2008年07月31日

団塊世代の犯罪●6億円横領の大川 ひとみ容疑者(60)

不発の非英雄論●非英雄論の立場からこの事件をどう裁くか、ということよりも、どういう書き方をすれば受けるかに非常なる関心がありまして、ちょいとお勉強しました。

動画ニュースを見て、ああ、この「うそ泣き」の達人=おばちゃんが犯人か、と納得したつもりが、「あんな貧相のオバハン」とずばり切り込んでくるのは、すごい人だなと思いました。
 競艇用語で言えば、脇の甘いところを突いてのウルトラ技「ズボ刺し」がハイ決まりのケースですから、万州がらみの高い得点を献上したくなりますね。

横領したその手口は、なんてどうでもいいとは言いませんが、やはり、最大の関心事は横領した6億円の使い途ですよね。
 息子にだまされたといって、6億円の全部を貢いだみたいな言い方をしていますが、2チャンネルの方では、いち早く、893の「玉井のテッチャン」に持っていかれたという情報が飛び交っています。

 息子の甘えの特徴は「底なし」ですから、当然本物の「底なし」さんの893の関与が疑われるケースです。

 ですが、そんなことよりも、この話題。逃走している間に、息子はどこかの山に大金を埋めたはずだ。宝探しは・・・(「鬼読み」にお任せ?)・・・・・ってな具合。

で、すぐに、この話題も飽きて、次のお茶の間的話題にすり替え。

 「60のくせに、ひとみ!」
 「貧相の顔して、ひとみ!」
 「お前は、本当にかわいいひとみなんだから、外野席の声なんか気にするな!」
 ・・・

 結局は、「君イの瞳は、一千万ボルト♪」と歌っていた、あの古きよき時代が終わりを告げた6億円横領事件ではないかと、団塊世代のおじさんおばさんたちは振り返っているのではないでしょうか。

はやい? 

何にも知らないわかい世代が熱を上げているんですよ。きっと。


ハ~イ、この事件の関連ニュース等は、次のとおりです。




■・・・
半年余りで6億円横領している。
それができる組織のチェック体制を訝う。外郭団体の杜撰さが露見された訳だが、地権者の土地売却代金は補填されるのか。昔も同様のことがあったはずだが全く改善されていない。こんな組織解散したほうがいい。

あんな貧相なオバハンにあっさり騙されるようでは組織として情けない。
責任者がきちんと顛末説明をして身を処するべきだ。

『have you never been happy 』

http://gudden25.blog105.fc2.com/blog-entry-1512.html

■徳島・阿南東部土地改良区横領事件 元会計主任の大川 ひとみ容疑者を逮捕

徳島・阿南市の土地改良区で、事業資金などを管理していた元職員の女が、積立金500万円を着服した疑いで逮捕された。
業務上横領の疑いで逮捕されたのは、阿南市横見町に住む阿南東部土地改良区の元会計主任・大川ひとみ容疑者(60)。
調べによると、大川容疑者は2007年11月、改良区の退職積立金500万円を着服した疑いが持たれている。
着服した金は、息子の消費者金融などへの借金の返済に充てたなどと話していて、容疑を認めている。
大川容疑者は、会計責任者として、通帳や届出印などをすべて管理していた。
逮捕前、大川容疑者は「息子にだまされてね。みんなに迷惑かけて申し訳ございません」などと話していた。
大川容疑者は、改良区からおよそ3,000万円を横領した疑いで告訴されているほか、着服した総額は6億円にものぼるとみられていて、警察は余罪を追及している。
(07/23 06:26 関西テレビ)

■特別会計から手つけた 大川容疑者一問一答
 大川ひとみ容疑者(60)は逮捕前、読売新聞の取材に応じ、改良区の事業資金を着服した経緯などについて語った。

 ――改良区のどのお金から着服したのか。

 最初は特別会計から手をつけた。入っていたのは4000万円ぐらいだったと思う。穴が大きくなって、定期貯金を解約した。改良区の定期貯金はもうない。

 ――どのくらいの頻度で長男に渡していたのか。

 週1回の時期もあったし、月に10回くらいの時期もあった。金額は最初のうちは200万円、300万円、最後は800万円、900万円だった。

 ――長男について

 長男は(だれかに)踊らされているのではないか。いつまでたっても(自分が)子どもに甘くて……。だまされた私がばかだった。

(2008年7月27日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokushima/news/20080726-OYT8T00842.htm


■6億円横領、長男を組織犯罪処罰法違反容疑で逮捕
 徳島県阿南市の阿南東部土地改良区で事業資金約6億円が使途不明になる事件があり、県警は30日、元職員の母親が着服した現金を着服金と知りながら受け取ったとして、長男で無職の大川悦史(よしふみ)容疑者(31)を組織犯罪処罰法違反(犯罪収益の収受)の疑いで逮捕した。
 母親のひとみ容疑者(60)は今月22日、業務上横領容疑で逮捕されている。

 発表によると、大川容疑者は昨年11月27日ごろ、阿南市内で、ひとみ容疑者が土地改良区名義の貯金を引き出した着服金500万円を受け取った疑い。

 ひとみ容疑者はこれまでの調べに「横領した金は、多額の借金を抱えた長男に渡していた」と供述しており、県警は大川容疑者が受け取った総額や使途について追及する。

 ひとみ容疑者は逮捕前、読売新聞の取材に対し、「長男から『交通事故を起こし、3000万円の高級外車を買い取らなければならなくなった』と聞き、着服した金を渡した」などと説明していた。

(2008年7月30日22時54分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080730-OYT1T00833.htm?from=nwlb

次は、2チャンネルの傑作・拾遺集。
■52 : 普利斯頓(埼玉県):2008/07/30(水) 23:42:23.48 ID:JtvrapiA0
>>1
705 哥倫比亜広播公司(樺太) 2008/07/23(水) 18:13:16.21 ID:DQOPTzvyO
このバカ息子友達なんです。大川よしふみくんです。ちなみに横領した金の大半は893で上辺だけ友達の玉井のテッチャンにもってかれました。テッチャンは最近家建ててベンツを二台買いました
■63 : 経済学家(アラバマ州):2008/07/31(木) 00:12:36.05 ID:sNgMnpjC0
母親がインタビューで「息子にだまされた〜」って号泣してたけどさ、
それを見てた俺の母ちゃんは
「横領したのは自分。息子に渡したとしても、自分なら絶対息子の名前は出さない」って
言ったよ。普通の親なら どんなことがあっても子供のことは かばうもの。こんな親だから
息子がロクデナシなんだって。

まあ俺ニートだけど。


■77 : 戴爾電脳(dion軍):2008/07/31(木) 01:42:25.40 ID:lRkNKzA70
60のくせに、ひとみ
俺の祖母なんて名前はカネだぜ
■95 : 嘉緑仙(大阪府):2008/07/31(木) 02:22:15.78 ID:KAy5g7r60
>>91
暴力団員の平均寿命はたしか50歳もないはずだけどな


96 : 鰐魚恤(福岡県):2008/07/31(木) 02:23:38.82 ID:u+vZqeii0
>>95
なんでそんなに短いの?
抗争でバンバン死ぬ若い奴が多いからか?


97 : 花花公子(長屋):2008/07/31(木) 02:29:11.40 ID:afst95j60
逮捕じゃなくて保護っていうんだろ?こういの?テリーが言ってた


98 : 嘉緑仙(大阪府):2008/07/31(木) 02:33:08.81 ID:KAy5g7r60
>>96
地味にヤクザたくさん死んでるんだよ
派手な抗争じゃなくても。
地方紙でも目を通したら1週間でそういう小さい記事が3〜4件は載ってる。

今日もどっかの市役所の中でヤクザが借金取り立てのトラブルで
知人に刺し殺されてたってのがあった。
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1217426803/l50
posted by 9組の秋六 at 04:15| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月30日

服の宣伝■こんな服を着たおんなのこと出遭った羅、きっとお目目がハトマク!!

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posted by 9組の秋六 at 10:18| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

丁重ジョーク■フグ総理の頬 ホ〜ッ!

昔のジョーク●

−ーフグ総理の頬は、長くてかなりの面積ですから、膨らませると、まったくの別人になるんじゃないんかな。

−-何がいいたいいんだ。あっ、そうか、釣り上げた時、総理の怒った顔を見て、ビックラこいた釣り人が取り逃がすってか!


今のジョーク●

−−フグ総理って、泳ぎも達者だし、目の前にある餌にはまるで振り向かないって、永田町では”聖人”との噂に立っているみたいだけど、、君はどう思ってる?

−−そんなのは、常識的に考えてみるだけで、ウソとわかるんじゃないのかな。たとえばだよ、アメリカのデデカイ大統領なんか、餌を付けなくても釣れる魚族とみているんじゃないんかな。

−−じゃあ、中国は?

−−ああ、そうかそうか、中国はなんとしてでもフグ総理を釣り上げてみたいと思っているわな。で、釣り上げてみたら、フグ総理のお化け顔を見て、ビックラこいて某主席は取り逃がすってか!


未来のジョーク●

(丁重に付き、お休み)
posted by 9組の秋六 at 10:03| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月26日

未今昔のジョーク■黄砂・カンキセン問題

黄砂問題■昔から今のジョーク


(フグ総理の息子)「また中国の黄砂が飛来してきて、ぼくの新車がまっ黄。あ〜あ」

(中国の某主席)「ワシらには、まるで関係のないことだな。そうだな」



カンキセン問題■未来のジョーク


(オオイズミ元総理)「オラオラ、お前んとこのカンキセンの排出口を日本に向けるんじゃねえ。おかげで、日本人の顔がススで真っ黒けだ。バーロ」

(中国の某主席)「オオイズミのいうことなんか、・・・・・・(チョンチョンチョン、ホレ♪)・・・・・・」
posted by 9組の秋六 at 10:16| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月21日

未今昔のジョーク■セミと酔っ払いなど

セミと酔っ払い■昔から今のジョーク

 −-お前か、昨日の19日に公園デビューしたとかいう、ミュージシャンは?

 −-はい、夏ゼミでございます。

 −-やかましくてかなわんから、よそさ行ってやれ。



セミと酔っ払い■未来のジョーク

 −-お前か、昨日の19日に公園デビューしたとかいう、ミュージシャンは?

 −-はい、夏ゼミでございます。

 −-聞くところによると、お前はあわてて出てきたんで、胃袋をおなかに取り付けるのを忘れてきたちゅうわな。里のご両親もさぞや心配しておられよう。今すぐにでも、取りに戻れ。でね〜と、早死にをするぞ。

 −-すると、酔っ払いさんもですか。

 −-何をふざけたことをこきやがるか。わしはお前とちがって、立派な胃袋をもっておるぞ。

 −-それは失礼しました。ぼくはミュージシャンとして、「1曲を歌いきる」ために、公園デビューしました。ですから、のどがすべてなんです。のどが渇いたとき、声が出やすいように、水を飲んで、のどを潤してしまえば、後はどうでもいい作りの体の構造なんです。胃袋がないのは、教科書を忘れたりする小学生のように、忘れてきたからではありません。

 −-そうかそうか、気の毒じゃわいのお。そういわれてみると、わしものお・・・。コラ〜、夏ゼミい、わしをおちょくったな。もう許さん。よそさ行ってやれ。



キリギリスと公園ホームレス■昔から今のジョーク

 −-お前、まだ歌っていたんか。しかしだ、7月19日にデビューしたときと比べて、今のお前は格段にうまい。ガンバレ。

 −-失礼ですが、ぼくは秋のキリギリスです。



キリギリスと公園ホームレス■未来のジョーク

 −-お前、まだ歌っていたんか。しかしだ、たまには働いて銭さこしらえておきゃ〜。でねーと、厳しい冬は乗り越えられんぞ。

 −-失礼ですが、ぼくは秋のキリギリスです。でも、いいんです。ぼくは歌がすべてなんです。ぼくの歌が生き残って越年できさえすれば・・・。ですから、犬死は覚悟の上です。

 −-お前は、スケベーの夏ゼミと違って、スケールが何倍もでかいぞ。エライ。実はなあ、わしもなあ、お先真っ暗かんの何とかかんという奴で、明日は路上死を待つ身の上よ。しかしだ、お前は、聞くところによると、来年は歌手としてプロデビューするちゅうわな。一体、どっちなんだ。あ〜ん、?

