるんでしょう」と目を細めた。(北京時事)
正通(まさみち)京都(みやこ)

【日本・米国】日本の先発・上野=北京市の豊台ソフトボール場で2008年8月21日午後7時1分、矢頭智剛撮影

<五輪ソフトボール>上野の3完投413球 悲願引き寄せる毎日新聞(08月22日00時50分)

 ◇北京五輪ソフトボール女子決勝(第14日の21日)

 ◇日本、3−1で米国を破り初の金メダル

 勝利の瞬間、何度も両腕で天を突いた。「最後の五輪」で、チームのエース、上野由岐子が米国の連覇を止めた。「投げさせてもらって満足。まだまだ投げられる」。26歳右腕は常識破りの2日間で3完投の力投で、日本の悲願をかなえた。

 前日の準決勝、3位決定戦の延長戦2試合を投げ抜き、計21イニングで318球を投げた。その夜「握力が落ちている」と周囲に漏らした。だが、斎藤春香監督(38)から「行けるか」と問われると、うなずいた。

 世界最速119キロの豪速球を持つ。だが今大会は調子が上がらなかった。1次リーグ初戦のオーストラリア戦では「記憶にない」という1イニング2本塁打を浴びた。

 球速も伸びず、上野を育ててきた元代表監督の宇津木妙子・ルネサス高崎総監督(55)には「心も体もぼろぼろ」と伝えた。最後の五輪でエースを務める重圧のせいか、投げ急いでフォームを崩していた。

 だが準決勝の米国戦で表情が一変した。上野は語ったことがある。「自分より強い相手と戦うときが一番楽しい」。1次リーグの米国戦で、日本は五輪で初めてコールド負けを喫していた。その強敵を前にしたとき、上野の表情が挑戦者のそれに戻った。「100%の力じゃなくても、自分らしく」。言葉から力みが抜けた。

 決勝も苦難続きだった。不運な内野安打に走者を背負い、雨による中断で肩も冷えた。上野の精神力を示す言葉がある。「どんな状況に立たされるか考えて悩むより、何かが起きたときにどう対応できるかを大切にしている」。この日の95球を含め、2日間で413球を投げ抜いた。

 日本の戦力が最も充実していたとされる00年シドニー五輪でも、全勝で臨んだ決勝で米国にサヨナラ負けした。今回のチームは、それほど前評判は高くなかった。だが頂きに立った。不調にも不運にも負けない精神力を持つ大黒柱がいてこそ、である。【藤野智成】

ソフトボールの五輪除外問題〔五輪〕
時事通信(08月22日00時44分)

 ソフトボールは、野球とともに2012年ロンドン五輪で実施競技から除外される。ただし、16年五輪で復活する道は残されている。発端は02年8月、国際オリンピック委員会(IOC)のプログラム委員会が五輪の肥大化抑制策として野球、ソフトボール、近代五種を外す見直し案をIOC理事会に勧告したこと。理事会は継続審議とし、同年11月のIOC総会では賛否を04年アテネ五輪以降に先送りした。
 アテネ五輪後、プログラム委員会が12年五輪の実施競技見直しのため、現行28競技などの評価報告書をまとめて05年6月に公表。ソフトボールに関しては、五輪や世界選手権でのマスコミの関心の薄さなどを指摘。同年7月、IOC総会で野球とソフトの12年五輪除外が決まった。(北京時事)

ソフト日本、米国破り念願の金=団体球技32年ぶり=なでしこはメダル逃す〔五輪〕
時事通信(08月22日00時37分)

 【北京21日時事】北京五輪第14日は21日、ソフトボール決勝で日本が米国を3−1で破り、初の金メダルを獲得した。2012年ロンドン五輪で実施競技から除外となる前の大会で、念願の優勝を果たした。日本勢の金メダルは今大会9個目。団体球技での金メダルは、1976年モントリオール五輪バレーボール女子以来32年ぶり。
 日本は前日に延長戦の2試合、21回を投げていたエースの上野由岐子(ルネサス高崎)が1失点に抑え、3試合連続完投を演じた。打線は3回に1点を先制した後、4回には山田恵里(日立ソフトウェア)の本塁打で2点目。1点差の7回には追加点を奪って振り切った。96年に実施競技となってから3大会連続で制していた米国は、初めて優勝を阻まれた。
 サッカーの日本女子は3位決定戦でドイツに0−2で敗れ、日本勢としては68年メキシコ五輪男子の銅以来となるメダル獲得はならなかった。
 女子高飛び込み決勝で入賞を狙った中川真依(金沢学院大)は11位。卓球シングルスの男子は韓陽(東京アート)が4回戦、水谷隼(明大)は3回戦で敗れ、男女とも姿を消した。近代五種で日本選手として4大会ぶりに出場した村上佳宏(自衛隊)は31位だった。
 陸上の男子400メートルリレーで日本は決勝へ進出。女子200メートル決勝はベロニカ・キャンベル・ブラウン(ジャマイカ)が21秒74で連覇した。 (了)

山田、主将の働き=ソフト〔五輪・ソフトボール〕
時事通信(08月22日00時22分)

 山田が主将らしい働きで日本の金メダルに貢献した。4回、苦手にしていたオスターマンから中堅へ会心の一発。エース上野をはじめとするナインを勢いづけた。
 主将としていかにチームを引っ張るか悩んだ時期もあるが、今回大会直前のけがで代表から外れた内藤に相談し、「すべて出し切ればいい。自分自身を貫こう」と吹っ切れたという。
 2度目の五輪。最後は宿敵との決勝の舞台で活躍。「うれしかった。自分たちのプレーを出し切ればと思っていた。プレーで引っ張っていけたと思う」と声を弾ませた。(北京時事)

