2007年11月16日

ザ・禁止

第一章 タブー越え

 びわの木とは、当時就学したばかりのぼくにとりましては、硬質のイメージを放ちつづける、不思議な木でございました。といいますのは、大柄の葉はかちかちで、葉脈は太く明瞭な線を引き、裏表の明暗の色は歴然としており、ちょっとした風にあたってもなびくことはなかったからでございます。
 ちょうど一匹の侍然として、そこに厳かに佇立しておりました。
 「不思議」としましたのは、硬質のイメージとは別に、黄色い乳房を実らす果樹でもあったからでございます。

 びわの木には、一つのタブーが言い伝えられておりました。それは、青いびわの実は食べてはいけない、という禁止でございます。
 タブーにはもとより、明白な抜け道が用意されておりましたから、近くのお寺の境内でなっているびわの実を盗ってきては、おやつ代わりに食べておりました。

 六月といえば、連日のように雨季特有の混沌した厚い雲が低い空をおおっております。そのくせ、降るのか降らないのかわからない、ファジーな空模様が何日も続いております。
 ですが、ぼくの目には、黒い竜の胴体が低空飛行しながら下の様子をうかがっているように見えておりました。ですから、六月の晴れといえば、黒い竜が遠くの南の空に退いたときでございます。
 確か、そんな晴れた日のことでございました。

 四時限の授業を終えて帰宅しますと、玄関の上がり框に背中のランドセルを放るや引き戸も閉めず、黄色い乳房の垂れるあの場所へと向かったのでございます。
 途中、お寺の真向かいの家に住む、二つ年下のマコちゃんを誘いました。
「あそぼお」と、声をかけて。

 お寺のびわの実を盗むのに、年下の子を誘ったのは罪の意識を薄めるためではございません。効率よく摘果作業をすすめるためでございます。むろん、木によじ登り、実を房ごともぎるのがぼくの役目でございます。マコちゃんは下にいて、それを高く上げた両手で受け止めるだけでいいのです。

 びわの木のすぐ背後には、紫陽花の花の陰に埋もれるように、二十段ばかりの短い石段があり、上りきりますと、七十坪ばかりの平地の左手の奥に、腐りかけた木造のもぬけの堂が建っておりました。
 その堂を遠巻きに囲むようにして、およそ百体の舟形光背の御仏の石像が、泥や苔をかぶりつつ、修復もされず放置されたままの首なし手なし鼻なしの像や、五、六体の倒伏したもの、あるいは反り返ったものとともに黒々と並び、いびつの半円を描いておりました。
 そこは低くとも山の緑のスカートのすそでございますから、空はほとんど大樹の枝葉でおおわれておりました。

 寺といいましても、神仏習合の土地でございます。当時神官は在野のせいで不在でございましたが、お堂と隣接して和尚一家の暮らす屋敷がございました。
 神社の本堂は、もぬけの堂のあるところから西側の一段下がった百坪足らずの、やはり山を削った平地に建てられ、すぐ横に注連縄で飾られた二股の大銀杏の樹と土俵場がございました。
 ここからは、北に位置する黒崎の町並みや林立する旧八幡製鉄所の煙突と噴煙が樹間に一望できたのでございます。
 参拝客ははじめこそいたって緩やかな、最後の三分の一ばかりは急勾配の、合計百段ほどの石段を上りきらなければなりません。
 最下段のところの鳥居をくぐりますとすぐの両脇には、目ん玉を剥いた雌雄の狛犬が石垣の上のやぐらの高いところから、番をしております。

 山があれば、ふもとには当然のように神水が湧き出てきます。神水の貯まる池が寺の近くの窪地にあり、南側の池の斜面には湧き水利用の一町にも満たない、段だらの田圃が占めておりました。また登山口に連なる幹道には、山で伐り出した杉の丸太を曳く荷馬の馬糞が点々と散っておりました。

 当時のぼくにとりましては、お寺の木になったびわの実とは、山から湧き出た”甘い水”であり、不足を補う旬の”食料”でもあり、さらには、手近な弓矢の”ターゲット”でもございました。
 びわの実の味は、黄色の濃淡で見分けがつきました。オレンジ色であれば、熟した果肉はやわらかく、美味でございます。逆に、色が白ければ、しまった果肉はかたく、酸味が勝っておりました。また小さな果実は、種ばかりが占め、皮を剥く気にもなりません。

 のどかな山すその町にも、戦後の急成長の波がひたひたと押し寄せておりました。終日大工の立てる金槌の音があちこちからこだまし、月に一度はどこかで棟上を祝う餅投げが行われておりました。
 こうして昔ながらの田畑は、着々と宅地に食われておりました。

 −−と、最後に、一房の青いびわの実が残ったのでございます。
 はじめに、ぼくはマコちゃんの手に乗せて、「食えよ」とすすめてみました。すると、「いらん」といって断られました。半分怒ったように、にらみつけておりました。
 見るからに、すっぱそうな青い果実でございます。それでも、何も知らない彼ならば、黙って口にするだろうと、要するに、年下の相手を見くびっていたのでございます。
 仕返しは、すぐにやってきました。彼は断るのと引き換えに「スエたんが食べりい」と逆襲してきたのでございます。
 すすめた手前、突き返されてみますと、そのまま食べずにいるぼくの立場がおかしくなると思いました。ですから、房の中のひとつを選ぶと、口にしたのでございます。

 こうしてぼくは不本意ながら、「タブー越え」を犯したのでございます。
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2007年11月15日

芥川のゲーム理論□逸脱論Kの2

ryunosuke701110a.jpg『タバコと悪魔』に隠されたギャンブル用語■以上が作品の「読み直し」に関係したものだが、今度は「ヒトモク」の用語規定に迫る。
 「ヒトモク」という賭博用語は、作品『タバコと悪魔』にこそ由来すると思われるので、まずは抜粋である。

《ー−その代わり、私が勝ったら、その花の咲く花をいただきますよ。
ーーよろしい。よろしい。では、確かに、約束しましたね。
 ーー確かに、御約定いたしました。御主エス・クリストの御名にお誓い申しまして。
 伊留満は、これを聞くと、小さな目を輝かせて、二、三度、満足そうに鼻を鳴らした。それから、左手を腰にあてて、少しそり身になりながらも、右手で紫の花にさわってみて、
 ーーではあたらなかったらーーあなたの体と魂とを、もらいますよ。

 紅毛の人に化けている悪魔「伊留満」は煙草畑の前を通りかかった牛商人に、煙草をメモクにして賭けることをすすめている。草の名前を言い当てたときは、それを全部やるという。反対に、言い当てることができなかったときは、体と魂をもらうというのは、ヒトかモクかのことであり、ここから「ヒトモク」という言葉の誕生が考えられたとしても何の不思議もない。
 ここにおける煙草と牛商人と悪魔の三者関係が、ほぼ『羅生門』での倒錯的ともいえる三者関係と対応する。メモクとは「美しい娘」の換喩であろう。とすると、「美」は即自的な存在として、彼とともにある。この上なき幸福の状態にあるのだが、その幸せに目覚めることがあるとすれば、そのときの彼ははじめて対自的な存在者、即ち、ヒトモクに生まれ変わり、同時に、脱自、つまり、「良心」の支配下におかれることになる。言い換えると、美と良心の間にあって翻弄される人間の換喩が「牛商人=ヒトモク」なのだ。
 ところで、これまで取り上げた芥川の作品には一度として「美しい娘」というヒロインが登場しておらず。誰でも気になる点であろう。
 そう思って作品を読み返すと、それらしき人物が『羅生門』にいることに気づかされる。例の「蛇を切り売りする髪の長い女」である。死体なのだが、生前の彼女は「それはそれは美しい娘であった」とすれば、髪を盗みたがる老婆の気持ちは少しは理解できるのではないか。   
 では、老婆がパラノイアともいうべき、倒錯的な美の崇拝者とするならば、「追剥ぎ」をする下人とは、悪魔の化身なのか?
 この問いに対して明らかに言えることは、作家自身はそのようには下人を人物設定してはいないことだ。かといって、「老婆」に喩えられるようなエゴイズムの塊でもない。彼こそは善良な心を持った人間なのだ。それも脱自的存在、つまり、作家の「良心」を代表させているのだ。
 とすると、下人と老婆は近代人の持つウェヌスのごとき相反する二つの顔を代表させたことになろうか。
 そんな善良な心を持つ下人があの鬼気迫る問答を了えた途端、「リンチ」ともいうべき制裁をどうして老婆に加えることができたのか。
 このときの下人こそ悪魔の心を持ち、無実の老婆こそ濡れ衣を着せられたばかりに赤裸々な人間の心をさらけ出しているのではないか。

 詭弁を弄しているのではない。外から見れば、どちらも悪いように見える民事事件も、ウォッチングの眼で裁判所の傍聴席に立ってみると、白黒の見分けがつくまでに眼が肥える。
 そうだとして、もし、物語のピークに役割の交代という劇的な変化があれば、二点間の中点に小説的な「スーパー機能」が宿ると仮定することができる。仮定は、すぐにでも「超論理」の存在によって裏付けがとれる。と同時に、下人の用いた論理に逸脱のあることが暴露される。
 こうして下人の悪魔的良心と老婆の潔白性という対照的な立場が明らかになったところで、それが何になるというのだろうか?