 −-実を言いますと、歳明け早々にも、歌手として晴れの初舞台を踏めそうなんです。これも皆様からのあつい支援の賜物かと承っております。そのときは、キリギリスは廃業です。ところで、路上死するって・・・、おじさんは、金持ちのアリさんではなかったんですか。
posted by 9組の秋六 at 08:47| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月20日

非英雄論F■女性の不良デビューは、「ブランクと不良デビュー」の最たる例か?

女性の場合■犯行主体は「セレブのお嬢」?

 入り口の顔と出口の顔がまるで異なる、その間の空白の時間を個として生きた「ブランク」の例は、離婚沙汰や夫殺しが挙げられると思います。
 この場合の、夫殺しなどの妻の不良デビューは想像を絶した結婚生活のブランクを背景として、空間的同時的に現れるのを特徴として有し、女性の通り魔殺傷事件は、ブランクを線形として描かれるような時間の延長線上に顕われるのが特徴・・・・。

 私は最初にそういう仮説を立てて、女性の起こした殺人事件の分析を試みようとしたところ、まるで違っていたことに気づきました。

 どう違うのかと聞かれても、返答に窮するようなところがあってうまくいえないのですが、強いて言えば、犯行主体が「セレブのお嬢」になっている点でしょうか。
 「ブランク」が見当たらない点もですね、混乱の原因になっているのではないかと思っています。
 緊急点検の必要を痛感しています。

 それで、今回、改めて調べた事件は、渋谷バラバラ事件の三橋香織被告、秋田2児連続殺人事件の畠山鈴香被告、名古屋通り魔殺傷事件の伊田和世(38)被告の三件です。

 これら容疑者に共通するのは、生活費をくれる父親とパトロンの存在です。ただし、香織被告は例外で、そのような父親はおりません。
 仮に、これが例外でないとすれば、殺された夫の三橋祐輔さん=当時(30)は、生活費をくれる父親代わりの夫ということになります。
 これも厳密に言うと、畠山鈴香被告の例は例外で、特定のパトロンはおらず、複数の愛人の存在が噂されております。


 まあ、とにかく、彼らは、三人三様のセレブのお嬢様を演じているところがあるわけです。
 ところが、父親が病気で倒れたりすると、その後に、不良デビューを行って、世間を騒がせています。
 ただし、香織被告の件は、例外。

 これが例外中の例外なのは、父親代わりとして選んだ自らの夫を殺害しただけではなく、遺体をばらばらにしているんですね。

 死体損壊は、作家の江戸川乱歩がすでに非力な女性などが死体をばらばらにして持ち運びやすくするためのものといった、まあ、うがった説を立てており、一方で、被告自らの言うように、完全犯罪を狙ったことも考えられますから、二つの説があってしかるべきです。
 しかし、私は、そういう考えには納得できずにいます。
 等身大の人間ではできないことを彼らはやったとみています。
 この点はいずれ書きます。


 次の記事は、産経ニュースより引っ張ってきました。
 いつまでも保存してくれているので、助かっています。


■【冒頭陳述=弁護側(1)】「逃げようとする歌織被告をテープで縛った」
2007.12.20 14:11産経news

裁判記録

初公判での三橋歌織被告。被告席で係官にはさまれ、法廷でのやりとりをじっと聞いている=昨年12月20日、東京地裁(イラスト・成冨淳二) 歌織さんは祐輔さんを殺害してしまいました。

 妻が夫を殺すという痛ましい事件。どうして殺害したのか、何があったのか、それを明らかにします。

 結婚当初から、歌織さんは祐輔さんから肉体的暴力などのDVを受けていました。祐輔さんは自由にしてくれませんでした。逃れるために犯行を犯したのです。

 2人は平成15年3月に結婚。結婚前から暴力があったが、結婚後、DVはさらに進みました。歌織さんが電話をしていると、電話を取り上げ顔を殴られることもありました。

 東京都品川区のマンションに引っ越した際、水道の手続きを行っていなかったため、顔を殴られ、倒されて首を絞められました。日常的にDVは行われ、逃げようとする歌織さんをベルトやテープで縛りました。また逃げ出さないようにクレジットカードを折りライターで焼き、かばんや服も切り刻まれました。

 直接的暴力だけではなく、監視も。

 祐輔さんは仕事中にも、電話やメールでどこで何をしているのか追及しました。歌織さんが「買い物している」と言っても信用しなかった。外出中に周囲の風景の写真を撮ってメールで送るよう命令されました。

 家に帰ると祐輔さんは歌織さんの体のにおいをかぎ、たばこのにおいがすると、暴力をふるわれました。祐輔さんが帰宅する前に風呂に入ると「怪しい」と言われ、また暴力をふるわれました。祐輔さんは朝帰りが多かったので、風呂に入る時間もなかった。朝起きて化粧していても暴力を振るわれました。

 日常の全てで暴行を恐れ、緊張し、眠れない日々を送った。祐輔さんの帰宅を恐怖に感じていました。

 「逃げればいいのでは」と考える人はDVに無理解だ。

 祐輔さんはDVをしないときは全くの別人で、歌織さんに謝罪しました。歌織被告が出ていこうとすると追いかけて連れ戻し、謝罪する。だから歌織被告も信じようと思った、そしてまた暴力。これは、DVの典型です。

 知人に暴行の事実を話しても理解されませんでした。

 一度だけ歌織さんは実家に帰ったことがあります。

 もともと歌織さんは父親との確執があり、実家には戻れないと思っていました。

 しかし、生活から逃げる最後の手段として16年に新潟の実家に帰りました。

 だが、父が受け入れを拒否し、絶望の中で家に戻ったのです。


 上の引用のエンデングに注目してもらいたいのですが、「父が受け入れを拒否」とあります。
 これは、書くまでもなく、父親が「セレブの嬢」と見抜いての対応と考えています。
 それにしても弁護側の提示した冒頭陳述は、ひどすぎますね。冒頭に「明らか」にするとした言葉は、うわっすべりの弁護論に終始していて、もとより整合性に欠いています。まるで小学生以下の作文ではないですか。
 といいますのは、弁護側は、夫の祐輔さんはDVのバタラーとし、日常的な暴力を振っていたから、香織被告は被害者として人間が壊された等を述べているわけですが、結婚前から存在していた愛人の問題ついては、被告人はどのように処理するつもりだったのでしょうか。
 さらに弁護人は、その愛人の問題をどう受け取ったのでしょうか?
 公判では、本末転倒の議論をやってたんじゃないんですか。
 この新妻の犯した許されざる愛人の問題を閑却したまま、夫の祐輔さんはDVのバタラーとし、日常的な暴力を振っていたから、香織被告は精神的肉体的な苦痛を受け、かといって、どこにも逃げ場所がないことから、夫の殺害に及んだというのは、流行作家並みのシナリオしか用意できない、人間に対する決定的な認識不足をさらしているのです。

 その点に関しては、私はこう思いました。

 もし被告が妻の身であるにも関わらず、他に愛人のいる「セレブ嬢」という生き方が基本路線と受け止めていれば、結婚後の路線変更は考えにくくなります。
 そうした場合、自らの基本路線を妻が事前に打ち明けるなど、他方の夫も婚前に承知しておるならば、結婚後のトラブル(契約上の)は起きなかったと考えられます。
 ところが妻の基本路線が結婚後に発覚した場合、「結婚」という合意した契約内容に違反する行為でありますから、夫の側には契約を解除する権利が発生し、かつ、精神的苦痛に対する慰謝料などの請求する権利が生じるケースです。

 法律に明るいはずの弁護士が結婚にまつわる契約問題を閑却したまま、DV問題化したり、精神鑑定で「心神喪失」論を持ち出すというのは、芸がないというか、そんな小手先だけの不毛の議論のやり取りは、そろそろ卒業してはどうなんですか。
 廃業しろといいたくなりますよ。


 ところで、香織被告を指して「セレブのお嬢」としましたが、彼ら被告だけに顕われる人格、もしくは、願望なのでしょうか。
 他方では、「セレブのおぼちゃま」という宮崎勤みたいな人間は特別な人間なのでしょうか。

 私の考えを言えば、「セレブな自己」への願望は誰しも持っていると考えます。
 それが犯罪へと傾斜させるというのであれば、私たちはみな犯罪傾向を持つ人間ということなり、、彼我の間に一線を画することができなくなります。
 それが本来的な人間なのだ、といっていいものか、それとも、そんな人間論は安価と片付けるべきなのでしょうか。

 この場合、罪を犯すのが本来的な人間の姿とするならば、努力している意味がなくなります。
 アキバ事件の加藤智大ではないですが、「そうかよ」で人間を辞めてしまえばいいわけです。
 すると、加藤の例は、本来的な人間論の正しさを証明することになるでしょうか。
 そうではないでしょう。

(書きかけ)

追記■お断り

「非英雄論」の拙ブログへの配信はやめにしました。
「自粛」します。


posted by 9組の秋六 at 13:44| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こちら愛知、19日9時前5分に「梅雨明け宣言」■蝉ちゃんのH話?

近くの民家の木に止まった、ワシワシ蝉が鳴き出して、これが蝉ちゃんの告げる”梅雨明け”。
昨日も鳴いていましたから、実際に鳴き出したのは、7月18日。あるいは、2、3日前ぐらいですか。

温度計の目盛りは、32度を表示。
室内温度が朝からこれでは、う〜ん、暑い!!

それにしてもワシワシ蝉の鳴き声が続きません。
初鳴きのせいでしょうか。
普通だと、明け方の6時ごろから12時まで鳴きつづけて、正午にはぴたっと鳴きやみます。その後の夏の舞台をアブラ蝉が引き受けるかのように、ジリジリジリと鳴き始めます。
ところが、正午を過ぎても、アブラ蝉の引継ぎがありません。
そのせいか、ワシワシが飛び去った後の森閑とした空気を朝方に覚え、午後になっても引きずっています。

ご存知のように、蝉は地下生活が長くて、地上に出るのは交尾目的で、数日で死んでしまいます。
なぜそうなるかというと、消化器官を持っていないからです。ですから、オス蝉の腹は、空洞です。
 メス蝉の腹には、生殖器官が詰まっています。ですから、この意味での生殖器官(=排泄器官)は、雄蝉も蓄えていることになります。

(ここで書いたことは、おかしいですかね?)

しかし、蝉は樹液を吸って、数日は生き長らえているのではないか、というイメージを持っています。
というのは、捕虫網で捕まえ損ねると、よくションベンをひっかけられるからです。
 この意味するものこそは、排泄器官の存在を裏付けるものではないかと、この辺は、解剖学的なことがわからなくて弱っています。
 排泄器官を持っているのならば、ストローで吸い込んだ樹液を通す食道があって、胃袋がないから空洞の腹へ垂れ流し。

 いいですか、外は30度を越える真夏日なんですよ。その中を一滴の水も飲まないっていうのは、考えにくいですよ。
 ですから、乾いたのどを潤しさえすれば、後はどうなってもいい、という作りの体の構造になっているんじゃないんでしょうか。

 と書きますと、呑ん兵衛みたいな論理になりますけど、夏の一番のうまみは、なんたって冷たい水を飲んで、ウマカ〜、って感ずる瞬間じゃないんでしょうか。

 蝉は、蝉。炎天下で汗まみれで仕事している建設作業員ではなくて、風通しのいい木陰で涼しんでいる生き物だって?