鉄腕エース、大願成就=上野、「金」の連投−ソフト〔五輪・ハイライト〕
時事通信(08月22日00時14分)

 7回2死一塁。走者は気にしなかった。仲間が総力を傾けて奪ってくれた2点のリード。「ボール球を振らせることだけを考えた」。エース上野はこん身の投球で守り切った。肩車の上で宙に向かって腕を突き上げた。
 1回、不運な当たりが上野に襲い掛かる。1、2番が当たりそこねの連続内野安打。この無死一、二塁を無失点で切り抜けたことで日本の流れを呼び込んだ。疲れからか110キロに満たない速球を外角低めに丁寧に集めて、後続を断った。
 4回、雨のため中断。再開後、4番バストスに1点差に詰め寄られるソロ本塁打を浴びた。流れが米国に向かったかに見えたが、呼び戻すすべは心得ていた。後続をぴしゃりと抑える。6回1死満塁のピンチも、勝ちたいという気迫が勝った。
 「マウンドで鳥肌が立ちました」。世界一の瞬間をそう表現した。崩したくても崩れなかった米国の壁。前日の準決勝では延長9回で屈した。「逆に投げさせてもらったことで、きょうの投球になった」
 強豪相手に2試合の延長戦と決勝の大舞台を一人で投げ切った。打線も最後に応えてくれた。「コンディショニングがうまくいった。まだまだ投げられる感覚がある」という。
 初めて上る表彰台。選手一人ひとりの名前が呼ばれ、念願の金メダルが首にかけられた。大歓声に向かってメダルを掲げ、右手の指を一本天に突き上げた。涙は似合わない。届きそうで届かなかった金メダルが胸に輝いた。(北京時事)


声詰まらす斎藤監督=ソフト〔五輪・ソフトボール〕
時事通信(08月21日23時19分)

 斎藤監督は「悲願を達成できた。まだ実感がわかないけど、選手たちがよく頑張った」と感無量の様子だった。課題の打線が苦手のオスターマンから4回までに2点を先取。エース上野が6回一死満塁のピンチをしのいだ直後、ベンチの思い切ったサインプレーで3点目を奪うなど采配(さいはい)もさえた。
 宿敵米国を倒しての優勝に思わずガッツポーズをし、井川チームリーダーとがっちり握手。選手の手で胴上げされると笑みがこぼれた。「最後まで攻める気持ちを大事にした。自分は(現役で)銀メダルで終わったけど、選手には金を掛けさせてやりたかった」と声を詰まらせた。(北京時事)

ソフト悲願の「金」…堅守支えに上野完投、打線も奮起
読売新聞(08月21日23時16分)

 【北京=鬼束信安、梅村雅裕】ウイニングボールをつかんだ一塁手がボールをぽーんと放り投げ、選手がマウンドに駆け寄ってきた。

 「最後の五輪」でつかみ取ったソフトボールの金メダル。予選、準決勝と2連敗していた米国を相手に、2日間で3連投のエース上野由岐子投手(26)がまたも完投し、3−1で完勝した。選手もスタンドも喜びを爆発させた。

 決勝の先発マウンドに立ったのは、やはりエースだった。前日に300球以上を投げたばかり。しかし、大きな夢がかかる決勝のマウンドに立つと、疲れた表情は見せず、パワフルな米国打線に立ち向かった。

 前日の米国戦で沈黙した打線もこの日は奮起。四回に、主将の山田恵里選手(24)の本塁打で2点目をもぎ取り、エースの力投に応えた。

 初回と六回には1死満塁のピンチ。渾身(こんしん)の力を込めた球で、初回は内野ゴロとファウルフライ、六回は内野フライ二つに打ち取った。バックも堅い守りで支えた。

 ピンチとチャンスが訪れるたびに、スタンドは「ウエノコール」と「USAコール」が交錯する。日の丸に「必勝」と書いた鉢巻き姿の日本人応援団が、カッパを着ながら「頑張れー」と声を振り絞った。

 3−1で最終回のマウンドに向かった上野投手は、一度センターの方に向かって声をかけてから、キャッチャーの方に向き直った。

 最後の打者は三塁ゴロ。一塁手の佐藤理恵選手(28)が体を思い切り伸ばして送球を受けると、金メダルが決まった。上野投手は「ナンバー1」を示すように人差し指を空に向かって突き上げ、仲間の肩に担がれて満面の笑みを浮かべた。

 スタンドにいた上野投手の両親、正通さん(52)と京都(みやこ)さん(52)は勝利の瞬間、抱き合って喜びを爆発させた。

 「本当に金メダルを取るなんて…」としばらく絶句する京都さんの横で、正通さんは「がんばった姿を知っているので、うれしいの一言。すごい娘になりました」とまな娘をたたえた。
posted by 9組の秋六 at 07:51| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月23日

祝・ソフトボール「金」■記念大特集T・関連記事10連発一挙掲載!!

fuji_00320080822006080822_outr.jpgyamada_eri_jiji_6336991.jpg画像は、時事通信社。

高めのボール玉を打った殊勲の山田恵里選手(24)の本塁打打法は、これぞニッポン女子の秘技「ダイコン打ち」!!

昔の女の子は、ダイコン打ちしかできなくて空振り三振が多くてね、見ちゃいられなかった。
でも、女子ソフトプロ恵理選手が使うとお見事、ホームランにしちゃんだね。伝家の「秘技」復活に万々歳!!