 と、こういう自問は、どこに由来するのであろうか。

 自分にしてみれば、これ以上のサービスはないと考えているのだが、それがダメとする根拠は、・・・・不可解である。

「羅生門」の民事事件への置き換え■事の次第が明らかになったところで、小説機能の作動する、ホットな・近代設備の整った工場の中を見学することにしよう。
 そのために、物語の主だった流れを追うことから始めたい。

 下人が一夜の宿を羅生門の楼にもとめる。上ってみると、放置された死体に混じって、意外なことに人がいる。しかも、不審な動きである。そこで勇気をふるつて追い詰めると、老婆であった。黙秘権を行使するようなので、思い余って刀を突きつけて自白を強要すると、「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘にしようと思うたのじゃ」と喘ぎつつ、なにやら犯行の動機めいたものを打ち明けてきた。余りの凡庸さにがっかりしていると、なんと自らの行為を正当化するようなことまで言い出したではないか。「なるほどな。死人の髪の毛を抜くということは、なんぼう悪いことかもしれぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいのことは、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などは、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だというて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいたことであろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいというて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは。この女のしたことが悪いとは思うていぬ。せねば、餓死をするのじゃて、しかたがなくすることじゃわいの。じゃて、そのしかたのないことを、よく知っていたこの女は、大かたわしのすることも大目にみてくれるであろ」。それに対して、下人は「きっと、そうか」と念を押すと、「では、己が引剥をしょうと恨むまいな。己もそうしなければ、餓死する体なのだ」というなり、老婆の着物を剥ぎ取ると、その場から遁走をはじめる。

 物語のピークは、老婆の心を漂白した瞬間とその後に起こる下人の盗人への変身の二点に的を絞る。
 両者の関係について、「食物連鎖」とか「エゴイズム」云々とする意見が多いが、とにかく、権利者と義務者の関係に置き換える。法論理の観点から眺めると、「超論理」が駆使されているからだ。
 下人は利害当事者ではないが、遺族の債権者サイドに立つ法定代理人である。一方の老婆は、返済を迫られている哀れな債務者である。
 老婆の言い分は、次のように訳せよう。

「私はこの女から金なんど借りた覚えはない。確かに、死後に借りたことは事実だが、それは女が生前生きるためにやむを得ず借りた金を病で倒れたために返せずにいるから、そのままでは心苦しかろうと思って、全額とはいわないまでも利子分を私が貰い受けたものだ。多分、あの世にいる女は、それを許してくれると思う」

 言い分は大筋において問題はないが、細部に引っかかりのある債務不服申し立てである。
 というのは、死後に金を借りた件に関して死者の魂を弔うためと供述しているわけだから、返済すべきかどうかの点は争点にならないと申し立てていることになる。
 だから、それが弔いか否かについて議論の余地が生まれるところ、債権者サイドに立つ下人は、問答無用とばかりに弁を競おうとはせず、債務者の敗勢に乗ずるように、代理人の権利を執行している。それだけではなく、巻き上げた金を依頼人に渡さないで私物化したわけだから、代理人は利害関係にある双方の当事者に対して二重の罪を犯したことになる。

 そのときの下人の「きっと、そうか」と念を押した後、「では、己が引剥ぎをしようと恨みまいな、己もそうしなければ、餓死する体なのだ」という言い訳は、法論理から見れば「逸脱」というほかはなく、老婆のとった行動が正当と認めるならば、債務者は債務から解放されたのである。そして、下人は自らが正当と認める行動、このケースでは、死者からの略奪を執り行うべきなのだ。
 にもかかわらず、私情を打ち明け、債権の取立てを強行執行したわけだから、下人の行ったことは、「私刑」執行の際の権利の濫用以外の何者でもない。結果的に、下人ひとりが道を誤ったのである。

 このことからいかなるアレゴリーが引き出せるだろうか?
 と、このケースでの、そういう問題設定は不要であろう。いくら鬼才の芥川といえども、そこまで読んでいたとは考えにくいからだ。ただ、ウバの着物には霊力が宿るように、老婆の着物に「民話機能」を宿らせたお話とは言える。
 というのは、下人が霊力を奪うことで不死の生命力を獲得したのに対し、不死の老婆は霊力を失うと同時に衰弱死したと考えられるからだ。


今一度、「悪魔と煙草」■論を戻すことにすると、「美」に翻弄される牛商人は煙草がなかった時代のことだから、紫色の花を咲かせる魅惑的な草の名前など知るべくもない。絶望の淵にあると思われた行商人は知恵を振り絞って、悪魔自身の口から草の名前を聞き出すことに成功する。

「この畜生、なんだって、己の煙草畑を荒らすのだ」。

 賭け事は、牛商人が勝って「美しい娘」と晴れて結婚するのだが、芥川は「この伝説に、より深い意味がある」として、次のように「寓意」を引きだして見せる。

《悪魔は、牛商人の肉体と霊魂とを、自分のものにすることができなかったが、その代わりに、煙草は、あまねく日本全国に、普及させることができた。してみると、牛商人の救抜が、一面堕落を伴っているように、悪魔の失敗も、一面成功を伴ってはいないだろうか。悪魔は、ころんでも、ただは起きない。誘惑に勝ったと思うときにも、人間は存外、負けていることがありはしないだろうか。

 上の文章は、実をいって、歯切れが悪い。「煙草こそは悪魔」としたい基本的な考え方が伝わってくるのは、まあいいとしても、「(美の)誘惑に勝つ」云々は、余りにも常識的すぎる。しかし、牛商人がそのときヒトモクとして自己の体と魂を悪魔に差出さえすれば、煙草はあまねく普及することはなかったとでも伝えたいのなら、至極論旨のあいまいな文章といわねばならぬ。なぜなら、煙草=悪魔による汚染は、煙草の播種によってすでに始まっているからだ。つまり、悪魔に負けたときも、人間は存外勝っているものだと論を結べるからだ。

 それにしても奇っ怪な作品と感服せずにいられないのは、それまで人間の仮面をかぶせていた悪魔をそのままの姿でゲームに参加させたことだ。だから、かえって種を明かす気になったことに対して不審の念が呼び起こされるのだ。
 理由として、持ちパイの手薄な状況を考えてみたが、涸れるどころか、以後の芥川は量産態勢に入っている。ということは、それまで無意識に組み立てていた「ゲーム理論」の存在を自覚したことの現われと受け取りたい。
 特に、心境の上で飛躍があり、それまで禁欲的な態度をとり続けた作者が誘惑に負けたことにして、美=メモクとするギャンブラーとしての危険な第一歩を踏み出したのではないか。


最後に、『手巾』■最後に、『手巾』を取り上げる。品行方正な作品で、姿勢の正しさだけでも「一流」と判を捺したくなる秀作である。

《そのとき、先生の目には、偶然、婦人の膝が見えた。膝の上には、手巾を持った手が、のっている。・・・・が、同時に、先生は、婦人の手が、はげしく、ふるえているのに気がついた。ふるえながら、それが感動の激動を強いておさえようとするせいか、膝の上の手巾を、両手で裂かないばかりにかたく、握っているのに気がついた。そうして、最後にしわくちゃになった絹の手巾が、しなやかな指の間で、さながら微風にでもふかれているるように、ぬいとりのあるふちを動かしているのに気がついた。−−婦人は、顔でこそ笑っていたが、実はさっきから、全身で泣いていたのである。 

 上は、先生が手に持っていた朝鮮うちわを床の上に落としたので、それを拾おうとしてたまたま眼にした、婦人の「膝の上」の出来事である。その中で何が「美」かと問われれば、これまでに述べたいきさつで「手巾」としか答えようがない。というのは、フェチ特有の美意識が婦人の握り締めたものに吸い付いているからだ。
 婦人の演技は確かに感動的なものだが、劇作家ストリンベルグの言葉の引用によって、「臭い」とされる。

《・・・・私の若い時分、人はハインベルク夫人の、たぶんパリから出たものらしい、手巾のことを話した。それは、顔は微笑していながら、手は手巾を二つに裂くという、二重の演技であった。それを我らは今、臭味と名づける。

 メッツヘンが、最後に再度登場する。

《先生は不快そうに二、三度頭を振って、それからまた上目を使いながら、じっと、秋草を描いた岐阜ちょうちんの明るい灯をながめ始めた。

 上の「秋草・・・・」は、三好によって「小説の首尾を貫」くと評されるものだが、型が「死」を暗示しなくなったとき、換言すると、婦人の迫真の・そして魅惑的な演技にも心が動かされず、先生がゲームの勝利者として生の方に振り分けられるならば、それは演技同様、「臭い」ものにちがいない。

(完)
2004/4/21記
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逸脱論Kの1■芥川のゲーム理論

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二つの死に顔■志賀文学との関連でいえば、芥川文学への関心は、結末に向けられるべきだ。なぜなら、二つの死の「型」が確認できるからだ。
 たとえば、処女作『老年』では、「雪はやむけしきもない」という言葉で終わっている。これは、作品のはじめにある「朝からどんよりと曇っていたが、午ごろにはとうとう雪になって、あかりがつく時分にはもう、庭の松に張ってある雪除けの縄がたむるほどつもつていた」という表現を承けたものだが、物語の進行と平行して増殖するような降雪のイメージは、小説の首尾を貫いている。
 この降雪・積雪のイメージが『羅生門』でも活かされている。

《ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

 上の冒頭にある「暮れ方」は、結末では、時間の経過とともに「闇」の降り積もった結果として、「夜」は漆黒に塗りこめられている。

《外には、ただ、黒陶々たる夜があるばかりである。・・・・

 今見たような二例の、三好行雄の言葉にもある「小説の首尾を貫く」く型の意味とは、「死」の暗示であろう。あるいは、死にも似た運命的な巨大なカラクリである。物語の進行とともに増殖するイメージは、物語の結末に再度姿を現して、暴力的な「機能」を発揮してとじるカラクリなのだ。

 もうひとつの型は、即物的な「死」を指しあらわそうとしている。
 たとえば、『ひょっとこ』では、「ただ変わらないのは、・・・・さっきのひょっとこの面ばかりである」という言葉で終わる。「仮面」は、死んだ男の上になおも覆いかぶさろうとする<死に顔>を象徴している。
 驚くべきことに、「死に顔」、すなわち、〈永遠の相〉は型でも破るように、作品ごとに成長している。
 次の引用は、特にそうだが、それとはわからないほど、目にも留まらぬ早業である。

《ーー無理に短くしたで、病が起こったのかもしれぬ。
 内供は、仏前に香花を供えるようなうやうやしい手つきで鼻をおさえながら、こうつぶやいた。
 翌朝、内供がいつものように早く眼をさましてみると、寺内の銀杏や橡が一晩のうちに葉を落としたので、庭は黄金を敷いたように明るい。塔の屋根には霜がおりているせいであろう。まだ薄い朝日に、九輪がまばゆく光っている。禅智内供は、蔀を上げた縁に立って、深く息を吸い込んだ。(『鼻』)

 上にある「病」が転轍機となって、内供は病死し、「翌朝」に始まるのは、死後ではないかと理解している。だから、その辺が読めないでいると、「モチーフの一貫性に欠け」るといった批評がはびこることになる。

《『羅生門』と『芋粥』は、こうして存在悪(人間の本質としての悪)と状況悪(人間関係の織りなす社会の悪)の認識という、芥川文学のもっとも本質的な主題の所在を告げる作品となった。この二作に比して、『鼻』は漱石に激賞されて文壇登場の機縁になった記念碑だが、モチーフの一貫性にやや欠けたところがある。内供の自尊心や虚栄を冷笑する偶像破壊のモチーフと、その内供をあえて被害者として描く後半の意図とが亀裂する。<こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない>という、秋風になぶられての内供の独白は明らかに錯覚である。なぜなら、無責任な傍観者はこんどは長くなった鼻を嗤うはずだからである。(三好行雄「作品解説」−角川文庫)