 そうですかねえ。

 じゃ〜、たとえばですね、駅前のミュージシャン。いくら木陰にいるったって、歌っている限りは、喉はからからになってきますよ。
 蝉だって、同じじゃないんですかねえ。

 そうやってからからに干からびた喉をひんやりとした樹液で潤すと、美声を回復するだけでなく、幸福の絶頂感が訪れやすいように、脳内モルヒネを分泌させて、良心の働きをちょっと痺れさせて、このとき検閲をパスしてはじめて出現するのが「美しい世界」っていうもんじゃないんでしょうか。

 いくら蝉ちゃんがセックス目的で地上に現れたといってもですねえ、何の美もまじえることなしに、乱交○ーテイーなんてやれないと思うんですよ。

 一方の、めんゼミなんですけど、昆虫の常として、全然お化粧なんてしていないんですからね。

ところで、「乱交○ーテイー」なんて書きますと、禁止された語の羅列取り扱いされる可能性が出てきますが、蝉の行動を注意深く観察していますと、人間みたいに誰でもいい(?)、みたいな交尾なんてやっていません。

 大体は、おんゼミが鳴き出しますと、どこからともなくめんゼミが飛来してきて、舞台デビューしたばかりの初々しいおんゼミの近くに止まります。

 このときの距離のとり方が、女子高校生(無論、昔の)的で、絶妙。めんゼミも一端の女の子なんだな、なんてわけのわからぬ感慨に浸ったりしています。

たとえば、鳴いているおんゼミと同じ高さの位置に10センチ以上の距離を置いて、幹の上にめんゼミは止まったりします。
 すると、おんゼミは「!」と反応した瞬間、蟹歩きをはじめて、めんゼミの背中に前足をかけます。
 この時の足のかけ方が悪いのか、めんゼミはどこかに飛んで行ってしまいます。

「おう、ねえちゃん、一発○らせてくんろ」
「なあ、気持ちの○いことやろうぜ」
 といった声のかけ方では、肘鉄を食らう感じですね。

とすると、次なる手は、「今日は、放生祭だね」と声をかけて、それとはなしに「Hしたいけど、どお〜」といったメッセージを伝えるやり方。
あるいは、「ねえねえ、ピュアな人体実験をやりたいって思わない。たとえば、Aなる化学物質とBなる化学物質を試験管の中に入れて、かき混ぜた後に、熱を加えるといかなる超化学物質Cが誕生するかという化学実験をだね、人体を通してやってみるのは、どお?このとき、「愛」なる感情を注入した相異なる性を持つ、二個の個体だと、ヤバイというか、後々にしこりを残すからさあ、《愛》抜きで・・・」


・・・・・・(ただいま、削除を検討中につき、しばしのご猶予を)


 一方のめんゼミは、「あんた好き、(即)○れて」といった単刀直入のメッセージは出していないことは、明らかですね。

 それでも、めんゼミがおんゼミの頭の上に、いわば「尻を向け」て止まると、成功の確率が高いのではないかとみています。

 蝉の場合の交尾成功のキーポイントは、やはり、メスの握っている「奪って・・・」ですか。

 一方の雄には、鳴き始めると、ボリュームを最大化するまでの歌い方(デイスプレイ)が課せられていると思っています。

 雄同士が角を突き合わせて、1匹の雌をめぐってガチンコなどしない、平和的な生き物と言える反面、言論の自由をバックに「ボリュームの最大化」で競い合っているみたいですね。
 ですから、非常にやかましいんですよ。


ですが、その「1曲を歌いきる」行動は、外敵の攻撃を雄蝉自らが引き受け、且つ、雌蝉を守る仕組みが隠されているのではないかと見ています。

 いや、これはどこかのテレビ放送が頻繁に垂れ流すメッセージでしたね。
 知らず知らずのうちに、毒されていたとは、トホホ。


 ところで、日々の情報に暗い一面があって、梅雨明け宣言はどうなっているんだろうかと気になっていたら、ワシワシ蝉が鳴き出したほぼ同時刻に、気象庁の「梅雨明け」宣言。
 ただし、次の記事を見られるとわかりますように、「宣言」はあっても科学的な根拠が示されておりません。

(「高気圧」云々は、ガセに近いんでしょう?ではなくて、マジ?としても、決定力不足は否めないと思いますよ)

 気象庁も、人の子よろしく蝉に情報依存しているんですね。

 周りの自然観察重視?
 それで、いいんじゃないんでしょうか。

 できれば、ソースは正直に申告?すべきなのでは。

■東北・北陸・関東甲信・東海地方が梅雨明け
 気象庁は19日午前、東北から東海地方が梅雨明けしたとみられると発表した。 夏の高気圧が強まって本州付近は19日朝から夏空となり、気象庁は東北・北陸・関東甲信・東海地方が梅雨明けしたとみられると発表した。これで、すべての地域で梅雨が明けたことになる。 東北・北陸地方は平年より3〜8日早く、関東甲信・東海地方はほぼ平年並みの梅雨明けとなる。 日本付近はこの先1週間も晴れる日が多く、厳しい暑さが続く予想。[ 19日11時45分日テレnews24 ]

追記■ションベンを精液と置き換えると、ここで書いた矛盾が解けると思いました。つまり、雄蝉の腹には、精液が充満しているのです。
posted by 9組の秋六 at 02:18| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月19日

非英雄論E■ゼロ人間のブランク殺人事件■造田博(当時23歳)の場合


造田博の場合■自己に似て非なる他者へのアイデンティティ殺人事件■現代人に突如として襲い掛かる”ブランク”の恐怖

 造田には、非英雄としてのオタクのイメージは、どこかしら大事な部品が欠けていて、うまく像を結び合わせることができません。
 どちらかといいますと、現代版「火宅の人」で、高校中退後の6年間に転職「14回」というのは、仏心を宿らせているからできることで、求道家のイメージしか湧いてきません。

 その一方で、同じように通り魔無差別殺傷事件を起こした(明らかに求道家ではない)加藤智大と、重なる一面があるというのは、どういうわけでしょうか。

 ちなみに挙げてみますと、犯行を決意してから決行するまでの期間が短いこと。その間に、凶器を買い揃えていること。真っ昼間の凶行。事件を起こす前は、メールを第三者に大量に送りつけていること。職を転々としていたことなどです。
 他に、車好きの点ですが、造田の中学時代にレーサーになるにはカートが必要と考え、「親にせがんで数10万円のカートを買ってもらってい」ます(『無限回廊』「池袋通り魔殺人事件」)。これに対し、加藤は、高校時代に、バイク部に入部した際、100万円は下らぬというバイクを買ってもらっています(『フライデー』)。

 共通面に注目して、掘り下げれば、何かが見えてくるかもしれませんが、ここでは、「ブランク」にテーマを絞ります。
 というのは、「ブランク」を掘り下げることによって、「現代」が見えてくるからです。

 造田の場合、「ブランク」といっても異なります。職業の転々は、職種も転々なわけですから、たとえば、失職して求人募集している会社を就職情報誌でお気に入りを見つけ、面接を受けることにします。その際、履歴書を会社に提出するわけですが、そこに書き込まれた離職歴は、面接担当者の目から見ると、いくら社会人体験が豊富でも、「ブランク」を生きただけのゼロ人間と映るのではないでしょうか。
 ですから、「なぜ、当社を?」という疑問に襲われてもおかしくはありません。
 それでも「未経験者の入社、大歓迎」という看板を取り下げるわけにはゆきませんから、20台前半という若さを買って、採用に踏み切ります。
 当然、即戦力は期待できませんから、身分は見習いで、最低の賃金でのスタートを余儀なくさせられます。
 懸念材料は、すぐに辞められることですから、「おいしい会社」と思わせようと努めます。
 中には、慣れた口調で、スーパートークを次から次に繰り出すお調子者もおります。
「昇進昇給は、君の努力次第だよ。三ヵ月後には、堂々と胸の晴れる正社員の仲間入り。もち、ベースアップ付き。努力が認められれば、主任のポストがすぐにでも転がってくる。その上に、実力が加われば、課長のポストがもぎ取れる。決して社長のポストも夢ではないのが、当社の誇る能力主義ゆえの最大のメリットがそこにある。さらにイ、その上を行く、当社の目玉は、なんといってもセレブ気分の味わえる海外への慰安旅行、オーストラリア豪華客船に乗って世界一周の船旅、一週間!!さらにさらに、ボーナスはトヨタ越えは当たり前、名古屋名物金の鯱越えの豪華特盛イ〜、な、なんと二十ヶ月分・・・」っと。

 そうやって夢のような言葉に躍らされた造田は、ホント、可哀そうです。

 だって、全部が全部、裏があってですね、たとえば、「世界1周の船旅」なんて、1週間そこらでやれるわけはないですよ。韓国へ旅行したら、次は、中国へ、というように100年がかりの計画ですよ。無論、実費は、自分持ち。ボーナスだってね。からくりがあるとかいう以前の問題ですよ。信じる方が、バカ。職場は、サービス残業、パワフル、給料未払い、おかしな天引き(ただと思って、工事用ヘルメットを借りたら、一回に付き300円のリース料をとるような会社が、現実に存在するんですからね)等が日常化常態化していて、生き地獄ではないという方がおかしいと思います。

 まあ、そんなこんなで、工場勤務は諦め、新聞配達員として着地先を特定してきます。

 ここで、なぜ造田は建設作業員ではなく、新聞配達員の方を選んだのか、と疑問に思いました。

 新聞配達員の特徴は、学生アルバイトで占められていることですよね。
 主婦の方もおりますが、高校生や大学生に混じって浪人もおりますから、造田は自分に似た境遇を持つ彼らに対して、他では得られなかった仲間意識を持ったのではないでしょうか。
 彼らの実際はどうかまでは知りませんが、社会通念上は、働きながら学びの道を選んだ苦学生の集まりです。
 学生としてモラトリアムの期間を生きていながら、働くことで社会へ恩返しをしているわけですが、履歴書の中の「ブランク」を生きていることには変わりありません。
 というのは、新聞配達員をやったからといって、即戦力を期待する会社なんて、新聞販売店ぐらいのものでしょう。
 いや、そのことが問題なのではなく、モラトリアム期間を生きたモラトリアム人間とごっちゃにされてしまうことが問題なのに、一方的に、「ブランク」と処理されてしまうことです。
 つまり、モラトリアム人間は、、モラトリアム期間を脱する際、学歴に裏付けられた結果が伴っていないと、ブランクを生きたブランク(ゼロ)人間として処理されてしまうっていうわけです。

 一方の建設作業員の多くは、履歴書の中に目に見えるような「ブランク」の期間は見当たりません。
 在学中は、ブランクと不良デビューが重なるなど、問題行動の多い生徒であったとしても、卒業後は、ブランクを感じさせない働きで頑張っています。
 としても、彼らの経歴に大学生時代をすごしたモラトリアム期間のないことが、最大の理由として挙げられると思います。
 少年院入所経験者は、書くまでもなく、履歴書の中の「ブランク」は残ります。

 確実にいえることは、造田は建設作業員に対して仲間意識をもてなかったことです。

 私はその理由として、新聞配達員は、モラトリアム人間のように職業意識はゼロではないのに、ゼロ人間として生きらざるをえない彼らの存在(つまり、造田のいう「努力する人」)に対して、共感を覚えたからではないかと考えました。
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2008年07月18日

非英雄論■アキバ事件について、私はこう思いますD■造田博(当時23歳)の場合

池袋通り魔無差別殺傷事件の造田博の場合■隠された犯行予告?■数字に表われ出た造田のイメージ?