 次の恵理選手のプロフィールは、選手名鑑より。


氏名 山田 恵里 所属 日立ソフトウェア
よみがな やまだ・えり 最終学歴 神奈川・厚木商高
性別 女 身長 165センチ
競技 ソフトボール 体重 58キロ
種目 生年月日 1984/3/8
ポジション 外野手 出身地 神奈川県
主な戦歴 2004年アテネ五輪代表。

http://news.biglobe.ne.jp/special/beijing2008/player/softball/index_2.html



 ソ・決勝戦の生中継の視聴率は、な、なんと47.7%を記録。国民の半分が・・・、この辺の数字のことはよくわかんないけど、とにかく大半の人が勝利に酔い痴れたということではないのかな。

陸上の男子400メートルリレーの朝原らの銅メダルも特筆ものだけど、タナボタは否めない。

星野ジャパンは、もともと偏狂な「勝利の方程式」が狂ってのまさかの逆転負け?
たしか、投手コーチは、大野だったな。戦犯はこいつ、とかいう気持ちはさらさらないけど、その辺はじっくりとね、じっくりとやりましょうよ。

 ソフトには、絶対的な守護神上野投手がいたし、ダイコン打ちのホームランバッター恵理外野手がいた。西山も鉄壁の守りもあった。数学ではなく、全員が一丸となっての化学的な超物質Qが誕生してのだいしょうりだろう。

チーム野球の面白さを再確認したね。

 アメリカへのコンプレックスを跳ね除けた・・・、そんな大興奮を拙ブは永久保存することに。


次は、第一回祝大特集・関連記事10連発!!


記者会見で金メダルをかじるソフトボール日本代表=2008年8月22日午前11時25分、藤生竹志撮影


<五輪ソフト>エース上野「重みのあるメダル」
毎日新聞(08月22日18時04分)

 初の金メダルを獲得したソフトボール日本代表が22日、北京市内のJOCジャパンハウスで会見し、改めて優勝の喜びを語った。

 21日夜の決勝で米国に完投勝利を収めたエースの上野由岐子(ルネサス高崎)は、前日の準決勝、3位決定戦からの3試合を1人で投げ抜いた。次回の12年ロンドン五輪では実施競技から外れることを受け、上野は「みんなが金を取りたい一心で、必死にプレーした結果。いろんな意味で、重みのあるメダルだった」と振り返った。

 また、斎藤春香監督は「北京五輪は一つの区切り。これから復活を目指すためにも、日本が金メダルを取って、多くの人にソフトボールの素晴らしさを知ってもらいたいと思っていた」と話した。

 ウイニングボールを手にした一塁手の佐藤理恵(レオパレス21)は「感極まって、空に投げてしまった」と言う。佐藤によると「気付いた審判が拾って、マネジャーに渡したと聞いている」とのことだが、まだ斎藤監督の手元には届いていないという。【堤浩一郎】

大会1番の輝きは、胸に金メダルの上野のものだった(浅野直哉撮影)

■ソフト上野、鉄腕伝説…8年後、正式競技復活の切り札
夕刊フジ(08月22日17時00分)

 【北京=宮脇広久】「祭りの後」は−。ソフトボール日本代表は、正式競技採用以来、3大会連続で金メダルを獲得していた米国を決勝で破り、初の金メダルを獲得した。2日間で3連投、計413球を投げた鉄腕・上野由岐子投手(26)は一気に国民的ヒロインの座へ。ところが、ソフトボールは次回の2012年ロンドン五輪で正式競技から外されてしまう。成し遂げた快挙と、不透明な将来には実に気の毒な格差がある。
 まさに神様、仏様、上野様と奉りたくなった。上野は20日、午前9時半試合開始の準決勝・米国戦で延長9回147球の熱投も実らず1−4で敗れると、試合終了約5時間後には豪州戦のマウンドへ。ここでも延長12回、171球を投げ抜いた。

 そして勝ち上がって迎えた21日の決勝・米国戦で7回95球の完投勝利。試合終了は午後8時25分。2日にわたる34時間55分内に、28イニング計413球を投げたことになる。対照的に米国は2投手の継投で、2日間でアボットが10イニング、オスターマンが6イニングと分け合った。

 それでも上野は「今回はコンディションがいい形で調整できた。そういう意味では、まだまだ投げられる可能性はあります」と言い切ったのだから、恐れ入る。五輪史に残る力投伝説だ。

 しかし、ソフトボールは野球同様、今大会限りで五輪正式競技から外される。4年に1度の世界選手権が2年後に迫っているとはいえ、世間の注目度、盛り上がりは、五輪とは雲泥の差。最大の目標を失う彼女たちは、いったいどこへ行くのか。

 金メダルを獲得した選手には、JOC(日本オリンピック委員会)から報奨金、1人300万円が贈られる。JOC関係者は「日本ソフトボール協会から別に報奨金が支給される可能性がありますが、野球やサッカーと違って、ソフトには有力なスポンサーが付いているわけでもなく、懐が寂しいのが実情。いずれにせよ、多くは望めないでしょう」と気の毒な背景を打ち明けた。

 前日本代表監督の宇津木妙子氏は、上野が所属する日本女子リーグのルネサス高崎の総監督で恩師。

 宇津木氏は「余程の精神力がなければ、あれほどの連投はできない。日本のソフトボール界のためによくやってくれました。ソフトが正式競技から除外される理由のひとつは、過去の五輪で米国以外に金メダルを取る国がなく、ひとり勝ちだったから。そういう意味で、この金メダル獲得には大きな意味がある」

 「日本にも上野のような凄い投手がいることもアピールできた。ソフトを普段見ない人たちにも感動を与えたと思いますよ。世界選手権が2年後に迫っていることだし、16年の五輪でソフトが復活するかどうかはわかりませんけど、せっかくここまで来たのだから、米国に勝てるレベルを維持できるよう、強化を続けなければなりません」と一気にまくし立てた。