 作家の名誉回復のためにあえて書くが、三好の誤解は明らかである。なぜなら、「こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない」と二度目に呟くときの禅智内供の身は、この世の者ではないからだ。
 断っておくが、氏の言葉で不満なのは、ゆうにその一点だけだ。しかし、看過された一点は、《闇》たる、もうひとつの芥川論の所在を告げているはずだ。
 すでにその点は、志賀直哉が指摘していることで、次のようにくさしている。

《一体芥川君のものには仕舞いで読者に背負い投げを食わすようものがあった。これは読後の感じからいっても好きでなく、作品の上からいえば損だと思うといった。・・・・(『沓掛にて』)

 技法としてみれば、志賀の言葉にもあるように鼻につくし、背負い投げを食わされたことに気づかなかった読者は、それを知るや惨めな思いを味わうことだろう。しかし、単なる技巧上の問題として片付けられるものではない。
 『鼻』に関する限り、そこに隠された主題は、自己の生がいかに悲惨であろうとも野放図な改善を試みるものは天罰をかぶるということではなかろうか。
 「改善」への強い欲求が逆に「必罰」として働く。言ってみれば、小説の「装置」のような大がかりな仕掛けが隠されているようなのだ。

 「改善」への欲求がいつも「必罰」という形で結末を準備させるのではない。
 『仙人』では、仕事の道具のほかに「何も持っていない」李小二という見世物師は、あるすすけた廟の軒下で、彼よりも貧しい身の上と思われた老道士と出会うことで「陶朱の富を得」る。
 この場合は、仕事を日々こなすだけの不器用な生き方ゆえに、換言すると、生活の「改善」に向けて大した努力もせずにいたから、死苦を脱して無聊をもてあます仙人から、「大金」が授与されたことになろうか。
 その結果、『仙人』では、結末の持つ「死のイメージ」は生死を超越している。

 「改善」への欲求という主題は、『芋粥』にも通うものでありながら、やはり、結末を異にする。 「芋粥を飽きるほど食べてみたい」と心の中で思っている五位は、願望の実現に向けて懸命の努力をしている男ではない。にもかかわらず、ある日のこと、野狐を操る利仁という不思議な侍に連れられて遠いところの敦賀の地に招かれる。
 そこでは、巨大な鍋の中に「海のごとくたたえた」芋粥を眼の前にして、「まだ、口をつけないうちから満腹を感じ」てしまう。何度すすめられても、堤にはいった芋粥を二分の一とさらに三分の一を食べたところで、辞退してしまう。
 願望は心理的過食に追いやられることで一旦は満たされるが、「現実機能」の介入で、最後には夢は破られてしまう。

《・・・・晴れてはいても、敦賀の朝は、身にしみるように、風が寒い。五位はあわてて、鼻をおさえると同時に銀の堤に向かって大きなくさめをした。

 上にある「くさめ」こそ隠された転轍機で、竜宮城的な夢想の世界から連れ戻す働きをしている。
 結末の意味は、五位が死んでいないとすれば、一抹の夢として、「物語」そのものを葬り去るものといえないか。
 これらの作品例からいえることは、志賀論では十分すぎるほどの位置をもっと考えられた「小説機能」がさしたる価値を有するものではないこと。芥川にあっては小説機能の近代化に向けた努力よりも、前代的なものを利用してでも、アレゴリーの捻出に心血を注いだということ。
 しかし、苦心して産み出しだ「死に傾き」がちな意味さえ、最後には転換してしまうのが芥川の小説流儀なのだ。

 無論、「アレゴリー」といっても、芥川ほど危険な主題を持つ作家はいない。なぜなら、私たちはそういうことで他人を笑う(ヒトモク、特に、弱者を狙撃するような集中砲火)といつかは自分に還ってくるよといってブレーキの掛けるところを、芥川は反対にアクセルを踏み込んでいるからだ。

「能勢、能勢、あのおかみさんを見ろよ」
「あいつはふぐがはらんだような顔をしているぜ」
「こっちの赤帽も、何かに似ているぜ。ねえ能勢」
「あいつはカロロ五世さ」

 この直後、能勢は悪友たちの言葉に乗せられて、たまたまプラットホームに居合わせた自分の父親にまで辛口の批評を試みることになる。

「あいつかい。あいつはロンドン乞食さ」

 作品『父』にしてもそうだが、能勢という人物の未来に用意されるものは、尋常の人生でもなければ、バラ色の人生でもない。芥川の小説は一見したところ、「寓意」に満ちているが、時として諸刃の刃として自己に向かって斬りかかってくるものだ。
 能勢に早すぎる「葬儀」が用意されるのならば、同じように、五位の住む世界は本来的には、狐が導く「異界」でなければならぬ。

−−なぜか?

 これまでの枠組みの中で考えるならば、型にはまった「永遠の相」によってひとつの解答が得られたことだろう。
 しかし、『芋粥』は例外である。「物語」と「小説」を天秤にのせて、最後に、もうひとつの重みのあるほうに傾きかけた、いわゆる型破りの作品であるからだ。
 というのは「くさめ」の後にはじまる世界は、小説家さえ書くことがはばかれるような、日常そのものの味気のない世界でなければならぬからだ。 

登場人物はすべて、雀牌■もろもろの疑問を解くために、三つの仮説を立てることからはじめようと思う。

A 無意識のうちに組み立てられた、ゲーム理論がある。
B パイの一つが生か死のいずれかに振り分けられる。

 次に、この二つの延長線上に、もうひとつの仮説が生まれてくる。

C 自分の持ちパイがすべてなくなったとき、最後に振り込んだものが自分であった。

 作中の登場人物はすべてパイだという考え方をのぞけば、「ゲーム理論」にしろ最後の仮説にしろ、自分でもばかばかしい考え方とは思うのだが、これを設定しない説明は所詮は行き当たりばったりの対症療法的なものにすぎないから、しまいにはつじつまが合わなくなるような気がしてならないのだ。
 ただ、なんとなくだけど。そして、なんとなく思われることなんだけど、「ゲーム理論」という以上は、自分を安全の側に置くこともできる。一方で、ロシアン・ルーレットのように死を賭してのスリリングな遊びもある。一作一作が。
 とはいっても、純文学風の作家たちが全身全霊を込めて作品を書き上げ、いわば自己の死と引き換えに、芸術作品を産み落とすことを言おうとしているのではない。
 はじめは芥川とて、安全の側に身を置いていたはずだ。それが次第に、主客が転倒し、最後に気が付いたときには、自己の生を賭した「ゲーム理論」にまで成長していたのではなかったか。例の「小説の首尾」を飾るもののせいで。

 で、理論の核を構成するものとして、<ヒトモク>の論理を用いることにする。
 ヒトモクとは、元々は、賭博用語である。人は当たり目を予想して舟券なり馬券なりを買おうとする。これをメモクと呼ぶらしい(安部譲二説『フォーカス』九九年十二月のある号)。何分にも賭博のことであるから、なかには勝負運に見放された人間もいるわけだ。ここからヒトモクという買い方が生まれるというのだ。というのは、彼の買う券がことごとく外れるのならば、逆に、買わなかった券を選んで買えば、それだけ自分の方に勝負運を引き寄せられるというわけ。
 この論理を駆使すると、芥川の作品分析と解釈は次の三点に絞り込むことができる。ただし、用語には独自の字釈を施している。

a 作品の中で、ヒトモクとなる中心的人物がいる。
b ヒトモクはパイとして、生か死のいずれかに振り分けられる。
c その理由とは?

上のうち、前二者は作品分析にかかわるもので、後一者だけが「読み」に関係する。したがって、後者の場合、それぞれのケースに即して「読み分け」を行うことになる。
 前置きが長引いたが、以上の三点に絞って、個々の作品の読み直しを行う。

『老年』 a=房、b→死、c=愛人というメモクの欠如の故。
 この作品では、噂の渦中にある「房」という人物がヒトモクである。しかし、歌沢の師匠「房」にはヒトモクに当たる「愛人」が不在である。結末は「雪はやむけしきもない」という言葉で終わっている。雪が死を暗示するのであれば、じきに房自身が捨てパイとして振り込まれることになる。なぜなら、ゲームでの敗北が明らかになったからだ。では、負けがどうして死に結びつくのか。理由は、詰まるところ、房自身の愛人を身代わりのヒトモクとして差し出すことができなかったからだ。

『ひょっとこ』 a=山村平吉、b=死、c=うそを除いた後には何も残らないから。
 主人公の平吉は、船の上でひょっとこの面をかぶってばか踊りするが、脳溢血で頓死する。ヒトモクにおいて何が身代わりのヒトモクか、と問いかけでもするように執拗な真相究明の筆を揮っているのだが、わかったことといえば、酒好きと平素はうそつきということのほかに、経歴もでたらめということ。うそを取り除いたら酒好き以外何も残らないがゆえに、捨てパイとして振り込まれたと考えられる。
 この場合、酒好きにおいては酒がメモクではないか、との見方も成立するが、メモクに溺れすぎた酔狂ゆえのいちギャンブラーの頓死との判定も可能。 

『仙人』 a=李小二、b=生、c=鼠というメモクが大当たりを引いたから。
 主人公の小二は、「鼠に芝居をさせて商売している男」という説明が冒頭にある。この意味が定まらないかもしれないが、李はこれまでの主人公とは異なり、死にパイとして振り込まれることはない。なぜなら、ゲームの勝利者であるからだ。李が鼠をメモクとした結果、「仙人」という大当たりを引いたことを意味する。
 この場合の「仙人」とは、鼠の神様と考えられる。ということは、金生水の相生の理が関係した民話機能のお話と解釈可能。