 この通り魔事件は、1999年9月8日に起きていますが、見られますように、9の数字が4つも並んでいます。
 誰だって、気になる数字の並びだと思いますが、この意味を解き明かした人はいるのでしょうか。
 仮に、そうだとすれば、著作権の問題が絡むため、ご本人がやらない限り、ネットでの検索はまずはムダですか。

 ヒントは、9月9日にあると思いました。1999年9月9日に事件を起こすと、「行く・獄(ジ○ク)」へとなって、まるで自分がジゴクへ行くみたいになって、それを避けるために、前日の9月8日にやむなく決行したのではないでしょうか。
 この場合だと、9が4個で、ジゴク(ジ○ク)の意味に近くなります。
 ほかに、1と8を足せば、9ですから、これだと9が5個となり、やはり、ジゴク(○ゴク)の意味は健在です。
 つまり、その日を「地獄の日」と設定したかったのではないでしょうか。

■9月1日、寝坊で朝刊の配達に遅刻する。この1件により、所長の勧めで携帯電話を持ち始める。

 9月3日、造田は所長にしか番号を教えないつもりであったが、同僚の一人にしつこく聞かれ教えている。この同僚は造田が内心で”努力しない人”と嫌悪していた人間だった。
 この日の22時4分、造田の寝入りばなに携帯電話が鳴った。しかし造田が出ても、相手はこたえない。これを”努力しない人”のいたずらであると決め付けた造田は激しい怒りを覚えた。翌朝の仕事を考え、造田は早く眠ろうとするが、怒りがそれを妨げた。”努力しない人”への怒りは、街を歩く普通の人に広く向けられることとなった。

 日付が変わり翌4日午前1時過ぎ、造田はレポート用紙に檄文とも思えるものを書きつけた。

「わし以外のボケナスのアホ殺したるけえのお。わしもボケナスのアホ殺したるけえのお」
「アホ、今すぐ永遠じごくじゃけえのお」
(『事件録』「池袋・通り魔殺傷事件」)
URA:http://yabusaka.moo.jp/zouda.htm


 上にある[永遠じごく」という言葉に注目したわけですが、漢字ではなく、平仮名になっているために「地獄」の意味が弱められています。

 なぜ「地獄」ではなく、「じごく」と書いたのでしょうか?

 この場合、造田は「地獄」という漢字を知らないから、平仮名を充てた可能性も否定できませんが、ご存知のように、造田は非常な努力家勉強家です。
 漢字を知らなかったということが考えにくいとすれば、[永遠じごく」という言葉に特別の意味をもたせた可能性が出てきます。
 本来は、勢いのある4字熟語的な言葉をそうやって落差をつける(傷めつける)ことで、その言葉の持つ辞書的な意味を漂白(殺)し、別の意味を持たせようとしたことが十分に考えられるわけです。
 それは、記号的な置き換えで、「9999」ではないでしょうか。
 この場合、「1+8」の」「99999」の方を、強く意識した可能性は残ります。

 この、2個のバラバラに投げ出された、漂白された・無意味な記号の羅列は、血の色に染められることで、意味が付与され、言葉として復活して初めて、一体化するからくりを持っていたのではないでしょうか。
 とすれば、「じごく」という言葉には、犯行予告日の「メッセージ」がこめられていたことになるはずです。

 それでも疑問は残ります。
 いくら手が込んでいるからといっても、「じごく」を「地獄」とするのは、茶番に他なりませんから、意味の交代があってしかるべきところ。

 それに、1999年9月9日という日付は、1000年に一度の(ゾロ目のぞろめく?)出来事であるわけですから、ギャンブラーでなくても何らかの奇跡が起きてもおかしくはないと思うのではないでしょうか。
 ですから、他の解釈もやってみました。

 これには、造田博なる人物の数字によって表れるイメージを掴み取るための意味もあります。

解釈一■仮に、1999年9月9日のもつ「99999」の並びが「ゴク」を意味した場合、「1」の意味が取り残されてしまいます。
 それでも、強引な解釈を行えば[一人地獄」ですか。

 造田としては、自分ひとりが地獄に墜ちるようなマイナスのイメージのともなった日の犯行は、極力避けたいと思ったのではないでしょうか。

 宮崎勤の場合は、字余りは、暗号文[子りりしや間」を抽出する際のキーワード(手引き)になっていました。

(「子りりしや間」をローマ字に変換して、綴り替えをやりますと、「ロり・ミヤサキ」というメッセージがあらわれてきます)

 この例に倣うならば、1999年9月9日は[再生の日」で、この場合の「1」は、キーワードになるはずです。
 しかし、「1」は、多義性を温存しているため、解読困難。

解釈二■仮に、「1」と「9}の関係が、ある敵対的なイメージを喚起するとすれば、それは「個」と「多」の関係ではないでしょうか。
 とすると、1999年9月9日のもつ「199999」の並びは、「個」が複数の「多」をリードするイメージを表出します。
 それを「1・99999」と置きますと、両者の対立的なイメージが出てきます。

 次に、「199998」と置きますと、「1」と「8」の対立関係が立ち上がってきます。
 この場合は、「199997」と置けば、「1」と「7」の対立関係が立ち上がってきますから、仮に、「7」が「幸運」を意味するならば、「1」は「不運な自己」と読めることになります。

 では、「1」と「8」はどうかといいますと、仮に、「8」が「母」を意味するのであれば、「1」は、「子である自己」と読めることになります。

 ですから、「199998」という数字の持つ意味は、天の川ならぬ「地獄」を介して、「子」と「母」が出会える日。ハチ合わせの日です。

 あえて鬼読みをやりますと、「オレは、その日、地獄なる川を渡って、おっかさんに会いに行く」となりましょうか。

 ご存知のように、造田の母親は高校時代に、ギャンブルで作った借金(2000万円?)を抱えたまま、父親と一緒に失踪しています。

 しかし、仮にですね、そういう意味を持っていたとしても、犯行は、逆に、出会いの願望を遠ざけるようなものではないかと考える人が多いかと思いますが、ここで大事なことは、「天国」と「地獄」という相異なるイメージが出来上がることではないでしょうか。


 そういえば、二,三年前でしたか、母のイメージとして「8」の字のようなものを書いたお子さんの例が、ブログに紹介されたことがあります。
 母親は「何よ、これ」っていう感じで、あきれた風でしたが、「母」という漢字も「乳房」の形から生まれたと聞いています。
 ですから、数字の「8」が喚起するイメージが「母親」、もしくは、「乳房」であってもおかしくないということになります。

 ちなみに、造田の誕生はというと、1975年(昭和50年)11月29日です。


解釈三■「1+9=10」、つまり、「テン=天国」です。
したがって、「10・9999」。読みは、「天・地・獄」です。

「天国」を「地獄」にしたのが、加藤智大容疑者ならば、造田は翌日に起きるであろう「奇跡」を信じることができたギャンブラーの一人といえるのではないでしょうか。

 もっとも、この場合のギャンブラーとは、「芥川龍之介もギャンブラーの一人」という意味を隠しています。


 そういえば、遺書が見つかったって?



池袋の意味■

「池」という地名が付くと、「水死体」が連想されて、一刻も早く逃げ出したくなる場所なんですが、ちょっと聞いた限りでは、「お袋」のイメージの方が喚起されやすいでしょうか。
 つまり、造田は「イケ〜(ん)・お袋」みたいな響きを持った地名として「池袋」を意識していたのではないかと。無論、岡山弁なんですが、訳すと、「いけません、お袋」となりましょうか。

この「池」が「19○○」と、音が重なると、さらに、前に引用した「けえのお」の呪いの音が呼び起こされてくるんですね。

「・・・アホ殺したるけえのお。・・・アホ殺したるけえのお」
「アホ、今すぐ永遠じごくじゃけえのお」(同上)

 地名の由来は、次の引用に任せます。

■戦国時代から「池袋」という地名が使われていることは分かっており、江戸時代の古文書からもその名を見つけることができる。現在の池袋駅西口のホテルメトロポリタン付近に存在していたとされる、袋型の大きな池が袋池と呼ばれており、それが直接の由来となったという有力な説があるが、確かなことは分かっていない。(wikipedia「地名の由来」)


■池袋本町(いけぶくろほんちょう)
池袋はくぼ地が袋の様だからとも、古代多くの池があったためともいわれてい ます。江戸時代からこの辺りが開け本村と呼ばれていたそうです。
(『東京おもしろ雑学』)

URA:http://www.juken-net.com/magajin/maga/57.htm
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2008年07月17日

非英雄論■アキバ事件について、私はこう思いますC■加藤智大容疑者の場合

加藤智大容疑者の場合■自己・非「確立」者の、あ〜あ、巣立ち■”ブランク”を生きた、あ〜あ、モラトリアム人間

 仮に、それが”巣立ち”といいうるならば、それまでの彼容疑者の生は、助走期間を生きていただけということになります。
 とすれば、その非英雄の自己は、終生モラトリアム人間だったといえるはずです。

 ですから、とかでなくて、この点にテーマを絞って書くことにします。

 容疑者の経歴を見て、真っ先に思ったことは、懲りずに巣立ち(この場合は、「転職」)を何度も繰り返す、車好きの若鳥。
 次に、何を目的に生きているのか、首を傾げたくなりました。

 というのは、人並みの「自己確立」が人生の目的であるのならば、真っ先に将来的に中産クラスの高収入が見込めそうな安定した会社を選んで就職するはずが、なぜか、派遣会社を選んでいます。
 それも容疑者の場合、有名進学校を卒業後、岐阜の短期工業大学に入学。そして2年後には、同大卒業というわけですから、社会人としての”巣立ち”を2年間ずらした分、満を持しての”巣立ち”と、誰だって思いますよね。ところが、着地先が工事現場での「車両の誘導」係、つまり、ガードマンなわけですから、呆れてしまいます。

 ガードマンという職種は、他所で戦力外通告を受けたOBの受け皿で、仕方なくやるような低賃金の仕事なわけですよ。ですから、新卒の身でガードマンっていうのは、明らかにミスマッチ。

 この時点で、朝日の当たる方向ではなく、夕日の沈む方向に向かって、巣立ったってことですよね。

 すぐに辞めるものと思っていたら、1年半も勤続。よほど居心地がよかったのでしょう。
 その時の退職理由が「自動車関係の仕事がしたい」というから、またしても呆れ返ります。
 というのは、車が好きで、車関係の短大に入っているわけだから、卒業後の就職先は、車関係と決まっているのに、わざわざ進路を変更して、しばらく勤めると、新卒の状態に巻き戻したいから「辞める」っていうわけですから、早く言えば、時間をリセットするようなものでしょう。

 この点について、思索を巡らしてみましたら、自動車整備で手を油で汚したくないのかなと思いました。

■2001年3月 - 青森高校卒業(北海道大学工学部受験失敗)
2001年4月 - 岐阜県 自動車整備士などを養成する中日本自動車短期大学(岐阜県坂祝町)の自動車工学科に入学、エンジンの構造や車体整備技術を学んだ
02年夏以降(専2) - バイク部に所属し、仲間とツーリングやバイク整備などを楽しんでいる様子だった
02年秋 - 2級自動車整備士を受験する際に実技試験が免除される講座の出席日数が足りなかった。個人面談で進路について尋ねると、教員を目指したいと話し、卒業直前の進学調査では弘前大(青森県弘前市)に進む希望を示した。結局、編入はかなわず、短大を卒業
2003年3月 - 岐阜県 専門学校を無資格で卒業 弘前大学編入希望もダメ
(『名探偵蒙裡胡伍浪之名推理教室』 より引用)


 上の引用にありますように、整備士を養成する短大に入学しながら、「出席日数が足り」ず、「無資格で卒業」しています。
 これまでの報道の伝える、容疑者の無欠勤のまじめ人間というイメージからは、考えにくいことです。ですが、その理由が「手を汚さない」ということであれば、そういう時の実技講座に限って欠席を続けた可能性は大です。その結果が、「出席日数が足り」ず、「無資格で卒業」ということでしょう。
 まるで高校新卒の状態に、時間をさらに巻き戻したみたいです。ですから、容疑者にとって、短大時代は”ブランク”でしかなかったことになり、モラトリアム人間としての「助走期間」の意味が失われます。

ブランクを生きる■とは、容疑者のように専門学校に入りながら、卒業後はその専門知識を何ら必要としない別の仕事に就いた場合、彼の学生時代は「ブランクを生きた」といえると思います。

 では、高校時代は、どうだったのでしょうか?