 00年シドニー五輪で銀メダルを獲得した際には、「女大魔神」と異名を取った高山樹里投手をはじめ、選手たちがテレビのワイドショーで盛んに取り上げられるなど、時の人となった。だが、日本リーグにまで注目するファンは稀で、ブームの潮が引くのも実に早かった。

 かといって、野球のように「メジャー挑戦」なんて夢もない。むしろ、練習環境の良い日本リーグのチームに、米国や豪州の代表経験者が来日して加入しているほどだ。

 上野の父・正通さん(54)は、スタンドで愛娘の晴れ姿に目を潤ませながら、「無敵の米国が負けたのですから、悔しがって8年後には、意地でも正式競技に復活させるのではないですか」と望みをつなぐが、既に代表では中堅にあたる上野は、8年後には34歳。現役を続けているかどうかは微妙だ。

 「親の心境としては微妙です。花嫁修業をしてほしい気持ちも当然ある。今まではこの五輪にすべてを捧げてきた。彼氏なんかもいないようですが、最大の目標にしてきた大会が終わったことで、そっちの方向に行くかもしれませんね」とも。

 タフネスだけでなく、世界最速といわれる球速119キロを誇り「オリエンタル・エクスプレス」の異名を取る上野にとって、目標とする8年後は、あまりに長い。このまま埋もれさせるのは、あまりにも惜しい人材だ。熱しやすく冷めやすいといわれる日本人気質。どこかに格好のヒノキ舞台がないものか−。

五輪ソフトボール日本代表会見 みんなの思い集まったメダル
産経新聞(08月22日16時05分)

 ■上野「いろんな意味で重い」
 【北京=川越一】北京五輪のソフトボールで悲願の金メダルを獲得した日本代表15人が、優勝決定から一夜明けた22日午前、北京市内のホテルに設けられたジャパンハウスで記者会見し、改めて優勝決定の瞬間を振り返った。

 21日の決勝、米国戦。七回二死、最後の打者を三ゴロに打ち取った。ウイニングボールは一塁手の佐藤理恵(レオパレス21)のグラブに収まった。だが、感極まった佐藤は、ボールを空高く投げてしまった。「審判のコールを聞いた瞬間に、感極まって空に投げてしまったんですよ。その後、審判が取ってくれて、それをマネジャーに渡してくれたと聞きました。で、監督に最後のウイニングボールは監督にいくと思います」と佐藤。

 しかし、目の前で事の次第を聞かされた斎藤春香監督は目を白黒させた。「まだ、いっていないんですね…」と佐藤。日本のソフトボール史に残るウイニングボールが“行方不明”になっていることが明らかになった。

 一夜明け、興奮が静まった選手たちには金メダルの実感がわいてきた。エースの上野由岐子(ルネサス高崎)は「思っていたよりもいろんな意味で重いです」。4番の馬渕智子(日立ソフトウェア)は「一緒に頑張ってきたみんなの思いが集まったメダルだと思う」と話した。上野の“女房役”を務めたチーム最年少、20歳の捕手、峰幸代(ルネサス高崎)は「自分だけの夢じゃない、いい色のメダルを取れて心から本当にうれしい」と振り返った。

 しかし、悲願達成にも、喜んでばかりはいられない。ソフトボールは今大会を最後に夏季五輪の正式競技から除外されてしまうのだ。斎藤監督は「ソフトボールは一つの区切りで五輪からなくなってしまうけど、この15人が復活に向けて頑張ってくれると思う」といって選手たちに視線を向けた。

■思ったより金メダルは重い…ソフト日本チームが会見
読売新聞(08月22日13時15分)

 北京五輪のソフトボールで金メダルを獲得した日本代表選手が決勝戦から一夜明けた22日、北京市内のジャパンハウスで記者会見した。

 準決勝から3連投し、413球を投げ抜いたエースの上野由岐子(ルネサス高崎)は、優勝の実感と金メダルの感想を聞かれ「最後のバッターを討ち取ったときに、(優勝を)味わった。(金メダルは)思っていたよりも重い」と白い歯を見せた。

 斎藤春香監督が決勝での上野の3連投を決めたのは、当日の午前中だったという。上野は「予選から決勝に出るつもりだったので心の準備はできていた。(決勝当日の朝は)自信を持って、いいコンディションでマウンドに立てた」と明かした。

 ソフトボールはロンドン大会では正式競技から外れることが決まっているが、「北京が最後になるのは残念だが、アメリカに勝つことが五輪での競技復活ということを聞いていたので、優勝してうれしかった。これからはソフトの復活のために頑張りたい」と語った。

 記者会見に先立ち、選手たちはジャパンハウスでのトークイベントに登場。北京日本人学校の生徒から優勝記念のパネルを手渡された斎藤監督は、感極まって目を真っ赤にし「うれし泣きは初めてのこと、生徒たちの思いもあり再びこの地にやって来られた」と改めて優勝の喜びをかみしめていた。(メディア戦略局編集部 林宗治)

上野「心からうれしい」=一夜明け、金メダル実感〔五輪・ソフトボール〕
時事通信(08月22日13時03分)