『羅生門』 a=下人と老婆、b→生と死、c=「夜」が両者の幽明を分ける。
 この作品(女性のシンボルへの嫌悪感を歌った)は、一見したところ、下人は老婆とのゲームで勝ちを収めた勝利者を装っている。「外には、ただ、黒陶々たる夜があるばかりである」との死の暗示は、老婆を名指して葬ろうとするものだ。いうまでもなく、ゲームの敗者であるからだ。では、どこに勝ち負けの判定が下されたのか。両者はそれぞれ身代わりのヒトモクを持ち、老婆が「蛇を切り売りする女」からならば、下人は「死体から髪の毛を抜く老婆」から一回の当たりを勝ち取っている。ということは、老婆は負けもあるが勝ちもある、いわばプラマイナーゼロの振り出しに戻った状態である。それに対し、下人はコマを一つ進めただけの勝ちでしかない。ゲームの流れとしては、そのまま二ラウンドに突入してもおかしくはないのだが、突如とした「夜」の介入で、両者の勝敗は幽明を分かち合うことになり、老婆は死へと振り込まれたのに対し、下人は「行方は、誰も知らない」とあるように、生の方にとにもかくにも振り分けられたのだ。

『鼻』 a=禅智内供、b=死、c=鼻というメモクをなくしたから。
 この作品(巨根のシンボルへの悲哀を歌う)は、禅智内供と自身の「腸詰のような」鼻との関係にヒントが隠されている。内供は周りの人間におけるヒトモクだが、鼻は彼自身のメモクである。そうであるがゆえに、バランスシートでいえば、勝ち負けのいずれにも偏らないプラマイナーゼロの均衡状態を保っている。本当は、巨根を誇れるゲームの勝利者なのだ。ところが、民間療法で病んでもいない鼻を治療としたばかりに、内供はゲームの敗者に転落したのだ。このとき、捨てパイとして振り込むのに「死」の介入を必要としなかった。なぜなら、自分で選んだ死であるからだ。

『父』 a=能勢、b=死、c=ルール違反の故。
 能勢のやっていることは、他人をことごとくヒトモクに置き換えることである。彼はゲーム巧者にはちがいないが、最後に、致命的なルール違反を侵したのだ。それは能勢をヒトモクとして早くから照準をさだめていたオヤに対して、ゲームを挑んだことだ。このとき、いち早くルール違反を感知した「死」が介入に及び、コである能勢を捨てパイとして葬ったものと考えられる。

『芋粥』 a=五位、b=生、c=メモクとする芋粥に飽きたから。
 五位は「芋粥(性交のイメージ)に飽きん」ことを人生最大の喜びとしている、哀れな男である。そんな男に利仁という侍が不思議な方法で夢をかなえさせてやる。しかし、彼は食べる前から心理的過食の状態に陥る。このとき、メモクに賭ける正直な男と、ヒトモクに賭ける狡猾な利仁の間に(くさめ=現実)が介入して、ゲームは振り出しに戻ったと考えられる−−と書くと、いかにも楽々といった感じに受け取られそうだが、「現実」を介入させたことで、作家自身は毒杯をあおったともいえる。
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2007年11月14日

逸脱論J2■逸脱的文法論

ノート6□文を取り巻く内外の環境■方法上、次の三段階を踏むことにし、四を持って閉じる考えである。

  一 ひとつの文を取り巻く環境について。
  二 環境的な因子を取り除いて、純粋に文と接しえることが可能か。
  三 純粋な文の抽出が可能とした場合、その文のイメージとは。
  四 その際の動詞のイメージとは。

 まずは、一の「環境」であるが、これはこれまでの文法研究において閑却されていた問題で、いかにして環境的な因子を取り除き、純粋な文を取り出すかの試みである。
 時枝の文規定のひとつ「完結性」は、「環境」の問題と無縁ではなく、この手間を省きがたいための性急な説という考え方もできる。

 単文を取り巻く環境として、次のような「内」と「外」の二つの考え方が導かれる。

  T そこにある文は、ある前提の展開として捉えることができる。前提的なそれを「過去」とおく。過去からの展開が「現在」にほかならず、それが「文」として顕在しているのである。とすると、現在の次の展開として「未来」があるという考え方が導かれることになろう。

  U もうひとつの環境として、そこにある文は、それとは異なった別の文が「前」にあり、前文の展開として次の文があると考えられる。すると、更なる展開として別の文が「後」に用意されると。

 たとえば、次のような文章では、二番目の文に関する限り、環境としてのUのような外的な条件を満たしている。

《むかし津軽の国、神梛木村に鍬形惣助という庄屋がいた。
四十九歳で、はじめて一子を得た。
男の子であった。
(太宰治作『仙術太郎』)

 では、Tのような内的な条件はどうだろうか。
 「四十九歳で、はじめて一子を得た」という二番目の文に注目する限り、その文は〈男には妻がいたが、長い間、子供ができなかった〉という前提の下に展開している。しかし、前の文は、「鍬形惣助という庄屋」という男についての説明しか行っていない。
 このことから両者の間にはズレのあることがわかる。だから、そこに文があるということは、前文の外的な展開としてあると同時に、内的な前提的意味の展開でもあるという考え方が導かれよう。
 しかし、内的な意味としてどのような「未来」が開けるのかまでは読めないでいる。「長い間、子供が授からなかった」という前提的な意味を踏まえれば、それは「非常な喜び」を未来に用意するかもしれないが、こと文の内的な未来に関する限り、先の展開はやすやすと読めるものではない。
 引用では、「男の子であった」という文を配している。それは前の文の外的な展開であるが、必ずしも内的な意味の展開に結びつくわけではない。が、未来は感動の解消に向かうという意味では、内的な意味の解消に役立つものといえる。なぜなら、三番目の文は、「なんと男であった!」と内的に訳せるからだ。
 そういう考え方は、一方で、単一の文を取り巻く内的な環境の有無に限らず、外的な環境は整っているという考え方を用意させるし、外的な環境の有無に限らず、内的な環境は整っているという考え方も可能にする。あるいは、環境的なものをまったく無視して、単一の文について純粋に観察できるという考え方を生む。

I have a pen.■たとえば「I have a pen.」という英文に接するときの私たちの態度は、どちらかというと後者に近い。しかし、それを訳した文「私はペンを持っている」と接するとき、純粋な観察態度は維持できないと思う。というのは、翻訳に際して、知らず知らずのうちに、文化的な介入を行っているからだ。
 いうまでもなく、動詞haveと対応する日本語は「持つ」である。にもかかわらず、「持っている」と意訳する。
 この理由は、直訳「私はペンを持つ」と置くと、あたかも戦場を前にして、「ペンは剣よりも強い」といった調子の、原文にはない石と化した決意表明のごときものが伝わるからであろう。
 でなければ、「持っている」と置くことで、文意が安定するからだ。

 では、立場を逆にして、英米の文法家は「I have a pen.」と接するとき、日本人と同程度に純粋な態度で文を観察することができようか。

 これは語学にくらい自分の推理でしかないが、少しでも例題と向き合う機会があれば、同じように、「(戦場では)私はぺンで戦う」といったジャーナリスト風の気概を読むのではなかろうか。 でなければ、外的な環境の整った中でのありふれた一文である。
 それでも「I have a pen.」を運用から、言い換えると、それらの環境から切り離して、独立的な一個の文として観察ができようか。
 できるのならば、理由は、例文がひとつの完結した世界と考えられているからであろう。

 ところで、この場合の完結とは、どういう意味を持つ用語であろうか。

《A sentence is a word or group of words capaple of expressing a complete thought or meaning.(前掲書三三〇ページ)

 時枝の説明によると、上にあるcompleteの訳語よって普及したとある。訳は「完全」か「完結」かで迷うとしたあと、「思想の完結したる」という翻訳の紹介につとめているが、別のところでは、次のように述べている。

《完結と完全との根本的相違は何処にあるかといへば、完全とは主観的基準に於いてのみいひ得ることであって、完結とは客観的に規定された事実である。(前掲書)

 上にあるような主観と客観の区分けはナンセンスであろう。
 たとえば、「完全なる人間」とはいいえても、「完結したる人間」との言い方は成立しない。このわけは、それぞれが空間と時間を基準としているからだ。
 絵画が空間芸術とすれば、「完全な絵」といいえるように、小説が時間芸術とすれば、「完結したる小説」といいえる。
 それでも、逆の言い方がは成立するのは、シリーズものの絵に限定しての「完結したる絵」のいいであり、小説の場合は、空間的な造形性になぞらえた上での「完全なる小説」という破格の評価法が例外的に成立する。

 このように見てくると、時枝のいう「思想の完結したる文」という言い方のおかしいことに気付くはずだ。なぜなら、文という空間的なイメージに対して、完結という時間的なイメージでもって律しょうとしているからだ。
 それでも、そういう言い方が成立するのは、単一の文には空間的には思想が宿り、時間的には、完結しえるものと考えているからであろう。
 この意味では、時空を兼ねた文規定を行ったことになる。

註)時枝の用語では、空間的なものを「主観」的といい、時間的なものを「客観」的と言い表したとみている。

 引用も含めて伝わってくる完結のイメージは、およそ「完備」ではなかろうか。
 言い換えると、文としての条件が完備していれば、それをもって文の完結の意義と定めるーーと。
 ただし、短絡的な思考の後だけが歴然たる欠陥として残っている。

 その点は、こう考えることによって論理的な整合性がえられるのではないだろうか。
 条件が完備さえすれば、文には「装置」のようなものが作動して、意味的「内」的に完結する。
 ということは、文としての条件が完備し且つ意味的に完結した文があれば、間には「地球機能」と呼ぶべき文法機能が力を発揮している思われるから、機能を摘出すればいいことになろう。
 なんための摘出か?
 それが弊論の目指す《闇》たる、動詞のイメージに他ならないからだ。


感動文が純粋な文■なんといっても一番の障害は、前途に立ちはだかる言葉の壁である。 入り口でたちはだかる「文としての条件」をどう捉えるかである。
 通念的には、主述のほかに、述語の性質に応じて目的語や補語を含むものを指すと見て支障なかろう。
 時枝の詞辞説に従うと「花よ」でもって、「文の条件」は完備ということになりそうだ。
 たとえば、次のような使い古された文である。

  太郎は学校へ行く。

 すべての文例についていえることだが、いくら条件の点で満足できても、「風船玉」のごときものとして直ちに観察の対象とすることができない。
 なぜなら、文のあること自体が、内外の環境に取り囲まれてあることに変わりがないからだ。
 この事実は、国語学者らの用いる例題そのものに対して向けられたひとつの疑念なのだが、先の文も含めて、多くが感動文に置き換え可能なのだ。

  象は鼻が長し。  「何を食べる?」「ウナギ」
  山は雪か。     私は大野です。
  木の葉が舞ふ。  裏の小川はさらさらと流れ。
  波が岸を噛む。   このテーブルで食べませう。
  春が訪れる。    水が飲みたい。
  地球は丸い。    酒に飲まれるな。
  動詞は渡る。    前へ進め。
  労働は運ぶ。    ・・・・・・