■中学時代はクラスのリーダー的存在で、ソフトテニス部でも活躍していた加藤容疑者。高校は、県内最難関で、大学進学率が高い進学校に入学する。ただ、すんなりと入学に至ったわけではないようだ。加藤容疑者は中学時代から家庭内で暴れていたという。「母親が教育に厳しかったから、反発する気持ちが強かったんじゃないだろうか」。近所の女性は、加藤容疑者の心情をこう代弁する。
印象薄い」秀才の転落 秋葉原通り魔事件の加藤容疑者06/10 10:27更新iza

■秀才といわれてきた加藤容疑者も、高校に入学すると、目立たない生徒になった。加藤容疑者が在学した学年の副主任だった男性教頭(59)は「卒業アルバムを見て思いだした。校内でも家庭でもトラブルもなかった。理系で成績も悪くなく、目立たず、印象が薄く、ごく普通の子だった」という。「今でも信じられないし、うそであってほしいと思っている」。イメージと犯行とのギャップに教頭は困惑を隠せない。(同上)

■だが、このころから、加藤容疑者の様子が変わってきたとみる知人もいる。息子が加藤容疑者の同級生だったという女性は「加藤容疑者が高校に入ってから、何かマニアックな部分が出てきたと聞いたことがある」と話した。(同上)


 上の引用からは、容疑者の携帯サイトの掲示板に書き込んだと噂の立つ「成績は、ビリ」という言葉は、ありません。
 ただ、「目立たない生徒になった」という言葉は、宮崎勤を髣髴させます。
 ご存知のように、宮崎も進学校として名高い明大付属中野高校に入学後、「目立たない生徒」と失速し、卒業すると、4年制の大学ではなく、2年制の短期大学に進んでいます。

 モラトリアム人間にとって、モラトリアムの期間が短縮されるというのは、非常に我慢ならぬものですから、後に、借金をして支払期限が過ぎても、[借りた金は返さなくてもいい?」みたいな身勝手な・親不孝の論理を身に付けるのではないでしょうか。

 つまり、[親から借りた金は返さなくてもいい」という意味なんですけど。

 書くまでもなく、お二人の高校時代は、同じように[ブランク」を生きています。

ねじれた学生生活と不良デビュー■入学した時の顔と、卒業したときの顔がまるで異なるというのは、言い換えますと、その間の時間は、ねじれていたということですよね。

 もし彼がその時間を自分で捻じ曲げようとするならば、不良デビューしてでも、その間の、嫌々ながらのブランクを引き受け、いわば死んだふりをして生きているはずです。
 その代わり、巣立った後の彼ら不良は、自らのブランク(脛の傷も含めて)を消そうとして、たとえ着地先が建設作業員であっても、ブランクがエネルギー源となって、人一倍の頑張りが利くのではないしょうか。

 ですから、ねじれた時間をねじれたまま過ごしていたことが、後に何かしら大きな問題を残すことにつながったのではないでしょうか。

 宮崎の場合は、短大を卒業すると学んだ専門知識を活かせる仕事に就いた関係で、[ブランク]が見えにくくなっています。しかし、その後が大変、無気力な仕事ぶりで、やがて解雇を言い渡されます。

 この仕事への熱意のなさは、やはり、「手の汚れ」に関係すると見ています。

[大人になれない」二人は、巣立っても[ブランクを生きた」ことによって、中学生時代に逆戻りしたといえるのではないでしょうか。

転職と炎上■
その後の加藤容疑者の足取りは、1999年9月8日に池袋通り魔殺傷事件を起こした造田博と似たような転職の日々を繰り返して、不満を募らせて、最後には、炎上。

 造田博は、「努力しない人」に対して怒っていました。
 加藤智大容疑者の場合は、どうなんでしょう。
 夢を語っても、その夢を実現するべく努力は、はじめから欠いていて、夢だけを持しているように思いました。
 「トラックの運転手になりたい」っていうのは、夢というには漠然としています。
 子供の口にする夢に近いのではないでしょうか。

 この点にも注意する必要があります。というのは、たとえば、工事現場にいて、「晴れているから、ドライブでもしたいな」と、そばにいた同僚に向かって言ったとします。
 これに対して、聞き手からのリアクションがあれば、別の展開も考えられるわけですが、なかった場合、それが彼送り手の「夢」や「希望」と確定してしまうおそれがあります。

「こんな仕事なんか、アホクサ〜」「やめて〜」という気持ちを伝えたいと思っていたかもしれないし、「君は?」という問いかけを次に用意した、単なる吐露だってことも否定できません。お見合いの席にいるみたいに、黙っているのもなんだからと思って、ちょっとの感じで仕掛けてみただけかもしれません。あるいは、わかりやすいように、心を開いて見せたのかもしれません。しかし、無反応?

 次の記事は、容疑者の素顔を余すところなく伝えていて、思わず、「ゴッツアン」と叫びたくなりました。


■秋葉原通り魔の素顔…ロリコン、スピード狂 携帯片手に2ちゃん書き込み「2Dしか興味ない」
06/09 19:27更新iza

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記事本文 同僚は加藤智大容疑者(25)を、アキバ系ロリコンオタクだったと証言する。日ごろは温厚な半面、スピード狂でバーチャル世界にのめり込み、突然キレるなど、犯行につながる側面も見せていた。父親との確執を漏らしていたこともあり、3月に起きた茨城連続殺傷事件に触発された可能性も浮上している。
 青森県出身の加藤容疑者は製造業派遣大手「日研総業」(東京)に昨年11月登録、静岡県内の自動車部品工場に派遣され、裾野市にある単身用アパートに入居していた。
 加藤容疑者と同僚男性(21)はすぐにうち解けた。麻雀に飲み会と、毎週のように遊んだ。親交を深めるなか、男性は容疑者の特異な趣味に気付いたという。
 「(加藤容疑者の)部屋はモノもなく、殺風景。ただ、同人マンガ誌が数冊置いてあった。カラオケに行ったときに歌うのはロリコン系のアニメソングばかり。『2D(アニメなど2次元世界)しか興味ない』と公言していたし、典型的なロリコンオタクでした」
 だが、後輩への面倒見が良かった加藤容疑者への信頼が変わることはなく、親交は続いた。「アキバ好き」を公言していた加藤容疑者は男性ら同僚を連れて秋葉原へ繰り出し、メイド喫茶などを案内。「まあ、こんな感じですよ」と得意顔だったという。
 いつも携帯片手に掲示板「2ちゃんねる」をチェック。自らのハンドルネームを持ち、頻繁に書き込みを行っていたようだ。
 2ちゃんねるのゲーム機を議論するスレッドに5月27日、≪秋葉原で忍者姿の痴漢が刀振り回し大惨事!≫とのタイトルで、≪6/5以降絶対事件起こるだろうから先に立てとくね≫と、今回の犯行予告を思わせる書き込みがあった。加藤容疑者は急にキレることがあったというが、6月5日は容疑者が激昂して会社を飛び出した日だった。
 加藤容疑者は友人(22)に対し、茨城・土浦市連続殺傷事件で逮捕された金川真大被告(24)が熱狂的ファンだった美少女同士の対戦ゲームの画像を送信。ゲームを通じ、金川被告の犯行を意識していた可能性が浮かんでいる。
 一方で、同僚男性は加藤容疑者のスピード狂の一面について「富士スピードウェイや平塚のサーキット場に連れて行ってもらった。一緒にカートに乗ってタイムを競ったんだけど、とんでもなく速かった。以前はスポーツカーのGTRに乗ってたとも言っていた」と証言。別の同僚(21)には「将来トラック関係の仕事に就きたい」と夢を語ることもあったという。
 友人らが「いつもポーカーフェース」と称する加藤容疑者も時折、心に抱えた悩みを垣間見せることがあった。「昨年の年末、自宅まで送ってもらったとき、ポツリと言ったんです。『親が借金を重ねるから、青森から飛んだ。ろくでもねえオヤジだ…』」(同)
 前述の男性と身の上話をしたときには「事故をして廃車になった車のローンが残っている。でも、自動車会社と納得できないイザコザがあったし、家賃も数カ月滞納していたが、両方踏み倒してきた」と吐露。「飛んできたから車も買えない」と愚痴をこぼし、「いなくなるときは何も言わないで飛ぶから」と失踪をほのめかしていた。


 この後に予定の造田博論なんですが、通り魔殺人事件とは、自己と似て非なる他者へのアイデンティティ殺人事件ではないかと思いました。

追記■経歴は、『名探偵蒙裡胡伍浪之名推理教室』 の「秋葉原通り魔事件〈一六〉−<資料まとめ>加藤智大の経歴から」を参考にしました。

URA:http://blogs.yahoo.co.jp/eraser1eraser/55428303.html
posted by 9組の秋六 at 02:22| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月16日

改稿■アキバ事件について、私はこう思いますB■自己確立をいつまでも浮遊させる(囚人型)モラトリアム人間?

「非・英雄」の「非・自己確立」論■自己確立をいつまでも浮遊させるモラトリアム人間?

 法廷に姿を現わした宮崎勤の印象は、マニアックな一面を持つ小太りの・オタクとは程遠い、まるで手足をもぎとられた昆虫のように、おとなしいモラトリアム人間でありました。
 であるにもかかわらず、オタク論の中心的な人物としてミヤサキが語られる・無邪気な状況が今日まで引き継がれています。

 オタクという非・英雄は、マスメデイアの「主役」として脚光を浴びると、時代の「英雄」として華やかな自己(セレブ)をテレビのバラエテイ番組などで演じますが、刑事事件の容疑者として逮捕されると、それまでの自己を退化させて、前身のモラトリアム人間の殻にこもり、自己責任を免れようとするのがドラエモン、いや、ライブドアのホリエモンであり、宮崎勤などのオタクなのではなかったでしょうか。

 と、オジヤな書き方をしましたが、このまま続行。

 そこに見られる三種の自己とは、つまり、オタクとセレブな自己とモラトリアム人間は、どのような関係にあるのでしょうか?