 【北京22日時事】北京五輪で悲願の金メダルを獲得したソフトボール日本代表が22日、北京市内のホテルで記者会見し、エースの上野由岐子(ルネサス高崎)らが歓喜の瞬間から一夜明けた感想を語った。
 延長2試合を含め決勝トーナメント3試合を一人で投げ切った上野は「選手みんなが金メダルを取りたい一心でプレーした。たくさんの人の思いを背負っての金メダル。心からうれしかった」と喜んだ。
 金メダルの実感は「最後の打者をアウトにした時」と上野。今後の目標を聞かれると「五輪のために我慢してきたこともあった。心の底からソフトボールを楽しみたい」と笑みがこぼれた。
 2012年ロンドン五輪では実施競技から外れる。「米国に勝って金メダルを取ることで(五輪に)復活の兆しがあると聞いていた」と上野。斎藤春香監督も「区切りとなる大会。復活するためにも、日本が優勝することを考えて臨んだ」と話した。(了)
女子ソフトの最高視聴率47.7%〔五輪・ソフトボール〕
時事通信(08月22日11時55分)

 日本が優勝した21日の北京五輪女子ソフトボール決勝戦の中継放送(NHK総合)の平均視聴率は関東地区で30.6%、関西地区で25.0%、名古屋地区で30.9%だったことが、ビデオリサーチの調べで22日分かった。最高視聴率は47.7%(関東地区)だった。

上野413球投げ抜いた!日本「金」…ソフトボール
スポーツ報知(08月22日08時00分)

 ◆北京五輪 ソフトボール決勝 米国1−3日本(21日・豊台ソフトボール場) 鉄腕・上野だ、日本金メダルだ−。日本は前日20日に2試合を投げた上野由岐子(26)=ルネサス高崎=が、完投し2日間413球の熱投。打線も山田恵里(24)=日立ソフトウェア=のソロ本塁打などで3点を奪い、宿敵・米国を振り切った。球技としては1976年モントリオール大会女子バレーボール以来のV。2012年ロンドン大会で実施競技からいったん外れる最後の戦いを制した。日本の今大会での金メダルは9個となった。

 上野を中心に日本ナインの歓喜の輪ができた。もみくちゃになりながら空に手を突き上げた。ピンと伸びた人さし指が金メダルの証しだ。「鳥肌が立ちました」自身の夢、日本の夢が結実した感覚が体中を襲った。

 魂の投球だった。前日の準決勝・米国戦、3位決定戦のオーストラリア戦はともに延長を戦い、21イニングで計318球を投げ抜いた。激闘から一夜明け、再びグラウンドに立った。「思ったよりも体力を消耗していた」MAX119キロの剛速球はもう投げられない。その代わり100キロ台の球で丁寧にコーナーをついた。1回、いきなり迎えた1死満塁の大ピンチにも変化球を交え、後続を抑えた。4回、雨で18分の中断をはさんだその裏、バストスに一発を浴び、さらに6回1死満塁のピンチも「ホームランだけは打たれない配球」を心がけた95球の力投。「まだ投げられる感覚はある」と“鉄腕”は言ってのけた。

 10年越しの一戦だった。シドニー五輪前に日本代表候補に入ったが、当時高校生だった上野は、体育の授業中に腰ついを骨折した影響で断念。アテネでは1次リーグで対戦があったが登板はなく、日本は3位決定戦で敗退。「米国とやってみたい。自分の力を100%出して、どこまで通用するか試したい」金メダルだけを追い求め、五輪用のユニホームにはベルトのないタイプをリクエスト。「米国対策」で磨いた変化球を投げると右ひじ内側がベルトに当たるからだった。

 試合後は斎藤春香監督(38)を3度胴上げ。自分を信じ、連投させてくれた指揮官に感謝した。さらにほかにも金メダルをささげたい人がいた。恩師で所属するルネサス高崎の宇津木妙子総監督と宇津木麗華監督だ。シドニー、アテネと日本代表を率いた宇津木総監督は、前日、上野にメールを送った。「かなえられなかった夢を託すから」上野は投球で応え、その夢をかなえた。「総監督と監督の気持ちを背負ってこれたことに感謝しています」母・京都(みやこ)さんが「勝っても絶対に泣かない子」という上野の目に涙が光った。宇津木総監督もバックネット越しに手を振るまな弟子の姿に「本当にありがとう、と言いたい」と涙した。

 中学の卒業式の答辞で「自分の夢はソフトボールで五輪に出て感動を与えたい」と誓った上野の夢はかなった。「2016年に戻ってくることを期待して次につなげたい」ソフトボールファンの夢がつまった金メダルは、上野の胸で一際輝いていた。

 ◆上野 由岐子(うえの・ゆきこ)1982年7月22日、福岡市生まれ。26歳。9歳のときにソフトボールを始め、柏原中3年で全国大会優勝。九州女高に進み99年世界ジュニア選手権V。2001年、日立高崎(現ルネサス高崎)入り。02年の世界選手権、中国戦で完全試合達成。同年の釜山アジア大会金メダル。アテネ五輪1次リーグ、中国戦でも完全試合を達成し、銅メダル。06年の世界選手権は銀メダル獲得。174センチ、72キロ。右投右打。

星野監督 ソフトの上野「うちにも欲しい」
スポーツニッポン(08月22日06時00分)


 【北京五輪 野球】女子ソフトに星野ジャパンも続くぞ!韓国との決戦前夜、ホテル内でくつろいでいた星野監督は日本勢9個目の金メダル獲得の一報を聞くと、思わず笑顔を見せた。
 「野球とともにロンドン五輪から外れてしまう女子ソフトがなあ。あとに続きたい。励みにしたい。うちの選手も見とるやろ」。野球とともに最後になるかもしれない北京五輪。闘将も“アベック金”を胸に秘めた。
 2日で3試合を完投したエース上野には「剛腕というか、日本女性の強さを世界に見せつけた。うちにも欲しいね」と声を上ずらせた。20日に米国にタイブレーク方式で敗れてからの頂点。星野ジャパンも20日に同じように米国に敗れているだけに「オレたちと一緒やないか。凄いぞ、女子ソフト」。日本勢10個目の金メダルでフィナーレを飾ることを誓った。