 上の左側の文は、いずれもなんという言葉をかぶせて、感動文としての取り扱いができる。
 ただし、右側は例外。
 このことから、発見の感動が個々の平叙文を包み込んでいるのではないかと考えた。

 こうして最後に立ちはだかるのが、どういう文例を使うかという点だ。
 そこで思うのだが、先に掲げた感動に裏打ちされた文こそは、文としての条件を満たしかつ独立し、さらに、完結かつ充足した意味的世界を有するのではないか。
 とすると、内外の環境的な意味から独立した、純粋な文こそ感動文と認められるであろうか。
 それならば、前述したように、あたりの前の関係と思われていた事柄に文法機能があると仮定して、「装置」のようなものを引きずり出せば、この仕事は完了したも同然であろう。

 その際に「風船玉」の使用をためらわせるのは、感動の処理である。覆不覆のいずれの文を採用すべきかどうかで悩むのだ。


二種の動詞のイメージ■どちらでもいいというのであれば、文法機能は、述語が主語を規定する力に現れている。
 たとえば、文「吾輩は猫である」は、主述をかねている点で条件を満たしている。しかし、意味的には矛盾を抱え込んでいるから、本来ならば文法的なトラブルを引き起こさずに入られない。
 しかし、意味的なおかしさは総合的に包み込まれている。この場合、述語が主語を規定する力はエヘンとでも威張りたがっている「吾輩」なるイメージの修正に取り掛かっている。
 かくしてひげを生やした謹厳な紳士のイメージは、本の表紙にあるような、ひげを生やした愛らしい猫顔のイメージ・キャラクターに取って代わられる。
 このとき、主語が何の規定も受けなければ、意味的矛盾がひとり歩きすることになる。

 このひとり歩きの好例は、「動詞は渡る」という文によって別の意味の確認が取れよう。
 もし主語「動詞」のイメージが述語の力によって修正もされず、固定したままであると「渡る」という述語との間に生じる意味的ギャップが克服できないことになる。
 この力こそが述語の持つ「時間作用」ではないかと考えている。動詞的な時間が主語や目的語を取り込む際の「同化作用」として威力を発揮するのだ。
 しかし、主語や目的語は取り込まれても時間ではない何かであるから、当然そこには「異化作用」が生じる。こうして生まれた「時間ではない何か」が時間のファイナル・アタックを受けて「転化」し、未来に向かって投げ出されるのだ。

 今見たような述語の持つ三種の働きが、いわゆる《意味的分類法》として還元される「ある=状態」「する=動作」「なる=過程」と訳されるところの、三種の働きではないかと受け取っている。
 そうやって動詞述語の持つ時間作用は、文表現を計算過程に転換してしまう。
 それは、究極のところ、加え算ではないかというのが持論である。
 次は、そのいくつかのパターンを見ることにする。

  T 加算   太郎は花子と出会う。太郎は学校へ行く。
  U 名詞化 太郎は学校を休む。太郎は花子を殺す。
  V 主客転倒   太郎は次郎から百円を借りる。

 Tのケースでは、「A・−−・B」と二点形式に置き換え可能である。Uのケースでは、単純に置き換えたのでは、式は「行く」の意味になるから「太郎・−−・休みーー・学校」と三点形式に置き換える必要が生じる。この場合の「太郎」と「休み」は一体関係にあるが、「休み」と「学校」の関係は分離の関係にある。だから、式は「太郎は学校へ<休み>を運んだ」と訳しうる。Vでは、「次郎・−−・百円ーー・太郎」と置き換えられる。この三点形式でも、一体関係と分離の関係は同じである。従って「次郎は<百円>を太郎に貸し運ぶ」と訳しうる。
 つまり、二点形式では、移動格は起点格が兼務するが、三点形式では、中点格が移動格を務めることになる。
 無論、従来の文法学における便宜上の格関係は全否定である。

 今見たような式化は、動詞述語に限られ、形容詞述語に働くものは、状態化と過程化の二種ではないかと考えている。
 たとえば、文「象は鼻が長い」での述語は状態化して文意を安定させている。
 「地球は丸い」も同じような働きをしているようだが、「地球は平らだ」という考え方が支配的な時代にあっては、文「地球は丸い」は、主述の間で意味的ギャップを引き起こす。
 このときの、述語に規定されえない主語のコワモテの、絶対的なイメージが(詩語のように)ひとり歩きするとき、述語は過程化するのではないか(例:登校拒否児童の太郎が仕置き場という学校へ逝く)。

 動詞述語の時間作用を考える場合、障害になりやすいのが「風が吹く」のような二語文の存在である。これに対する私見は、計算過程への転換はないと解している。
 というのは、例題の主語は、述語の同化作用をこうむっても「名詞」は「名詞」である。こうして異化作用の洗礼を受けた名詞の残骸は一個のために組すべき相手がいないという不自然な事態が生まれる。
 これが「する」と訳される動作動詞の持つ「文意の不安定化」の原因ではないかと考えている。だから見た目には「仕掛け」と映るのではなかろうか。そこで仕掛ければ述語は「神風が吹くようになる」と過程化する。
 仕掛けなければ、述語は安定化して「本来的な風が吹く」と主語規定が行われ、あるいは「吹いている」と助動詞化した上で、文意を安定させようとする。
 無論、こういう考え方は、述語論理学の盲点を突き刺すに違いない。
 なお、記号処理の際の二語文等は、何の妨げにもならないことをば付け加えたい。つまり、ゆるい関係は、破線で代行。
 以上、二種の動詞のイメージについて述べた。


ノート7■驚異の実例報告

 テキストは、青森県西津軽郡の昔話『桃の子太郎』(『日本の昔話U』岩波書店)を使用。
 引用は、冒頭の十一行の文章に及ぶが、個々の文に番号札をつけた上で、点と線の関係に置き換えている。これは文のシークエンスでの文法機能を見極めるためのアカデミックな観察方法である。従来の文法論では、単文に限られての研究や観察報告しかない以上、弊論の試みは式化も含めてすべての試みが斬新といえる。
 置き換えに当たって、「爺様」と「婆様」はpとqで表示。*印は移動格を意味し、線上にない場合は、始点格が兼務するものとする。なお、要の語が省略の場合、( )付きで表示した。動詞などの解消語は、すべて下段に表示。ただし、格助詞は省く。

@昔、むかし、あるところに爺様と婆様とがあった。
 pとq・−−・昔、あるところ        アル・タ
A婆様が川へ洗い物に行った。
   洗い物
 q・−−*−−・川             行ク・タ
Bすると川の上の方からきれいな箱が流れてきた。
        きれいな箱
 川の上の方・−−*−−・q       スルト・流レテクル・タ
C婆様が拾って、中をあけてみた。
 q・−−・(きれいな箱)           拾ウ・テ
 q・−−・箱の中              アケテミル・タ
Dすると、桃こ一つ入っていた。
 桃こ一つ・−−・箱の中         入ッテイル・タ
E家に持って行って、爺様にみせる気になって箪笥の中にしまっておいた。
     (箱)
 q・−−*−−・家             持ッテ行ク・テ
     (箱)
 q・−−*−−・爺様           見セルキニナル・テ 
     (箱)
 q・−−*−−・箪笥の中        シマッテオク・タ
Fすると、爺様が山から帰ってきた。
    爺様
 山・−−*−−・(家)           スルト・帰ッテクル・タ
G爺様も面白かったので、また箪笥の中にしまっておいた。
 p・----・(きれいな箱)          面白カッタノデ              
   (きれいな箱)
 P・−−*−−・箪笥の中        マタ・シマッテオク・タ
Hすると夜中になっておぼこの泣く声がするので、どこだべなと思って探しにいった。
 (X)・----・夜中             スルト・ナル・テ
 おぼこの泣き声・−−・(qの耳)    スル(聞コエル)・ノデ
 (おぼこの泣き声)
 (q)・−−*−−・どこだべな      思ウ・テ 
  (おぼこの泣き声)
 (q)・−−*−−・探し          行ク・タ
Iすると、何でも箪笥のなかで泣くような声がした。
   泣くような声
 (qの耳)・−−*−−・箪笥の中    スルト・何デモ・スル・タ
Jそれで、婆様が箪笥のなかを開けてみると、めごい男の子が生まれていた。
 q・−−・箪笥の中            ソレデ・開ケテミル・タ
 めごい男の子・−−・箪笥の中    生マレテイル・タ
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逸脱論]T@■逸脱論的文法論

「始点」と「原罪」■始点を逸脱とする考え方は、旧約聖書にある「原罪」に通う。
 アダムは神より任命された、エデンの園の保護管理者である。次に、アダムのあばら骨の一本をとって、エバが造られる。二人は人類初の夫婦となって幸福な日々を過ごすが、ある日、狡猾な蛇のわなにかかってエバは禁断の果実「知識の木の実」の半分を食べてしまう。エバは果実の残りの半分をアダムに与える。

「彼らは自分たちが裸であるのに気がつき、いちじくの葉をつづり合わせて腰を覆った。彼らは神に見られまいとして隠れた。神が彼らに問いただしたとき、アダムはエバのせいにし、エバは蛇のせいにした。神は蛇のその後の姿や、エバが苦しんで子を生むこと、アダムが額に汗して働き死ぬべきことを定めた。その後、彼らが命の木の実を食べて永遠に生きるものとならないよう、エデンの園から追放された。・・・・・・」(『聖書百科全書』三省堂)

 上の解釈にある「追放」とは、「エデンの園」が「母親の胎内」にほかならず、「出産」を意味すること。その出産に「蛇」という「へその緒」機能が関与していること。つまり、へその緒にけしかけられることで分娩が始まることを意味する。
 こうして誕生した赤児が「原罪」を背負わされるのはいうまでもない。この回復のために「祈り」を中心とした宗教生活が用意されるところ、旧約聖書にあるのは、「労働」という罰である。一説によると、「第一のアダムの失敗は第二のアダムであるイエスによって処理され、世界に救済がもたらされたと考える」(前掲書)とあっても、「労働は罰」とする視点に何の変化もない。
 ところで、旧約聖書の言葉を持ち出したのは、「点は逸脱」「線は回復」とする考え方がキリスト者では日常生活のうえで活かされていると思ったからである。そのくせ、無定義のまま放置されていたのは、格言にもあるように「灯台下暗し」のゆえと考えられる。

 問題は、つまるところ、無定義の「点」と「線」であるが、それに対して「点は逸脱」「線は回復」と定義づけたところで、何の意味があるのかという点であろうか。
 こういう内発的な問いは、答えるよりも前に無力さに押し潰されるものだが、あえて自ら信じるところを述べ、もって窮地を脱したいと考えている。

 何のために?