 このような問題がなぜ生じるかというと、「自己確立」論において単体に宿る自己は単一とされてきたものが、実は、単体には三種の自己が宿るとなって、それまでの常識論を蹴破ってしまうからです。
 つまり、「自己確立」論において、「不変性と連続性」と考えられていた自己が「易変性と不連続性」を持つ自己ということになり、混乱してくるからです。


 ここで、宮崎は飽くまでもオタクであって、セレブでもなければモラトリアム人間でもないと、反論を提示されるかもしれません。

 私の記憶によれば、1988年(平成元年)の夏に逮捕、その後に始まった宮崎勤の初期報道は、「鬼畜」という声が大部分の中で、「セレブのおぼちゃま」や「ビデオ収集マニア」や「若奥様のナマ下着なるエロ本を読みふけるスケベーのロリコン野郎」というように、種々のイメージのごっちゃになったもので、セレブに関しては、修業後?に、印刷業を営む宮崎家の家業手伝の身分として入社した際に、集金用にと、200万はするニッサンのラングレー車を母親がぽんと現金で買い、そのまま宮崎にプレゼントしたエピソードが週刊誌で報じられています。
 親掛かりの「セレブのおぼちゃま」、孤独なロリコン男の「倒錯のデパート」と揶揄される一方で、大塚孝志らの唱える現代若者論に取り入れられて、(「死体損壊」は、「死後に始まる、対話」という説が支持された関係もあって)収集マニアの宮崎はオタクと定義されたために、明るい宮崎論(どこにでもいるミヤサキ=オタク)が主流を占めるようになったと見ています。
 一方の、宮崎のモラトリアム人間ぶりは、4人もの幼女を殺しておいて「(殺されて)喜んでいる」というように、一言も謝罪することがなかったわけで、罪を認めようとしない、欠格ぶりは明らかなはず。

 ここで私の言う「モラトリアム人間」は、従来用いられた意義を逸脱するものですが、ですから、この点について、私の考えを書きます。

■学生など、社会に出て一人前の人間となる事を猶予されている状態を指す。心理学者エリク・H・エリクソンによって心理学に導入された概念で、本来は、大人になるために必要で、社会的にも認められた猶予期間を指すが、日本では、小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』(1978年)等の影響で、例えばニートのように社会的に認められた期間を徒過したにもかかわらず猶予を求める状態を指して用いられることが多い。(wikipedia「モラトリアム」)

 上の引用に明らかなように、「自己確立」に必要な助走期間をいい、この期間を限りなく延長しているのが親がかりの「モラトリアム人間」であり、ニートです。
 これが非英雄の容疑者の態度として現れれば、彼は自己の犯した罪に対して、逃れようとして、無邪気さを装うのが、彼ら囚人型「モラトリアム人間」の共通点です。
 ですから、宮崎は個人の罪に帰すべきですが、組織のトップでありながら、犯した罪の主導的役割を拒否する、ホリエモンや煎時津風親方の双津竜関や麻原彰晃なども含まれます。特徴は、出世コースからの離脱を余儀なくされた際の自己防衛反応として、退化した「モラトリアム人間」を演じている点です。

 一日でも早くと、罪を認めることを周囲の人が期待しているのに、拘留を無実の「助走期間」と勘違いしている囚人たちです。


 こうして残された問題は、「自己確立」論等における自己とは、「不変性と連続性」か、あるいは、「易変性と不連続性」であるかいなかに絞れると思います。

 私がイメージするオタクの自己とは、まだまだ卵の彼は、親掛かりのセレブな自己とモラトリアムの自己が同居しており、一方で、オタク的に趣味に没頭している状態です。

 自己とは限りなく進化を続けるといえるならば、彼は過渡的に現われる自己です。
 助走して巣立とうとしているのが、若鳥といえるならば、若鳥はオタクです。その巣立ちをずるずると引き延ばしているのがモラトリアム人間です。


 かかる自己は、モラトリアム状態にある自己を「基地」として内蔵しており、戦闘で翼が傷ついたりすると、帰還して修理する場所でもあります。

 やがて、彼はマニアックな趣味をビジネスの活用に成功して、大金を手にして、セレブの仲間入りを果たして、一躍全国区の有名人になります。

 ここで問題になるのは、「夢の手段」で功成り遂げた「全国区の有名人」であっても、彼らは本当に「時代の英雄」なのかどうか、ということです。
 言い換えますと、彼らはもともとは「非英雄」の「非自己確立」者なのだから、「時代の英雄」と持てはやされても、それは一過的な仮の現象にすぎず、不変性をキープしているのは、「非英雄」の「未確立」の自己ではないかということです。
 ですから、それを裏返しますと、彼非英雄がオタクであるならば、その自己は過渡的な、易変性を繰り返す存在といえるはずです。

 次に、「連続性」については、オタクの自己は、モラトリアムな自己と頻繁な交代が観察されるものですから、「連続性」については否定せざるをえませんが、「非英雄」の自己としてみれば、彼らなかよしグループで固まった自己は、「連続」しているといえるのではないでしょうか。

 ここで、「英雄」論の中の「自己確立」論の提示をやりたいところですが、割愛。

 この後の総括はおかしいと思われるかもしれませんが、遅かれ早かれ、次のようになります。

・・・「自己確立」論と「オタク」論は、「英雄」論と「非英雄」論の関係にあるといえるならば、両論は互いに、「相似」的且つ「平行」の関係にあるといえると思います。


(とすれば、両論は、構造論的逸脱論的横断論的関係にあると、いえることになります)


追記■参考は、桜井芳生氏の高論『「若者」の「自己意識」確立のための一考察― 』
URL:http://homepage3.nifty.com/sakuraiyoshio/nakama.htm
posted by 9組の秋六 at 04:49| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月15日

改稿■アキバ事件について、私はこう思いますA■宮崎勤の場合

宮崎勤の場合■墓地からの離陸■破綻した(非・英雄の)人格を受け入れる「自己」とは?

 宮崎勤が祖父の死後に、大量殺人の道を歩きはじめたのは、祖父の死が機縁となって、古いアイデンティティの死と置き換えができたからとみています。

 「離陸」という以上は、「基地」を前提においています。
 言い換えますと、外で人を殺しても、それ(破綻した人格=自己)を受け入れる「自己」を人格(自己)の「内部」に持っていたということです。

 特攻隊員は戦闘機に片道の燃料しか用意していませんから、そのような自爆テロのケースでは、着陸のための「基地」は想定外でしょう。
 つまり、英雄的な人格(=自己)は、死を介して、外部が受け入れ(国家保証付き)、彼英雄の死後を祭る国がかりの仕組みができあがっていたわけです。

 宮崎勤のケースでは、5回の「離陸」を試みて、4回の「着陸」に成功しています。
 つまり、4人の幼女の殺害に成功(5人目で、失敗)しているわけですが、この成功は「基地」機能に関係があるはずです。

 通常は、人一人殺せば、彼殺人者は人格の破綻に追いやられます。自首してくるのは、例外もありますが、大抵は、破綻した人格(死に瀕した自己=非・英雄の自己)を背負いきれなくなったためです。

(殺人などを犯した非・英雄の人格を「外部」に受け入れ、規定するのが国がかりの刑事法。これに対し、殺人などを犯した非・英雄の人格を「内部」に受け入れるのがオウム真理教などのオカルト教団)

 ですから、宮崎勤のケースでは、4人もの幼女を殺害しておいて、なぜ人格は破綻に追いやられなかったのかと、不思議に思えてくるのです。

 その理由として、「基地」の「墓地化」、言い換えますと、破綻した人格(=死んだ自己)を廃物利用でもするように、再生できたからではないかと考えています。
 適切ではないかもしれませんが、「祖父の死」の再生を自己本体と置き換えたのではないかとみています。

 いずれにしろ、宮崎勤は祖父の死後を生きている(甘美な・恐怖との一体化)と思い込むことで、人格の破綻を免れたと見ています。


■■・・・読まれると、身近な他者から見た宮崎被告とは、こうも暴力的且つ偏執的な人間だったのかと、思われることでしょう。
 被告の暴力は、身内の女性に限られ、従業員に対しては揮うことはなかったと見ています。ペットや小動物に対する虐殺行為から「得体の知れ」ぬ男と見られていたようです。
 父親はどうだったかというと、やはり、被告の暴力に遭っています。なぜかくも息子から舐められたのかと言いますと、祖父譲りの悪い女癖を引きずっていて、夫婦喧嘩が絶えなかったからです。
 母親は息子娘を自分の味方にして、父親の権威を引きずりおろしてしまいますから、息子は親父を舐めてしまうのです。

 息子は父親とのアイデンテティ(自己同一性)をなくして、エリクソン的な自己を抱えて不安定になるところ、宮崎被告のケースでは、敬愛する祖父と間でガラス細工のようなアイデンテティ(自己同一性)を保っていましたが、忽然と亡くなると、被告の人格は破綻前夜にまで豹変したといえると思います。
 このあと、死んだはずの祖父との間でアイデンテテイの回復を目論んだことが、何度も繰り返し書いていますが、殺人事件の引き金になっているわけです■


 上は、拙論の抜粋です。

 幽明界を異にするはずの両者が宮崎の中では、一体化しているのです。
 この点に関しては、宮崎は「いつもおじいちゃんと一緒」というような言い方をしていたように記憶しています。
 一方では、死んだおじいちゃんの復活とかいって、ペンタゴンの絵やろうそくを用意して、復活と称する宗教的な儀式をやっていました。

 ところで、誰がこんなグロテスクな話を真に受けるでしょうか。

 しかし、よくよく考えてみますと、問題は、宮崎の行った信じがたいことが問題なのではなく、どうやってそこ(グロテスクに満ちたオカルトの世界)に踏み込むかという方法論上の問題ではないかと思いました。
posted by 9組の秋六 at 04:40| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

改稿■アキバ事件について、私はこう思います@■「自己確立」とは、「英雄」と同義

親越えと恩返しと自己確立の三角関係■「自己確立」とは、「英雄」と同義


 大量殺人を犯す容疑者は、おおむね、アイデンティティ(本体的な自己)に幼少年期の傷(トラウマ)を残しているために、成人になっても、彼が彼として安住する自己を確立することができずにいます。 一方で、彼は自己回復に向けた努力や試みを行いますが、悉く失敗します。この後、彼は古いアイデンティティからの「離陸」を試みたものが他ならぬ「凶行」であり、「大量殺人」ではないかと考えました。

「離陸」とは、「親越え(=恐怖越え)」とセットになった概念で、対の概念が「恩返し」と「自己確立」です。
 自らの恐怖心、あるいは、対象を現実的な手段(犯罪)をとおして越えることをいいます。簡単にいえば、広義の「ジャンプ=犯罪]ということです。

 この点について、「アイデンティティ」の名づけ親であるエリクソンの「ライフサイクル」を参考にしますと、青年期の「好ましい結果」には「親越え」という言葉は見つかりません。

 「当たり前」といわれれば、返す言葉もありませんが、従来の「オタク」論やエリクソンの顧みることのなかった「親越え」が飽くまでもヒントだと思っています。

 合法的な「親越え」の例は、親の年収を上回ることができれば、子の恩返しの達成でしょう。
 ここで、親が開業医を営むなど、独立している場合、合法的な「親越え」は事実上困難で、ここではじめて、「自己確立とは何か」というように、議論されてくるのではないでしょうか。

 これは、神との関係を抜きにしては「自己確立」について語れないことを意味すると思います。
 うまく言い表せませんが、それまで永久不滅のものと信じられていた宗教の力が弱まり、個人の側にも信仰する力が弱まるなど、背景に国家的な求心力の衰退があり、一方で、豊かになった中産階級があり、そんな市民の間で自由な空気が浸透してはじめてそれについて語ることができるのではないでしょうか。
 ですから、神との対等の関係を個人が目指すものが西洋的な概念としての、ゆるぎない「自己確立」ではないかと。
 一方で、個人の自由を規制する力として、古い道徳論に代わって「自己確立」論が生まれた背景等は否めないと思います。

(この例に倣うならば、日本が戦前的な「親、親たらずとも、子、子たるべし」という儒教道徳を押し付けてくるのであれば、反動として、「自分勝手主義」的な自己確立法が生まれてもおかしくはありません。無論、かかる道徳を強制してきた国家的求心力の衰退という時代的背景が必須です)

 貧しい階層でのアジア的な「親越え」は、青少年期に働きに出て、稼いだ金で新しい家を建てたり、その家で貧しい親を扶養することにあるとみています(恩返しの達成)。ここでは、自他の境を取り除くような(目立ちすぎる)自己確立は後景に追いやられ、合法的な「親越え」が前景を占めるのではないかと考えています。