上野投手一問一答−ソフトボール〔五輪・ソフトボール〕
時事通信(08月22日01時27分)

 ソフトボールで悲願の金メダルを獲得した日本のエース、上野由岐子投手の一問一答は次の通り。
 −決勝はどんな投球を心掛けたか。
 きのうのオーストラリア戦(3位決定戦)で思ったより体力を消耗した。スピードよりも回転、切れで勝負しようと。スピードが落ちる分、変化球を交えて制球良く、いかにボール球を振らせようかと思った。
 −2日間で3試合を投げ切ったが。
 日本では3日間で5試合ということがある。球数的には苦しくなかった。ただ、世界のトップ選手がいる五輪でこれだけの球数なので、体力だけでなく、精神的に頭がパンクするぐらい疲れた。
 −3連投できた理由は。
 球数は多かったが、気持ちの面で勝り、疲労感もなかった。勝ちたい、負けたくないという気持ちで投げ切れたと思う。
 −一番つらかったのは。
 アテネ五輪後、次の五輪という目標が遠過ぎて、モチベーションを上げるのが難しかった。五輪で金メダルという自分の夢との間を何度も行き来して、保ってくることが一番難しかった。(北京時事)
広瀬、渋い働き=ソフトボール〔五輪・ソフトボール〕
時事通信(08月22日01時00分)

 五輪初出場の27歳、広瀬が渋いプレーで盛り上げた。7回1死二、三塁で三塁走者として打者・藤本との間でサインプレーを決めた。投手が投げた瞬間スタートを切り、ボール球を体勢を崩しながらバットに当てた藤本の投ゴロで本塁へ。思い切ったスライディングで敵失を誘い、貴重な3点目のホームを踏んだ。「捕手にぶつかっていくような体を張ったプレーだった。ああいうプレーはチームを勢いづける」と斎藤監督。
 その裏には三塁右への強烈なライナーを好捕。7回の安打といい、勝利を呼ぶ活躍だった。(北京時事)
posted by 9組の秋六 at 06:35| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月22日

ソフトボール金■熱闘を制した熱投・福岡県出身の上野由岐子選手大活躍!!

ssp_00120080822010080822_outr.jpg陸上のボルトの世界新の走りには、しびれた。人類未踏のそこ、神の領域に踏み入れさせたものは、鍛え上げた筋肉の爆発的な躍動ではなく、勝利を早々と確信しての筋肉の弛緩でなかったのか?

 水泳の北島康介も世界新の泳ぎはすごかった。スイマーに求められるのは、陸上短距離選手に求められるような筋肉質なボデイではない。脂の乗った丸みのある筋肉質のボデイだろう。

 この女もある意味世界新の走りをやってのけた。ソフトボールの上野由岐子投手だ。決勝までの三試合連投は、なんといっても脂肪効果だろう。

 スポーツにおける筋肉神話が崩れ去ったということにしておくか。


■ラスト五輪で金!上野413球熱投/ソフト
サンケイスポーツ(08月22日08時00分)

 日本、悲願の金メダル。この2日間で3試合目の先発を務めたエースの上野由岐子(26)=ルネサス高崎=が、3大会連続金メダルの強豪・米国を抑え、日本が3−1で勝利。正式競技として最後の大会で、“有終の金メダル”を獲得した。2000年シドニー五輪銀、04年アテネ五輪銅と、あと一歩で泣き続けた日本が、ついに射止めた頂点。五輪史にも、記憶にも残る、まばゆいばかりの勲章となった。
 夢じゃない。三ゴロに飛びついた広瀬が、一塁へ送球。優勝だ! 審判のアウトのコールもかき消されそうな大歓声の中、上野は天からのプレゼントを受け取るように、両手を夜空へ突き上げた。五輪3連覇中だった米国に3−1勝利。日本ソフトボール界が待ち望んできた金メダルが、ついに現実になった。

 「鳥肌が立ちました。球数よりも気持ちが勝っていて、全然疲労感がなかった。負けたくない気持ちがあったから、投げ抜けたと思います」

 前日の準決勝、3位決定戦で21回計318球の熱投。決勝も託された以上、誰にも譲る気持ちはなかった。一回、先頭のワトリーから2者連続で平凡な当たりが内野安打になる不運。野選も絡み一死満塁のピンチを招いたが、丁寧にコースを突き、無失点で切り抜けた。六回にも一死満塁の大ピンチを招いたが、6番・ダランを遊飛、巨漢のヌーブマンも二飛と、球威で圧倒。95球の熱投で勝利をもぎ取った。

 4年前の借りを返した。初出場したアテネ五輪は体調を崩して点滴を打ち、決勝トーナメント中に右腕をハチに刺される不運。中国戦で完全試合を達成しながら、米国戦での登板機会はめぐってこなかった。不完全燃焼で銅メダルとなった翌日、宇津木妙子監督(当時)から「北京では、おまえがやり返すしかない」と諭された。

 以来、打倒・米国が最大の目標だった。日本の五輪での対戦成績は過去1勝5敗。今大会は徹底して米国対策を練り、1次リーグは首脳陣の“上野隠し”の作戦で登板を控え、コールド負け。準決勝ではMAX114キロの剛球で、延長タイブレークまで持ちこんだ。味方の援護がなく、九回に4点を取られて根負けしたが、光明は見えていた。決勝では4年間の思いを乗せた投球だった。