 持説を自らの手で埋葬するために、とでも答えることにするか。


逸脱論的文法論■文に対する私の考えは、関係式「A・−−・B」に還元できる何かであって、関係式に基づいて、次のように性質規定を行っている。

  T 文は、三個以上の言葉からなる。
  U 一個の述部動詞は、線として働く。
  V 複数の名詞は、点として働く。

 たとえば、「太郎は花子に本を貸した」という文を関係式に還元すると、次のようになる。

      C
  A・−−・−−・B (A=太郎、C=本、B=花子)

 本は太郎の所有物であるから、太郎と本の関係は一体的な関係にあるといえる。これを時間であらわすと「過去」の関係となる。
 本は花子のものでないから、花子と本の関係は分離しているといえる。これを時間であらわすと「現在」の関係となる。
 ここに「緊張」の関係を導入すると、分離した2者の関係は繋がり、「未来」は、2者の一体関係が導かれることになる。したがって、花子と本は一つになったという「解」が導かれるはずである。
 今述べたこと整理すると、AとCの関係は一体関係にあるから、A=Cというように、等号の関係として表せる。
 一方のCとBの関係は、分離しているが緊張の関係を導入すると、両者の関係は繋がる結果、未来の解として、B=Cという一体関係が用意される。

 こういう関係式の還元は、「太郎は花子に本を貸した」という例文に限られるかというと、そうではなく、ほとんどの例文において還元が可能だと見ている。
 「ほとんど」と限定したのは、中には、例外もあるからで、私自身はこの点に非常な関心があり、後回しになるが、できるだけ取り上げたいと思っている。

 はじめに断っておきたいことは、私は言語の専門家ではないこと。また、その道のエキスパートとの交流もないし、指導を受けたこともない。
 では、素人の言語研究家であるかというと、これも怪しく、たとえば、専門雑誌「言語」に目を通してみて、中にある論文が理解できるかというと、できないと答えることしかできずにいる。
 理解できないから、素人研究家ではない、とするのは論理の短絡というものであろうから、水準には達していないが、一介の素人の研究家として「関係式」を通して見える事柄をノート風に書き留めることにする。


ノートT□内在する時制論■関係式を通して、否応もなく見えてくるものは、式の内部にある過去と現在と未来との関係である。喩えていうならば、過去とは根のように潜在化しており、現在とは幹のように顕在化しており、その先端は見えずにいるが、あるとすれば、それは未来の果実というものではないだろうか。

 それが式の内部に存在する時制であるとするならば、述部動詞のもつ線的機能であることを証明する必要が出てくる。
 というのは、次の引用にあるように、時制は動詞機能のひとつと考えられているからだ。

《時制とは動詞が指示する時間の違いに応じて語形を変化させる機能のことである。(秦宏一「動詞と時制「言語」1989年9月号)

《動詞が表す内容の時間的位置(過去・現在・未来)を示す文法的範疇。また、それを表す言語形式。(広辞苑)

 とはいうものの、日本語の場合は、動詞自体には時制の機能はなく、膠着言語の性質上、助詞や助動詞を文末にべたべたとくっ付けて、時間を表すと考えられている。
 しかし、「太郎はご飯を食べなかった」という過去表現はありえたとしても、「ご飯を食べよう」という未来表現は、「呼びかけ」にかわる。同じように、「皿を洗おう」という未来表現は、押しつげがましい命令口調に聞こえてくる。
 こういう時制の問題は、すでに異口同音で語られていることであり、内在的な時間論は大野の論文に片鱗らしきものを見かけたが、ついぞ発展させることはなかったと認識。
 この点は、見習いと職人の関係にヒントを得て、過去を潜在的とし、現在を顕在的なるものとする時間哲学みたいな一考察があるので、これを別に提出することにし、ここでは簡単な説明を試みる。。
 例文「太郎は花子に本を貸した」の述部動詞「貸す」は、「aはbにCを貸す」というように、3つの格を要求する動詞である。
 動詞の持つ線的機能は、一般的に「運ぶ」と訳せる。つまり、過去的な一体関係にある一部(主語格の有する本)を抽出して、(一本の緊張の回路を伝って)運び出し、それを今に現れている他者(花子)に手渡すことで、その意味(ひとつになった)が未来に必然的に反映される仕組みの線的な時間と考えられる。
 ここで、述部動詞「貸す」の働きが「運ぶ」であるならば、その意味は、次の文に運ばれるという考え方が導かれるはずである。
 しかし、こういう意味が次の文へと繰り越されるという考え方は、外在的な時間論に傾くもので、内在的な時間論と混同される可能性が生じる。、
 ・・・(書きかけ)


補稿)■時間というものに対していろんな考えがあってしかるべきだが、そうだからといって文表現から離れてしまっては、その時間論は無用のものとなるであろう。
 そういう反省に立って、「内」と「外」の二つの時間的な考え方について簡単に述べる。
 たとえば、太宰治の作品『仙術太郎』に目を通すと、次のような三文を立ち上げている。

a むかし津軽の国、神梛木村に鍬形惣助という庄屋がいた。
b 四十九歳で、はじめて一子を得た。
c 男の子であった。

 文表現にある外在的な時間とは、目に見えるものである。二番目のb文を中心におくと、そこにある文は、それとは異なった別の文Aが「前」にあり、前文aの展開として次の文bがあると考えられ、更なるb文の展開として別の文cが「後」に用意されるという考え方ができる。。
 これに対して内在的な時間とは、外在的な時間に左右されない、その文の持つ固有の時間といえようか。
 この点は、  文bの「四十九歳で、はじめて一子を得た」という二番目の文に注目する限り、その文は〈男には妻がいたが、長い間、子供ができなかった〉という前提の下に展開している。しかし、前の文は、「鍬形惣助という庄屋」という男についての説明しか行っていない。
 このことから両者の間にはズレのあることがわかる。だから、そこに文があるということは、前文の外的な展開としてあると同時に、内的な前提的意味の展開でもあるという考え方が導かれよう。
 しかし、内的な意味としてどのような「未来」が開けるのかまでは読めないでいる。「長い間、子供が授からなかった」という前提的な意味を踏まえれば、それは「非常な喜び」を未来に用意するかもしれないが、こと文の内的な未来に関する限り、先の展開はやすやすと読めるものではない。
 引用では、「男の子であった」という文を配している。それは前の文の外的な展開であるが、必ずしも内的な意味の展開に結びつくわけではない。が、未来は感動の解消に向かうという意味では、内的な意味の解消に役立つものといえる。なぜなら、三番目の文は、「なんと男の子であった!」と内的に訳せるからだ。

 そういう時間論が内在的といいうるならば、過去は根のように潜在的であり、その展開として現在が幹のように顕在化しており、その展開として未来は象徴的な果実として解消されると考えることができる。
 この場合、未来に向かって解消されるものは、過去の持っている(混沌とした)エネルギーでなければならない。
 これを図式として表せば、次のようになる。

    C
A・==・−−・B (=B+C)

註)等号は、一つになった関係を表す。式では、AとCの関係(過去)とBとCの関係(未来)に見ることができる。CとBは現在的な関係だが、両者の間には本来的には所有の関係はなく、無関係である。が、そこに導体となる一本の線で両者を結ぶ時、何かが運ばれて、新しい意味を産むと考えられる。それが「解」とみている。
 こういう時間作用を持つものが述部動詞と考えている。
 その働きが過去・現在・未来まで及ぶのか、そうではなく、内在的な時間の持つ必然的な流れによるものか、それはわからない。


ノート2□格関係■ここでいう格関係は、例文を図式に置き換えての始点格と終点格と動点格の三種を数えるのみである。
 主格とか対格という名称は仮のものとみているから、まずは使うことはない。
 たとえば、「太郎は窓から下校途中の愛らしい花子の姿をぼんやりと眺めていた」という文を式に還元すると、次のようになる。

    C
A・==・−−・B (=B+C)

 見られるように、式に変化はない代わり、「窓は太郎(の目)を花子の姿まで運んだ」を訳される。運ぶには重過ぎる副詞や形容詞句は削られて、「太郎の目と花子の姿が一つになった」というスリムな意味が運ばれる仕組みである。
 こういう格関係がフィルモアの言う「深層格」かどうかは、知る由もないが、近い概念であることは間違いないと思っている。

参考資料■フィルモアが提起した深層格の思想は、言語研究の合理論的展開に新しい地平を拓いた。深層格はもともと諸言語の意味の構成における普遍的特徴の一種として提示された概念であって、この普遍的性格はそもそも意味の類型論を眺望していた。・・・(金子亨「動詞と格関係」言語の動詞学所収)


《・・・日本語には格はないのかというと、そうではない。ガ、ヲ、ニ、デ、カラ、マデ、トなどの助詞は格助詞といい慣らされていて、これらが、前接する名詞句の動詞に対する相対的な文法関係を表示することは広く認められている。・・・(同上)

ノート3■例外的な動詞□たとえば、「太郎は学校を休んだ」という文を機械的に図式に還元すると、「太郎と学校はひとつになった」という意味が運ばれて、「行く」の意味にすりかえられてしまうから、「休みを運ぶ」を書き換える必要が出てくる。

    C
A・==・−−・B (=B+C)