 エリクソン的なポジの自己確立は、もともと不要な社会であるせいか、老いてからは子に依存するのではないかとみています(恩返しの世代間連鎖)。

 この点は、自給自足が可能なアジア的な村落では、親が長老格の場合、息子の「親越え」は絶対的なタブーでしょう。

 仮に、タブーが破られるケースがあるとすれば、それは国造りに関わる政治的クーデターですから、彼英雄の誕生は、神話として後世に語る継がれるのはないでしょうか。

 私が言いたいのは、古今東西を問わず、「自己確立」とは「英雄」と同義ということです。

 国が安定し、平和になり、人々の生活が豊かになり始めますと、政治的な「英雄」が不要となる代わり、多くの市民が非政治的な場所で「英雄」として名乗り始めたり、頭角を著わします。
 この小市民的な社会現象をつかまえたのが「自己確立」論であり、非「英雄」の非「自己確立」論が従来の「オタク」論ではなかったかと見ています。


 不法行為としての「親越え」とは、血縁関係を断ち切るための想像を絶する恐怖心を伴ったジャンプというように受け取っています。事件を起こすことで、親などの家族の成員にダメージを与えて、怨念を晴らしたり、復讐を果たすことと理解されがちですが、飽くまでも副次的なものと捕らえています。

 直接的な「親越え」は、「親殺し」です
 間接的な「親越え」が、世に言う「大量殺人」です。
 前者では、「親越え」という内的なドラマは、「親越え」という外的なドラマと重なります。
 後者では、「親越え」という内的なドラマは、必ずしも「親越え」という外的なドラマとは重なりません。
 このままですと、ジレンマに陥るところですが、象徴的な関係が支えになっていると見ています。
 地も縁もない通行人の殺害を持って、陸続きの「親殺し」を代表させるというものです。



 大量殺人の前に、古いアイデンティティ(本体的な自己)の殺害が行われていると見ています。
posted by 9組の秋六 at 11:57| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月12日

大いなる股間 

080229_402a 011.jpgV字に足を開いた、女の人の股間から生まれたのを
あたしは憶えている。

生まれる前のあたしは、息を殺して死んだふりをしていたの。
あたしのおなかの上を大きな蛇がのそっと
這っているので、感付かれないようにと
神様にお祈りを続けていたわ。

というのはね、あたし」が生きていることを大蛇に悟られると
噛み殺されると思ったからなの。

捨て鉢のあたしの祈りが通じたのか、気づいてみると
あたしの頭上に見えていた、明るい出口の外にいたわ。

そこであたしは例によって、「オギャンヤンヤン」と喚いてみせると、
あたしの声を聞いて駆けつけたパパに向かって
「元気な女の子です」と
産婆さんはリップサービス。
むろん、おまけに決まっている。

そのときの光景に、コンクリートの橋梁のおなかが混じっていたのは
母が橋の下で暮らす、
ホームレスだったからなの。

母には男の人なんていなかった。
あたしがパパと勘違いした人は、
ボランチアの学生さん。

あたしが三歳のときだったわ。
母は中学生の不良グループによって、殺されたわ。
そのときのあおりを食らって、
あたしは半死の重傷を負わされたの。
そのときも死んだふりをして耐えたわ。
気づいてみると、生きていたっていうわけ。

でも、本当はわからないわ。
そのときすでにあたしは死んでいて、魂だけがさまよっているだけなのかなって。

今のあたしは、ちょうど生まれる前のように、
死んだふりをしていて、
頭上に出口の明かりが見えると
大蛇を従えて、外に出られるかなって、


そう思っているわ。
posted by 9組の秋六 at 20:35| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

没■アキバ事件について、私はこう思います■「超人一家」の子ゆえの暴走?■揺らぐアイデンティティ

bryce02a.jpg親越えと恩返しと自己確立の三角関係について■等身大の己の姿とは、他人に空似の一等むかつく存在ではないのかしら?



全面的な改修工事のため、削除しましたm(_ _)m

まことに恐れ入りますが、よろしければ、次の拙記事のご賢読をお願い申し上げます。
posted by 9組の秋六 at 10:06| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月11日

「超人っ子」の犯した凶行か■秋葉原無差別殺傷事件■頑張るとは?

TS3A1839a.jpg  先月の8日に起きた秋葉原での通り魔事件の容疑者のことがずっと気になっている。

 事件か容疑者か、とにかく謎を解き明かす、手ががりはないかと思って、ネットで探してみると、心理カウンセラーで星一郎氏の論旨の明快な論文「自己否定の末に、自分主義」と出会った。

「幸か不幸か、彼は頭がよかった。サービス残業を課す一流企業。正社員、派遣社員を区別する経済界。経済的成功者を勝ち組とし、あおるマスコミ。世の中の不合理が見えたのだろう。膨大な書き込みで人を求めたが、彼は決して負け組みではない。恵まれない環境で、真面目に一生懸命頑張ってきた。そのことが素晴らしいのだ。そんな自分に「I am OK」と言えればよかったのだ。
 ・・・」(全文は、末尾に)


 私も結構「自分主義]の方だが、書くまでもなく「自分主義」だけでは、人は殺せないだろう。たとえ危険分子のひとりではあったとしても。

 ここで、疑問が襲い掛かる。

 なぜ、そうまでして頑張るのか?

 この疑問は、さらに次のように増殖してくる。

 結果を出せなくても、頑張ったというだけで、本人を始め周りの人間は納得するものだろうか?
 頑張るということは、裏を返せば、ダメ人間であるからではないのか?
 ダメ人間はいくら頑張っても、結果がついてこないのだから、はじめから努力しない方が賢明というものではないのか?
 そうやって努力も何もしない人間は、そのありのままの、等身大の自分を受け入れてくれる人間を他に求めることはできないのか?
 自分を肯定するとは、努力して結果が伴った、いわば昨日までのできなかった自己と決別できたからではないのか?
 それでも自分を肯定するとは、努力以前の何もできないでいる自分を肯定することではないのか?
 たとえば、「あなたの小指の指紋は、とってもきれいね」と、昨夜(正確に言えば、今朝まで)付き合った女性からほめられたといって、明るい時に、改めて自分の小指の指紋をうっとりと見つめる男がいる。書くまでもなく、この男と小指の関係は、努力以前の問題が横たわっている。そんな彼だから素敵といわんばかしの、努力以前の本来的な彼の姿を愛してやまない女性の問題がある。これこそ最悪の自己肯定の近道ではないのか?
 いくら自然志向の女子大生といっても、観念的な愛について語るときは、真剣そのものだ。彼を愛するとは、努力も何もしない、汚れっぱなしの、いわば糞尿にまみれた肉体であっても、精神でも輝いていれば、その精神を愛するということなの?
 この問いかけは、女子大生でなくても、次のように続くだろう。
 輝く精神の持ち主であれば、人を殺した後でも、彼はずっと愛され続けるものか?
 そんな彼を愛してこそ、愛の純粋性は輝きを増し、酔うこともできるというのか?
 そんな愛であればこそ、拒もうとして、努力を放棄する彼もいるのではないのしら?
 努力しても何一つ実を結ばないからと、ぐれて、ぐれて、ぐれまくって、どの愛の手からも届きっこのない極地に逃れたくせに、彼の本当の心は淋しくて、愛を求めているとでもいうのかしら?
 なんら輝きのない精神の持ち主は、その上に、肉体が汚れていると、誰からも愛される資格を有しないのか?
 そもそも努力に値する努力とは、どういうものか?
 努力と評価のべたべたした関係こそ、忌むべき、最たる低俗の関係ではないのか?
 人間を評価する仕事ほど、楽勝の仕事は他に見出せないのではないのか?
 自分(勝手)主義だからこそ、「なにをしてもいい」と考えつく。このこと自体がすでに自己肯定ではないのか。
 たとえ針の穴のような「狭い門」であっても、突破できる可能性が万に一つでも残っていれば、努力するのが人間の務めとでもいうのか?
 努力にはじめから目標を掲げる必要はなく、それだけが人間の務めとでもいうのか?
 そもそも人生に、意味があるのか?
 いやいや、等身大の己の姿こそは、他人に空似の一等むかつく存在ではないのか?
 努力の意義とは、まさにその一点に要約できるのではないのか?
 つまり、等身大の己を嫌悪するからこそ、「離陸」に最大限の努力を払っているのではないのか?
 自力で「離陸」できないから、「変身願望」が潜在するのではないのか?
 努力こそは、「願望」ではなく、変身への「欲望」をわしづかみできる夢の手段ではないのか?
 こうして自己からの「離陸]を要求してやまない変身願望と、自己同一性を主張してやまないアイデンテテイの敵対関係が明らかになった。つまり、願望系はアンチ・エロスで、彼岸に死を用意するのに対して、アイデンテテイは自己に生の意味を注ぐものといえないかしら?
 してみると、「努力」とは、どっちみち、死にいたる道・・・?


 と、こういう自問の末にたどり着いた答えにならない私の答えとは、努力して結果を出した、その繰り返し(あるいは、たった一度の経験)によって自己に潜む無限大の可能性を信じることができ、そのときに初めて自己を肯定でき、延いては明日を生きる糧につながる、というものである。

 無論、私自身は、自己に潜む無限大の可能性なんてこれっぽちも信じていないから、ある面では適当に努力し、ある面では適当にサボっているハンパ人間である。
 それでも思い出したようにやる私の努力の多くは、無駄の類でしかないから、自分でもばかばかしい努力だと思っている。

 本気でそう思っているから、努力に対してはかなり否定的で、容疑者の「頑張り」そのものにこそ根本的な誤りがあるのではないかと疑ってしまうようなところがある。

 そんなわけで、星氏のように「頑張」ったということだけで、[自己肯定」を云々する気にはなれないでいる。
 ましてや、いわゆるスケベー心を満たそうとしての出会い系サイトとあってはね。


■【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】(1)「自己否定の末、自分主義に」 心理カウンセラー 星一郎
MSN産経news2008.6.19 07:40

 ■自己否定の末、自分主義に

 「負けっぱなしの人生」「いつも悪いのは俺」「キット寂しい老後」「不細工な私」−。17人を殺傷した加藤智大(ともひろ)容疑者の3000回に及ぶサイトへの書き込みは、自己否定の言葉で埋め尽くされている。友人、同僚、家族、女性へ、これほど自分のみすぼらしさを語って犯行に及んだ者が、かつていたろうか。自分を嫌う強烈なエネルギーが、無関係な他人に向かった。

 「いい子が心配」と言われる。日々の面談でも、いい子を演じる子に会う。本物のいい子との見分けは簡単で「自分が好き?」と聞くと例外なく「大嫌い」と言う。自己肯定感が薄いのだ。成長過程の対人関係で勇気をくじかれている。

 不登校のある男児は毎朝「早く早く」とせき立てられ、親が大好きだから頑張った。ある日「全くのろまね」という母の言葉に深く傷つき「自分はのろまだ」と無気力になった。「どうせだめね」「だから言ったのに」という言葉がどれほど子供の勇気をくじくことか。オーストリアの精神科医、アドラー博士は問題行動の根本原因は勇気をくじかれることだと説いた。

 みな、小さな勇気を積み重ねて生きている。いじめっ子がいても学校へ行き、面倒でも風呂に入る。ところが各場面で勇気をくじかれると、こうした当然のことができなくなる。マザー・テレサは愛の反対概念として暴力ではなく他者への無関心をあげた。無関心に傷つき、やがて認めてほしいと願うと、周囲の関心を引こうと困った行動をとる。われわれ(心理カウンセラー)が呼ばれるころには絶望と敗北だけを経験した子が独りぼっちでいる。

 本当はできたときこそ大事で、「よかったね、できたね」と認めてあげれば、「やればできる」と思えたはずだった。

 成人後も同じで、勇気は、逆境を乗り越える力になる。その勇気を支えるのが、「自分が好き」という自己肯定感である。自分が受け入れられたことがある人は、他人を受け入れることができる。

 アドラー博士は「自分を肯定し、他人を信頼し、世の中に貢献できる力」を共同体感覚と呼んだ。そして社会的不適応を起こす大きな理由を共同体感覚の欠如におき、対抗概念として自己中心や私利私欲を挙げた。加藤容疑者の不幸は「人生には意味がある」と知る機会がないまま、「自分さえよければ」という、彼が一番憎んだ自分主義に陥ったことだと思えてならない。