 人生を決めた、あこがれのメダルだ。幼稚園のとき、父がソフトボール大会で獲得した金メダルに目を奪われた。「私も、お父さんより多くメダルを集めたい」。まもなく、マラソン大会で優勝。紙でできた人生初の金メダルを持って、父に自慢した。中学の卒業式では、クラス代表で答辞に立ち、「目標は五輪に出て金メダルを取ることです」。ちょうど10年。旧友に誓った夢が、胸元でキラリと光った。
posted by 9組の秋六 at 12:11| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

ソフトボール金■福岡県出身の上野由岐子選手大活躍!!

ym_20080821-3971387-1-N.jpgソフト日本、米破り初の金メダル読売新聞(08月21日21時48分)

 北京五輪のソフトボールは21日、決勝戦が行われ、日本が米国を3−1で破り、初の金メダルを獲得した。米国の4連覇はならなかった。

 日本は前日に2試合を完投したエース上野由岐子(ルネサス高崎)が先発。三回に1番狩野亜由美(豊田自動織機)の適時内野安打で先制し、四回には3番山田恵里(日立ソフトウェア)の中越えソロで1点を追加。1点差の七回にも、敵失などで3点目を入れた。

 上野は、バストスの右越えソロ1点に抑え、7回を投げきった。

画像は読売●。
3回2死3塁、狩野亜由美の適時打で先制の生還を果たした西山麗(背番号4)を大喜びで迎えるナイン=大野博昭撮影


上野の戦績■日本のエース。ウインドミル投法から繰り出される速球は120キロ前後と、世界でもトップクラス。ソフトボールはピッチャーとバッターの距離が野球より5メートル以上も短く、ソフトボールの球速120キロは、体感で160キロとも言われる。2001年に実業団リーグで2試合連続の完全試合を達成、その年の新人王に選ばれる。2004年アテネ五輪代表に選ばれ、1次リーグの中国戦で五輪史上初の完全試合を達成して世界の度肝を抜いたものの、チームは銅メダルに終わった。2012年のロンドン五輪ではソフトボールが実施競技から外れるだけに、北京では金メダルへの意欲を燃やす
「選手名鑑」http://news.biglobe.ne.jp/special/beijing2008/player/softball/index.html
posted by 9組の秋六 at 22:44| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月16日

ある数学教師の目■恐るべき生徒 教師キラーの青木佳久君

70602 196.jpg青木佳久は、席順に課された宿題の、数学Tのテキストの問題を黒板の上に計算過程と導き出された答とを書いて、自分の席に戻ろうとしていたところ、背後で、
「丸暗記して、答えを書き写した者がいる」
 と、数学教師の武藤の皮肉る声が聞こえた。

 その時の佳久は自分のことかと思ったが、「そういうテメーだって、すらすらと解いているではないか」と不満を持った。

 佳久は高校三年の新学期に、私立の福州工業高校から進学校では有名な修友高校に転入した生徒だった。
 武藤が単純に「お前のアタマで解ける問題ではない」と思ったのも無理からぬことである。

 福州工高時代の佳久は、不登校生徒だったが、大検合格を目指して独学で励んでいたところ、いつの間にか大学受験レベルの学力が身についていた。

 そんなことがあってか、佳久は武藤から何一つ学ぼうとは思わなかったし、武藤の方も佳久に対してことさらに教え込むことはなかった。

 いずれにしろ、佳久にとって学校教育とは、帯に短し、襷に長しであった。

 ある秋の日のこと、こんな簡単な問題もできぬのかと、武藤はいわゆる出来の悪い生徒を名指しで攻めていた。
 といっても、いつになくべたべたした授業のおかげで、教室の中は大盛況であった。
 そんな空気に動かされて、佳久がふと顔を上げ、黒板の上に書かれた不等式の問題に目を留め、すぐさま洗ってみると、元々の式が狂っているために答えが出ないことが分かった。
 それに要した時間は、2、3秒であったろうか。
 そこで彼はやんわりと指摘してやった。無論、お返しの意味もあった。

 すると武藤は、これまたすぐさま呑み込み、次の瞬間には、答えのある不等式の問題に作り変えていた。
 黒板に向けた顔を振り向きざま、「これでどうだ」と言わんばかりに佳久に向けられた、武藤の目は烈しい憎悪の炎で燃え上がっていた。


 佳久は翌春の大学受験に失敗した。
 武藤の目にかなうように、落ちてやったというべきであるかもしれぬ。
posted by 9組の秋六 at 16:57| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月10日

中島虎彦の死を悼む

nakajimatorahiko top.jpg画像は、数少ない友人のひとり、中島虎彦氏
障害者の文学『虎の巻』より借用。

http://apiarance.web5.jp/torahiko/

盟友ともいうべき中島虎彦が亡くなった。なんていうことだ。
私は中島から「マゾチックな書き方」と自由を奪われてもなおかつ生きてあることが幸福であるような「絶対的な幸福」を学んだ。
クソッタレメ!
心より冥福を祈る。

「2007年3月、脳出血にて急逝された。53歳、早すぎる船出だった」

■中島虎彦 追悼

佐賀の詩人中島虎彦氏の死を知る。学生時代に体操部での練習中に脊髄を損傷し生涯にわたって車椅子による生活を余儀なくされた。「障害者の文学」と呼ぶカテゴリーを立て、そこであらゆるジャンルにわたる作品を書き続けた。小説や詩、短歌といった文学的なジャンルよりも上位に、健常者と障害者という社会的なカテゴリーを置くこと、そこに中島氏の思想的な核心がある。芸術への過剰な思い入れは、その背後に挫折者の絶望的な自己救済を隠し持っているとしても、普通なら練達した芸術的表現は社会的な差別や劣等意識からの逃避を完成してしまう。ところが中島氏はけっして逃避しない(プロ化しない)という決意によって文学に登場した。それは、文学にスポーツマンシップを書き加えたのである。