 書くまでもなく、式は変わらない。「太郎は学校へ《休み》を運んだ」となり、必然的に「欠席」の意味が伝わる仕組みである。

・「太郎は花子を殺した」も同じで、「殺し」を運ぶとすることにより、「死亡」という意味が伝わる仕組みである。図式は、3点形式。

・「太郎は次郎から百円を借りる」は、「次郎は百円を太郎まで運んだ」と置けば、「百円を所有」という意味が伝わる。

 これまでの調べで、次の二通りの型が指摘できる。

  T 加算   太郎は花子と出会う。太郎は学校へ行く。
  U 名詞化 太郎は学校を休む。太郎は花子を殺す。


 この理由としては、述部動詞の働きがプラスの意味を持てば「運ぶ」と機能するが、中には、マイナスの意味をもって「運ぶ」動詞グループがあるからだと考えている。


  
ノート4□時枝の文法論批判■時枝の学説の特徴は、動詞説の不在なる点である。
 時枝にあっては自らの動詞説を有しないにもかかわらず、他の動詞説に口出しをしている。
 その点に疑問を抱いて『国語学原論』を読み直してつかんだことは、およそ次のような国語学史上のドラマである。

  a 山田孝雄が動詞の「作用言」説を打ち立てた。
  b 時枝は、山田の説を否定した。
  c 代わりに、ある説を国語学の上に移植した。

 cの「ある説」とは、例の詞辞説を指す。それをもって充当し、詞である動詞には統覚的な働きはなく、「包み込む」働きは「零記号」もしくは「よ」などの感動辞にあると考えたのである。
 その際に用いた否定の方法は、近代的な「ブリーコラジュ」に似たもので、大人げないやり方だと思う。
 まさかとわが目を疑ってしまうほどの、児戯に類する方法で打ち消しに掛かっているのだ。 
 たとえば、「妙なる笛の音よ」という文例をあげながら、次のように述べている。

《ー−然るに、山田博士は、文の統一を統覚作用に求めながら、私の考へとは違って、統覚作用は専ら用言にのみ寓せられてあるという氏の見解から、右の喚体の文の説明においては、統一点はむしろ体言の上に冠せられた「妙なる」の如き連体格にあると考へられたのである。(『国語学原論』三三三ページ)

 山田がそういう見解を持ったとしても、本当に否定すべきは「太郎は学校へ行く」といった動詞文を用いての統覚作用であるはずだ。
 この種の核心をつく論及が見当たらない以上は、「作用言」説は論駁されたのでもなんでもない。
 なぜなら、引用にあるような見解をうけたのであれば、それは揚げ足を取ることであり、その事実がないとすれば、説の歪曲を図ったのである。
 結局のところ、自説のプロパガンダのために利用したかのような、悪しき印象しか残らないのではないか。
 では、時枝の詞辞説は空説に過ぎないのか?

 この点は前章で述べたように、「ゆるい言語の体系」においてはじめて力を発揮するタイプの言説と思っている。「緊張の言語の体系」で使用すべき言説ではない、と考えている。

註1)たとえば、「花咲く」を例に挙げると、ゼロ記号を仮定して、包み込まれるとし、動詞「咲く」の働きを不問に付している。



ノート5□体用とは、運用の際の名称■もし、体用の意味を真摯かつ丹念に追究するならば、一つが名詞であり、もう一つは「助動詞」が代表するはずだ。動詞は定めし、中間に位置する「体用言」ともいうべきあいまいな品詞に落ちつくはずだ。
 しかし、この分類は、詞辞という古典的な分類法に抵触する。この意味からすると、時枝が概念内容の上から動詞規定を避けたのは賢明な措置といわざるを得ず、語形変化に「用」の意味を求めたのは、あくまでも一時の便法にすぎないことになる。
 要するに、矛盾を克服する妙案が思い浮かばなかっただけのことだ。
 いささか話は飛ぶが、便法を採用した結果、その後の動詞研究は、

@活用と接続
A語尾と語幹
B活用形
C動詞の活用の種類(『国語文法ー口語篇』岩波書店)

の現象的な四点に絞り込まれたのだ。

 一方で、「体用は運用の際の名称なり」と言ってのけたのは、山田孝雄とおぼろに記憶している。この意味は、運用において名詞が自らの動詞性を殺すのならば、動詞は自らの名詞性を殺すことと解している。

註2)この点は調べてみると、「余は句は文の素にして文は句の運用に際しての名称なりとせむとす」とあるように、記憶違いであることは確かだが、運用の際の名称であることは否定できないのではないか

 この「運用」という前提条件をはずした点においても、時枝の学説は時代の限界をこえることができなかったといえる。
 とにもかくにも、そのときに始まった便法的な考え方が支配するにいたり、今日の、伽藍堂ともいうべき、動詞論の空白の時代を招いたのだ。

 と書くと、当然反発の声が上がる。しかし、どの動詞論においても「動詞」規定において、山田の「作用言」説を超えるものは見当たらない。

 たとえば、「動詞と時制」を研究テーマとした場合、採用される時間論は、外在的な時間論である(秦宏一)。動詞の実体的なものとして推理される動詞のイメージは、「心理的実体」とされる(往生彰文)し、名詞と動詞の平行関係として対置されるときの動詞のイメージは、平板な「行為のイメージ」(池上嘉彦)でしかない。また、ある哲学者は動詞とは、「単なるものの名前である」(土屋俊)と結んでいる。
 いずれも『言語』特集「動詞学のすすめ」八十九年九月号による。
posted by 9組の秋六 at 12:02| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月13日

逸脱論]A■唐津の「魔王宮」で、詩の朗読会

hosinomura019.jpgとりあえずは鏡山へ■ 山越えはーーといっても、峠はまだかまだかと思っているうちに、道の両脇に立ち並ぶ民家の突然の出現によって打ち切られた。
 大事な仕事をやり残したような後悔にも似た思いを引きずったまま、ずるずると車は下り坂を走らされ、吾に返ったときには、平坦な道を走っていた。
 すると、民家を前にして背後に「絶望」の緑色の津波が横一線に立ち上がったような、「日本一」という松林を目前にした。ゲストはすでに目を覚ましていた。

 唐津市内の中心部に入ると、高橋は自ら道案内をかつて出た。
 前方にしかと視線と凝らし、自分はといえば、指示通りにハンドルを動かせばよかった。
 が、耳はややもすれば、ハンドルミスは許さないぞ、という圧力めいたものを聞いていた。

 ある交差点で「ここだ」というなり、「そこの角を右に曲がって」という声に促されてミニを進めると、あまりの道の狭さに内心驚いていた。
 そうして着いたところが、いかにも詩人好みの「緊張の支え」を必要とする、「魔王宮」ともいうべき黒い煉瓦で外壁を飾った古風のホテルであった。

 −−と、今でもあの路地は、「進入禁止」ではなかったかと疑っている。

 お礼の言葉をもらい、再会を約束して別れたあと、唐津市内を見て回った。
 手始めに、コンビニでパンとおにぎりを買って腹ごしらえをした。
 それからは岬の突端にある竜宮城に似た城にしては小造りの、唐津城をひとしきり眺めたあと、鏡山の山頂を目指してミニを走らせた。途中、暴走族のひよこみたいな少年たちがバイクに乗り、ヘアピン・カーブでスピードよりは車体の傾度に重点をおいた走りを披露していて、見物する若い男女の群れがやんやの喝采をあげていた。

 山の頂が雲の上、といっても高度感が伴わない。「虹の松原」を眺望して、ああ、なるほど平らなこの場所は雲の上か、とかるいめまいを覚えるほどのものだ。
 確かに、美しい眺めにはちがいなかった。海の青と砂浜の白の間にあって波打ち際の白い線だけが、消えたり生まれたりしながら刻々と変わりゆく曲線を描き出していた。さらに、虹の曲線の外側を松林の黒みがおおっているおかげで、七色に近い縞の模様がそろっている。
 しかし、こういう山頂からのアングルこそ本来は、神のものではなかったのか。

 もっとも自分がいおうとしていることは、集合体としての松林と全体を構成する個々の貧弱な松との間にある印象の食い違いだけではない。
 湾の形にそって曲げられた林全体の描く帯状の輪郭はどことなく、高橋自身のあごひげに似ていると思った。この点は、詩人の美意識と無関係ではないはずだ。
 もし、松林があごひげに喩えられるならば、砂は肌、波打ち際は滑らかな唇、海のマリンブルーは澄んだ双瞳、彼方にあって霞む水平線は詩人の意識と思惟の双子の翼となろうか。
 遍満する自己なるものをかぎ分ける才ゆえに、ナルシシストといいたいのではない。
 所詮は、私たちとて自己に似たものにしか愛と関心とを持つことができないからだ。
 その愛がたとえ水際を洗う波のようなものだとしても、手のあるかぎりは無数のその手は、自己なるものを追い求めてやまないのだ。
 あるいは、その事情こそ浦島太郎や天の羽衣伝説誕生の由来を説明するというのだろうか。

 頂上からの眺望で目を満喫させると、私たち二人は山上ホテルの前の芝生の中に勝手に入り込んで寝そべり、高橋の言葉を借りれば「二羽の鳩のように、くるくると、愛しあ」いながら、飴玉の溶けたような日溜りで、無心にダベっていた。
「啄木の〈雲は天才である〉を読んでみたわ」
「間に詩人が入りそうなタイトルだな」
「それって小説なんだけど、とても面白いのよ」
「奴は歌人なんだろう。歌人が小説を書くというところに、凄く興味がひかれるんだけど、気分的にというか、いますこし乗り気がしないな」
「雲って、もしかしたら、霊の塊ではないかと思うときがあるの」
「確かに、雲っていうやつは、本当は、説明が難しいんだね。科学者は自分の目で確かめもしないことを平然と口にするけど、雲の成分が〈霊〉というのは、案外と当たっているかもしれないね。〈ゴースト・パスター〉の例だってあるしぃ」
「川端先生には、水の輪廻について書かれた文章があるんだけど、〈魂〉の輪廻も読んでいたと思うわ」
「それはどうかな」
「あたしがそう思うようになったのは、夢の中で、霊が雲に化けるだけでなくて、変幻自在にいろいろの形に化けるのを見たからなの。黒い雲が町全体を覆うように低く垂れ下がっていて、雲の一部が真下に手の形で伸びた瞬間、ふらふらと舞上っていった白い風船みたいな死霊を食べた、と思ったのね。そこで夢から覚めちゃったんだけど、記憶には〈霊が雲に化ける〉という夢の中のイメージが、メッセージみたいではっきりと残っていたッ」
「ううっ、・・・・直撃してきたね。せ、背筋にぞくぞくっと来る話なんだあ」
 主の存在が信じられなくなるような青空の下で、幾度となく聞かされた怪談に耳を傾けながら、ありあまるほどの時間をつぶしていた。

ホテル「魔王宮」での詩の朗読会■定刻の三十分ほど前にSホテルに着くと、すでに佐賀の詩人グループがロビーで待機していた。
 出席者は、詩誌「リルカ」のメンバーである阿部歌子と佐伯横一である。ほかに、詩集を出したばかりの川島初枝がいた。
 さっそく、詩の朗読の後に始まる夕食会での簡単な打ち合わせをやった。