 幸か不幸か、彼は頭がよかった。サービス残業を課す一流企業。正社員、派遣社員を区別する経済界。経済的成功者を勝ち組とし、あおるマスコミ。世の不合理が見えたのだろう。膨大な書き込みで人を求めたが、彼は決して負け組ではない。恵まれない環境で、真面目に一生懸命頑張ってきた。そのことが素晴らしいのだ。そんな自分に「I am OK」と言えればよかったのだ。

 容疑者は世がどうあれ、罪を償わなければならない。問題は「自分主義」の世が、今後も同種の犯罪を誘発することだ。事件を私たちの共通課題としなければ再発は防げないだろう。


気まぐれなノートより■

結論@)一部の女性は、内に秘めた変身願望を不倫によって鎮めようとする。
結論A)一部の男性は、内に秘めた変身願望を凶行によって鎮めようとする。
結論B)両者に共通する変身願望とは、全能なる超人化である。


(他人とは、もともと冷酷な存在だ。特に、等身大のヒューマニストであればなおのこと、彼のやさしさは、罪深い人々へと向けられる--J・P・サルトルの言葉もどき)

(つづく「逆転の発想法?」)
posted by 9組の秋六 at 03:48| 福岡 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月09日

乳巣速報■静止衛星「カンキセン」の打ち上げで、サミット合意で閉幕か

TS3A1852.JPGTS3A1852.JPG こんなことを考えつく人は、日本のお役人以外にはおりません。荒唐無稽です。

 永田町では、究極の地球温暖化対策だ、世界のリーダー国たる技術立国ニッポンを象徴する究極の秘密兵器だとかいって空騒ぎしておりますが、内輪褒めもいいとこです。

 試しに、ビンボーテレビ放送の動画ニュースの記事内容を次に引用します。

■北海道洞爺湖サミットで、静止衛星「カンキセン」の打ち上げで合意
080709 3:43更新bth

 8日午後、議長を務める日本のクサフグ総理が北極の上空にオゾン層の穴があいているので、「穴」を有効活用すべき、秘密兵器満載の静止衛星「カンキセン」を2020年までに打ち上げ、CO2に限らない有害ガスを含んだ地球の大気の総入れ替えを行い、清め、もって2050年までのCO2の50%削減目標は達成可能と会議の壇上でぶちかましましたところ、アメリカのデデカイ大統領をはじめとした各国首脳陣は、それは名案だと賛成に回り、まったくの予想外の議長国ニッポンとしては超ベリーハピーの展開。
 このままの運びですと、クサフグ総理の提案は採択され、共同宣言して閉幕か。

 では、究極の秘密兵器と騒がれた「カンキセン」とは、どういうものなのでしょうか。

 ごく簡単に説明しますと、広げられた折りたたみ式の鏡板の上に、工場で見かける白と赤の縞々模様の三脚の集塵装置(エントツ)が取り付けられています。

 イメージ的には、まったくの「エントツ」であるわけですが、これを「カンキセン」というには、やはり、ネーミングの問題が心にひっかかります。
 事実、日本語に暗い各国首脳陣の間からは、クサフグ総理の用意したパネルの絵を見て、「エントツ」と思い込み、「オ〜、ワンダフル、カンキセ〜ン!!」と発音しているケースが多々見られます。

 原理的には、大気圏外で吹き荒れている「太陽風」を引き込み、鏡板で反射。その際、エネルギーを吸収利用し、光速化すると同時に分子構造の解体、この両立が秘密兵器「カンキセン」の成功の鍵になると専門家は見ています。

 原理的にも、ネーミングの問題はいっこうに解消されないわけですが、そうやって有害化学物質だけを無力化して、宇宙に垂れ流そうという発想の原点が室内的「カンキセン」的なものですから、名付け親は「カンキセン」としたのではないかと、専門家は見ています。

 もっともクサフグ総理は「(宇宙に)垂れ流」すという言い方はされておらず、「(元に)返すだけ」と語っております。

 すでに皆様もご存知のように、2010年には核廃棄物の捨て場所として、月面利用が始まります。
 この国際的な合意の流れで、その十年後には、静止衛星「カンキセン」が地球のごみを宇宙に垂れ流そうとしているわけです。

 ところで、会議の直前までシナリオにはなかった、静止衛星「カンキセン」の打ち上げ構想は、どうやって誕生したのでしょうか?

 この件の関しては、クサフグ総理をはじめ関係者は一様に口を閉ざしています。
 謎のままです。

 謎はその上をまるでなぞるようにさらなる謎を・・・。

 ・・・(以下、省略)


 見られますように、呆れんばかりの地球温暖化対策です。

 ぼくは啄木ではありませんが、温暖化を促進する地球の有害物質と目されたCO2と垂れ流しにされる「宇宙」とを憂います。


 ところで、ぼくはひそかにですが、異常気象の持つ「カンキセン」効果のついて研究しています。



お断り■乳巣速報は、すべてフィクションです。ドンビ掌編?マジ掌編?
posted by 9組の秋六 at 04:43| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ある■梅雨■幻想

TS3A1404.JPG  雨は上がって、梅雨明け宣言もま近いのだろうとおもって空を見上げると、まだまだという感じです。
 抜けるような青空は、見られませんでした。

 まだまだ雨のドラゴン、いや、雷様が近くに待機しているような、なんともファジーな曇り空でした。


 次の瞬間、このまま梅雨空が続いて、涼しい秋にバトンタッチしてくれたらなと取り留めのない考えが過ぎりました。

 もっとも、こういう観念に親しみやすいのは、盛夏を知らずに人生の秋を迎えたからかもしれません。

 本当は、私も人並みに旺盛な夏を過ごした一人かもしれません。しかし、盛夏を知らずにすごしたという思いに囚われているのです。

 人間って、つくづくとおかしいと思います。
 ちょっと手綱を緩めると、とんでもない方向に走りだしますもんね。

 で、結局のところ、なんだろうと思って、探してみましたら、うじうじという感覚に突き当たりました。

 「うじうじ」と書いてしまいましたが、これだけでは、連想は難しいと思いますから、「うじ」の二乗の感覚と書くことにします。

 そうなんです。この季節になると、白い便器からあふれるように姿を見せる蛆虫のはなしなんです。
 ところが、はかない命の持つ可憐な生き物の、透き通るような肌の、あの透明感のエロスが好きといって、うっとりと眺める御仁もおられますから、人間の心なんて到底わかるものではありません。

 そういう人は、死臭を放つライオンのような猛獣の亡骸に群がる蛆虫のこと(群衆のような、日常的な従順さとは裏腹の凶暴なイメージ)を知らないからたまたま美化できたのではないかと勘ぐりたくなりますが、無論、そういうときの私は烈しく妬いています。

 ですから、対抗上、存在論風に好きというように、別の扉をこじ開けてしまうのです。
 モチ、自分の手の届く範囲の扉です。

 たとえばですね、失業中の身で蓄えが底をついて絶対ピンチの境遇。モ〜、明日にでも働きに出る必要があるんだけど、神経を患って働きたくない離職者、ものぐさ太郎みたいな自称詩人(女の子には持てるキリギリスみたいな駅前のミュージシャン、これは除外)にとっては、長雨は引きこもりの恰好の口実になりますもんね。

 ほかにも、好きな子がいるのに、告白ができなくて、夜になると蛍みたいに身を焦がすだけの人。
 朝の光が照らし出すと忽然と壊れてしまうガラス細工のような観念のトリコになって、夜の海に浸ってうっとりしているだけの人。

 うまくゆきさえすれば、梅雨明けの後に待っている、連日の夏日に乗れてスマートな生き方が待っているかもしれないのに、うじうじと部屋にこもってばかりいて、ずるずると態度の決定を先延ばしにして、最後にはチャンスを逃して、泣いている人。


 陸離たる夏を取り逃がしたばかりに、気がついてみると、人生の秋を迎えていた・・・って?
posted by 9組の秋六 at 02:41| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月08日

こちら愛知、朝方から降り出した雨は

9時ごろにはゴロゴロゴロと雷様が鳴り響かせて大降りになりましたが、すぐに鳴り止み、同時に雨脚も弱くなりました。

 小降りの中、9時半ごろ、野暮用がありまして、自転車で外出。
 透け透けの雨合羽をはおっておりましたが、フードは風にあおられて後ろに。おかげで頭はずぶぬれ状態だったのですが、とてもやさしい雨と思いました。

 私を包み込んでくれるやさしい雨と思いました。



 (こんななんでもない日記風の記事を書いただけでは、仕舞えることができないとは、・・・哀しい)



■逆転の発想法■乳母車

たとえば、トラックの荷台は車体の後ろについているのが当たり前と思っている人が大勢なのではないでしょうか。

といっても、クレーンなど工事用の車両は、運転席より前つきです。

つまり、乳母車式であるわけです。

乳母車というのは、長時間おんぶする苦痛から開放する手段であると同時に、荷への監視の目を可能にしたものです。

従来のトラックというのは、荷をおんぶする発想法に支えられていて、荷の監視をおろそかにする構造なんです。

ですから、荷の監視に重点を置いた貨物用トラックは、荷台部分を運転席より前方に取り付けるべきなのです。

リフトのように、大きな荷物を運ぼうとすると、走行方向に対して死角を生みやすくなりますから、小物に限ります。

たとえば、現金輸送車や郵便物の収集車等。




 雨は、昼にはあがってしまいました。

 とても残念に思います。





posted by 9組の秋六 at 14:21| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月06日

続■「換気扇」VS洞吹き爺っ子の集まり「寒っ人」

タバコの値上げ騒ぎぐらいで、泣いている場合ではない。
ならば、めちゃめちゃ書きデモやロット。

たとえば、モク拾いのコツは、だね、バス停とか駅前の交差点なんかが山盛りっていう感じだから、断然お勧めコースだね。

繁盛している店前とかでなくて、それとなく繁盛している場所。

換言すると、カーボン抽出用の家庭用換気扇っていうのは、取り付け先が「家庭」と限定されてくるわけね。

一般論としていえば、「家庭」というのは、「それとなく繁盛している場所」っていうわけ。

この点は、「寒っ人」会場の地盤は軟弱で、工事を請け負った竹中工務店は5億円の赤字を出したとか。トンネル工事じゃないんだからさ〜、モチ、想定外のなんて理屈は通らないよね。

であるから、「寒っ人」の議題は、なんたって「換気扇」が中心テーマ。

当然、アメリカと中国とインドは、「換気扇」の取り付けは、ヤダと反対に回っているのに対し、日本を始めとしたEU各国の主張は、わが国の開発した「換気扇」を買えというもの。

この態度の決定的な違いは、政治力で経済をコントロールするか否かの信仰の違いなんだけど、この場合、「換気扇」が政治力なわけね。

反対に、経済力こそが万能で、政治その他をコントロールできると大洞を吹いているのがアメリカ等の爺っ子。換言すると、「寒っ人」。
その反対も、自惚れているだけ(竹中?)だから、やはり、爺っ子の「寒っ人」。

であるから、この議論はだ、車の両輪のように、平行線の上ならば万里といわず、走れるわけ。


最後に、人目を気にせずにモク拾いをやるコツは、町の美化のためにやっていると周囲に思わせること。
このときに注意すべきは、一本50円もするんだからと欲張って、40円ぐらいの値打ち物ばかりを狙わぬこと。

できれば、腰にビニール袋を下げてワイシャツにネクタイを締めていれば、完璧?


と書くと、おかしくなる、って。

「換気扇」は高嶺の花だからいいとしても、それだと「モク拾い」が貧乏人の自衛手段でなくなるのではないかって、ね。


それは、読み過ぎっていうもんだろう。

は〜ん?
posted by 9組の秋六 at 14:30| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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