彼岸花にはアゲハ蝶がよく似合う私に車いすが似合うように
歌(詩?)としては二流の作品だが、その自嘲、自嘲をさらす傲慢、弱者の強さ、そして思想的強靭さの中の弱さを表現してそれは評価に値する。中島氏は社会への抵抗を、芸術的抵抗に仮託したのだと思う。なぜか文学は挫折者の天下り先なのだ。そして挫折の昇華を賭けられた文学は、悲劇的にも停滞の文学となる。真の挫折は、芸術的抵抗の先にこそあるのかもしれないのに、そこに行き着くことはなかった。

直接面識はなかったが共通の知人は何人もいた。ぼくの詩の引用や評も書いてくれた。障害者の文学「虎の巻」

なお、私はこの五月から新築の嬉野市営住宅で自立生活に踏み切りました。もう十年ぐらい前から市に要望していたのが、ようやく実ったものです。やはり何事も諦めてはいけませんね。五二歳からの遅い船出ですが、まだまだ人生はこれからです。
第二歌集『とろうのおの』あとがき
追悼文は、『坂のある非風景』より全文引用

http://freezing.blog62.fc2.com/blog-entry-280.html
posted by 9組の秋六 at 13:33| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月08日

さいたま・カンニング高3男子自殺裁判●カンニングのどこが悪いのか?

緊急提言●テストは、オールカンニングを許可せよ

文化とは、大脳への記憶の負荷を解くことにより発達しています。

 文字のない時代は、神話や長篇叙事詩などを世代から世代へと語り継ぐために、大脳にデータを”保存”していたわけですが、文字の発明ならびに紙の発明、それらの相次ぐ利用で、わが国では初の古文書「記紀」が誕生しました。

 文字のない時代では、到底考えられないことが起きたのです。大脳に蓄えていた大切なデータを紙の上に”保存”できたのですから。

 この効果は、大事なデータを大脳から削除して、別のことに使う道を切り開いたことです。
 そして、データが必要になったときは、想起ではなく、ペーパーの上の文字を目で追い、必要な箇所を抜き出せばいいのです。

 これは何かというと、わが国で起きた最初の”カンニング”です。
 カンニングが可能になったからこそ、大脳は忘れるコツを習得したのです。

 印刷機やコピー機やパソコンの発明や利用の意味するところは、大脳はデータの保存場所ではなく、”忘れよ”であり、”空にせよ”ということではないでしょうか。

 少なくとも、時代の流れは、天才的な記憶術を必要としなくなったことです。
 
 では、学生の大脳を棒暗記という記憶の負荷から解放して、”空”と化した場所に何を詰め込むべきか、と心配する方が多いと思われますが、そういう機能を大脳に求めることがすでに時代錯誤ということです。

今求められている教育は、保存されたデータを活用して、一歩先を行く知性を養うことだと思っています。

ですから、今の時代に必要な教育理念とは、”忘れよ”と”カンニングせよ”の二つではないでしょうか?

 確か、八幡大学(現九州国際大学)付属高校の改築工事で働いていたとき、校門の横に置かれた石碑に、”学”べという言葉がないのに驚いたことがあります。
 万葉仮名で刻まれているため、読めない文字がありましたが、私は”遊べ、・・・忘れよ”と読みました。

 無論、いい学校だと思いました。


 そういうことです。

 この見方に立てば、たかがカンニングぐらいで、生徒を追い詰め、自殺に追いやることはなくなるのではないでしょうか。


 近い将来、カンニングの才を競う時代が到来するとみています。


■高3男子自殺裁判、請求棄却で母親は
 「二男が自殺したのは、教師にカンニングを疑われ執拗に追及されたからだ」。4年前の高校3年の男子生徒の自殺を巡って母親が損害賠償を求めていた裁判に判決です。さいたま地裁が下した結論に、母親は怒りを露わにしました。

 井田紀子さん。4年前、最愛の息子を亡くしました。

 「『どういう結果になるか分からないけれど見守っていてね』っていうことで報告しましたけれども」(井田紀子さん)

 井田さんは今も、将紀君から届いた最後のメールを大事にとっています。

 「『ごめんね』なんて謝ることでも何でもないのに、(メールを)消すことはありませんが、なかなか見られないです」(井田紀子さん)

 正紀君は4年前の5月、県立所沢高校の中間テストでカンニングを疑われました。物理の試験中に消しゴムに巻いた日本史のメモを見ていたためでした。

 「カンニングはしていない」。そう主張しましたが、教師5人からおよそ2時間にわたって事情を聞かれました。そして、夕方、母・紀子さんにメールを送信後、飛び降り自殺しました。

 紀子さんは、将紀君の死が教師の執拗な追及で精神的に追い詰められたためとして、県を相手に8000万円の損害賠償を求める裁判を起こしました。

 「追い詰めたものがあったんですよね。やはりそれが何だかってことがちゃんとはっきりさせたいな、と思っています」(井田紀子さん)

 裁判所の判決は、「原告の訴えを棄却する」でした。理由としてさいたま地裁は、「教師による事実確認は、適切・慎重に行われたもので、違法だと言うことはできない」と指摘しました。

 「やっぱり子供が結果、死んだ指導っていうのは、正しいとは言えないと思っております」(井田紀子さん〔判決後の会見〕)
 (30日18:10)

[080730日19時16分更新]TBSnews
posted by 9組の秋六 at 09:41| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。