2008年12月08日

NHKスペシャルドラマ「最後の戦犯」を読み解く■メッセージは?

topimg02.jpg本当は、眠りたいんだ。たっぷりと睡眠をとって体力を温存して、日中のハードな仕事に備えたいんだけど、できないところが人間の哀しさというか、個人的なことはどうでもいいということにしておくか。

オレ自身の感動というものが信じられなくなって久しい。というよりは、感動を狙った物語というものに対して懐疑的になっているというべきか。
これは高校のときからだ。ということは、この時から、オレのアタマは狂ってしまったといえるかも。
もともとアメリカ映画のエンタメが好きな方だから、NHK風の教育番組?は苦手なタチ。
といっても、関係のネ〜話。

感動をまとめるのは、次にあるように他人任せでいいと思っている。 

■拘置所のなかでの「1発の爆弾で数百人殺した人と1人の敵を殺したひと」という 会話のあとの「人を斬ったときに感じは忘れられない」という修さんの言葉が、例え 何百人でも1人でも命を奪ったものは裁かれるべきという、自分の命よりも命の重みのほうを考えた修さんは立派で強い方だなと思いました。「命の重み」ペンネーム:靖鷹

さて、NHKスペシャルのドラマの「あらすじ」によると、次のようになる。


■終戦のわずか5日前、上官の命令に従って一人の米兵を処刑した見習い士官・左田野修さん(当時22歳)。岐阜県多治見での3年半余りの逃亡生活の後、戦犯として裁かれました。日本国内での「最後の戦犯裁判」でした。

■左田野さんが獄中で綴った「告白録」が近年、発見されました。それは「個人の戦争責任」を問い続けた何百枚にも及ぶ手記でした。この膨大な手記に基づいて“敗戦国日本の戦争責任”を個人で考え抜いた一人の若者の姿を描く迫真のドラマをお送りします。

■逃亡生活で出会った人々の上に色濃く残る戦争の傷跡、“戦争犯罪人”の身内として不当な差別にあった家族の苦悩、処刑を命じた上官たちの葛藤・・・様々な人間模様を織り交ぜながら、“戦争の罪悪”を問いかけます。


□まとまらぬ分析ノート
・アメリカ人を一人を殺すと、戦犯として罪を着せられる。
(無論、アジア人だと、何人殺しても・・・という意味ではない)
・戦犯をボスとリーダーの双脳的な「共謀罪」として読み解くと、上官たるボスの頭はアル中でいかれており、処刑を酒の肴にするような俗物であるが、リーダー役を務めるマジメな見習い下士官は、徹底したマジメ人間である。
(つまり、戦争責任は国へと繋がる回路が遮断されたフィクション仕立て)
・マジメな復員兵の妹の持つ明るさが「戦後」を象徴し、姉の持つ病的な暗さは、「戦時」と対比できるならば、「戦時」の持つ意味は、「病気」ないしは「狂気」という(原話のモチーフと違った)番組制作者の意図が透けて見えることになる。
・マジメな復員兵には、父親がいない。この不在は、父神の不在を告げるはずで、倍賞千恵子の演じる母親は母神である。役割は、息子の守護神である。


結論は、今日的な犯罪は、狂った頭部の持ち主とマジメな復員兵の共謀によって引き起こされているということか?

遅松


吉村修(24)(ARATA)は昭和20年8月10日、福岡郊外で捕虜米兵の斬首を上官から命令され、日本刀を振るった。7月に見習い士官として配属されたばかりの修にとって、人生でたった一度の殺傷行為だった。
戦後、進駐軍は「捕虜を虐待したものは、当事者その人に責任がある」として“戦争犯罪人”に厳しい処分を課した。
21年早春、元上官の加藤(石橋凌)は修たちに逃亡を命じる。責任をうやむやにしようとする加藤に対して、納得できない思いを抱えながらも、逃亡するしか生き延びる道はない。修は岐阜県多治見の陶器工場で職人修業をしながら、復員兵「松田忠之」として身を隠す。


修は先輩の職人・仙造(村田雄浩)に真面目な働きぶりを見込まれ、また社長・岡田(中尾彬)にも信頼を置かれるようになるが、もう一人の自分を演じることに苦しみを感じる。
一方、故郷の福岡では修の母・波江(倍賞美津子)たちが“戦犯の家族”として過酷な暮らしを強いられていた。小学校に勤めている妹・安子(前田亜季)は後ろ指さされることに耐え切れず辞表を出すことを余儀なくされる。姉・静子(原沙知絵)は病身にもかかわらず警察に執拗な取り調べを受け、心労のため息絶えてしまう。母・波江もまた拘留され、拷問にも等しい取り調べを受ける。


横浜では軍事裁判が始まっていた。修はラジオで、元上官・加藤や同僚・篠崎(新井浩文)たちが逮捕され、裁判で死刑の判決が下されたというニュースを聞く。自首か自殺か、いずれかの道を選ばなければ己が壊れそうなほどの衝撃。苦悩が最高潮に達した時、陶器工場に刑事が姿を現す。


逮捕された修は法廷で、上官たちの醜い責任の擦り合いを目にする。また巣鴨プリズンで、死への衝動に駆られる同僚や朝鮮人戦犯の不条理な姿を垣間見て、自分は戦争の「被害者」ではなく「加害者」でもあることに思い至る。・・・修への判決が下される時が迫っていた。

http://www.nhk.or.jp/nagoya/senpan/
posted by 9組の秋六 at 05:02| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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