 実をいうと、このときまで主宰の歌子が企画の立案者であることに疑いを持っていなかった。 だから、高橋と対等に詩論をやりとりする図を脳裏に描いては期待をしていたのだが、この構想は前提とともにあっさりと退けられた。

 苦手なタイプなのだろうか。新人の初枝を前面に押し出そうという計画のようであった。
「詩集を持ってきた」
「いいえ」
「どうして持ってこなかったのよ」
 そんなやりとりを見ていると、まるで二人が親子であるかのように見えて仕方がなかった。
 そのころの歌子は、自分の役割を母親に見立てていた。だから、丸々とこえていた。
 しかし、詩人のお相手役として初枝を前に押し出すことは、結果は見えていた。
 結局、自分も含めて、みんな逃げ腰であった。


 詩の朗読は、和室「乙姫の間」で照明の抑えたなかで披露された。
 おえると、ホテルのご主人が朗読会の開催のいきさつについて語ってくれた。客との話の弾みから「高橋先生と知り合いだ」と自慢したところ、信じられないのなら呼んでみせてやる、のイチニのサンで今回の「意地」のパーティ開催の運びになったと。
 客とは新聞記者で、吉野ヶ里の取材記事を書いてもらうために、特別に呼び寄せてもらったという次第だが、酒の入った駆け引きの席上では、よく耳にする話ではある。

 唖然とした。次の瞬間、それまで信じていた内的な世界が音を立てて崩れ去るような感じに見舞われた。
 彼らの間で明日のスケジュールについて簡単な打ち合わせをしたあと、まず一人の記者が弱音を吐いた。
「高橋の詩は、むずかしくてわからんぞ!」
 著書にサインを頼む記者もいた。サインはあるにはあるが、本人のものかわからん、と言って難癖をつける者のいた。

 歌子の紹介で、詩人は詩集を出したという初枝に関心を示し、二つ三つ質問をすると、次の瞬間にはそっぽを向いていた。
 お見合いの席にいるみたいにはにかんでいた。
 反応の遅さは気質的なものかもしれないが、傍で見ていると焦れてくるほどだった。

 「リルカ」誌には作品を発表していなかった。だから、どんな詩誌に所属しているのかと思って尋ねてみた(イナ、娘コソハ白羽ノ矢ノ立ッタ<御供ヘ>デアッタ)。
 すると、大阪の詩誌の名前を口にしたのでびっくりした。
 主宰の福中氏は名前だけは知っていた。「詩の長距離ランナー」と評され、詩集は無論のこと、『お医者さんの奥さん』の著書もあったと覚えている。

 あの先生なら知っていると思って興味津々の話題に身を乗り出そうした矢先に、いきなり話頭を転じて「リアリズム詩を書くことへの不安」を口にしたので面食らった。
 難問を前にして、返答に窮した。自分もリアリズム詩しか書けないひとりであった。二十代の時分に大阪のリアリズム詩に触発されて詩を書き出したから、いわば詩の原点でもある。
 しかし、そんな詩を書いていたら、足元を見られて小突かれることもある。
 女性の悩みは、自分の悩みでもあった。
 
 難問はプロにこそ訊くべき事柄と思いつきざま、「リアリズム詩について、どう思いますか?」と(<御供ヘ>ヲ捧ゲツツ)取り次いだところ、「リアリズムであろうとなかろうと、読んで面白ければいいんだ」と、お食事中のワン公みたいに、食べることに余念ない顔つきで答えた。
 頭の中のもやもやがとれそうな、明快な見解だった。ただし、基準はあいまいそのものだ。
 高橋をして「これは面白い!」といわせるのは、詩に限らず至難の業だろう。
 しかし、面白さに対して背を向けた態度よりは、光がある。どうせ書くのなら、光の見える方向をめざすべきだ。

 と、そのときは、これはまたありがたき「天の声」として拝聴に及んだが、今思えば何のことはない。氏も初期作品を読む限りは、リルケ風のリアリズム詩から出発しているのだから。


北方の連続殺人事件など■酔いがまわるにつれて、出席者たちは詩人を円心とした遠巻きの関心をほどき、めいめい勝手に話し込んでいた。記者は記者同士、女性は女性同士で。自分は佐伯と話しをしていた。
 彼については九大出の県庁職員という以外は、何も知らなかった。作品は、平仮名で埋め尽くされていた。
 読みやすい反面、「私」がなかった。その点での人間的な興味が湧いていた。
 が、お互いの間には、闇を相手にしてまさぐりあう手の動きしかなかったのかもしれない。
「北方の連続殺人事件なんだけど、犯人がまだ捕まっていないんだって?」
「うーん、事件は早くも迷宮入りしそうな雲行きなんですよ」
「廃品回収業者がひとつの鍵という説を聞いたことがあるんだけど、これは死体置き場にパンティが何枚も捨てられていた点からの、ある新聞記者の推理だったっけ?」
「それは被害者の一人の夫に廃品回収業者がいて、他の被害者にも親類がいるというように、暗合する点であったと思います」
「リサイクルとは、文字通り、再生のことなんだよね」
「ですが、殺人を犯したものが自らの死者の再生を願うというのは、ちょっと考えにくいです」
「自分の考えなんだけど、三人もの死体がひと所にあるというのは〈死体の家族〉という意味をばら撒いているように思えるわけ」
「そうですかねえ。大胆すぎて、犯人はずぼらという見方のほうが当たっているんじゃないんですか」
「としても、死体を家族にするという点で、ひとつの意味が再生する。〈家族主義者〉ということが」
「ひょっとしてそれって、漱石のいうような〈個人主義者〉と反対の概念を指しているんですか。要するに、近代化が個人の自立を促す一方で、バスに乗り遅れた奇っ怪な〈依存主義者〉を産み落とした。どうやらそいつが犯人らしいということ?」
「うんうん。犯人像は中世風の倒錯的な美の崇拝者で、かつ冷酷なヒロイズムの意識に染まっていると思う」
「ですが、〈死体の家族〉という意味と〈家族主義者〉との間には、関連があるようで、実のところ、何の接点も見出せないではありませんか」
「そこの点なんだけど、われわれの眼には〈論理の逸脱〉としか見えない、おかしな論理的な計算を平然と行うのが殺人者なんだ。むしろ、いたるところに、ジャンプあり脱線ありと考えるほうが妥当じゃないんかな」
「犯行は、水曜日に限られてるんですけど、この意味をどう解釈されます?」
「水は、黒を意味して北、母親だね。<北方>という地名そのものがキーワードだよね。一方の父親は、火や馬や南を指している。水剋火の相剋の理を読みたいところだけど、火ではなくて、水の勢いをを止める土気っていうとこかな」
「しかし、感性的には、南が母で、凶位が北の父という説もあるぐらいだから、つまり、水が火を消し止めたと。早い話が、これは女性憎悪といえるんじゃないんですか」
「だとすれば、そういう病歴を持つ精神病患者が精神病院に通っていれば、しめたもの。もう犯人逮捕は時間の問題ということだね」
「信じがたい、って言うか、案外と、乗りやすいんですね。失礼な言い方かもしれませんが。でも、イメージ的にはお風呂屋さんなんか、どうなんですかね」
「それよりも、事件当時の昭和五十年代の末、廃品回収業者を襲ったデフレの嵐にこそ目を向けるべきじゃないのかな。急激な円高で、外国産のパルプの原料が安く手に入るようになった。製紙会社は、おいしい値段に喜ぶ。一方、何かとコストのかかる古紙の再生は敬遠される。俄かに高まりだした自治体や町内会のリサイクル運動も、彼の苦しい立場に追い討ちをかけていたはずだ。廃品回収業者の倉庫には、さばききれなくなった古紙でいっぱいになる。すると、紙価は暴落する。紙価だけでなく、古鉄もウエスも同じメカニズムで暴落している。彼はアプレないまでも、その日を境に低収入を余儀なくされる。つまりは、制度的な矛盾が彼の身の上に重くのしかかってきたというわけ」
「制度的な矛盾こそが犯行の動機をはぐくむと。それも類比なき殺人事件をーー」
「制度的な矛盾というのは、当事者にとっては内圧と外圧の両面からプレッシャーの洗礼を浴びせられるのね。いってみれば、彼らはみな同じスタートラインに立たされるわけ。そして、フライングを切った者だけが、<はい、貴方は殺人を犯しましたね>と、アウト宣告を受けるわけ」
「皆同根を有するという意味で、彼は実存主義者のひとりであり、そこからは別ルートの労働組合的な、マルクス理論が・・・・」
 と、そのとき、記者さんの席で競馬か何かのギャンブルが話題に上がった。
 こういうことに関しては、自分の耳はさとい。
 すると、純粋な動機からどうしてもそのことが知りたくなって、こう質問せずにはいられなかった。
「高橋先生は、パチンコをしますか?」
 と、詩人に「先生」をつけたのは、ホテルのご主人が「先生」付けでくりかえしお手本を示したからだ。

 それまでは、問いの内容にはまるで拘泥しないといった態度で、俗物の首でも叩っ斬るかのように即答していたゲストも、落胆の色であったろうか、物憂い表情を顔の眉間の辺りに集め、うつろな視線を食卓の上に落としながら、「ぼくはやらないけど、師匠の〇〇先生は競馬をやっていた」と、力なく答えた。
 −−「ワシノス」だったろうか、耳遠い名前の関係もあって、聞き取ることができなかった。
 訊くまでもないことを聞き出すや、心の中で「やっぱし」と受け止めていた。とどのつまりは、「合理化」である。ゲストが詩人であるのに、自分がどうして詩人になれなかったかのわけを見つけたつもりでいた。才能ではなく、努力の差とでもいいたいような・・・・。
 酒に酔っていたせいもある。次の瞬間、自分でも信じがたいことに、勝ちをはじめて手にしたひとのように、陶然とした気分に襲われだした。
「パチンコをするんですか?」
 佐伯は正体を見抜いたように、急接近してきた。
「君は?」  
「学生時代には凝ったことがありますが、今はめったにやりません」

 同人雑誌を一緒に作ろうといって声をかけてくれた男と短期間だけ付き合ったことがある。
 最初の日は、キャバレーに連れて行かれ、酒と女の人をおごってもらった。次の日は、若松競艇場に連れて行かれた。三日目は、パチンコ屋で一日を過ごした。そのあとしばらくして、男とは別れた。
 男は小説を書くにあたって、何百冊もの本を読破したと打ち明けた。そして、発表後、同人からは、雑巾みたいに叩かれたとも。
 ということは、勤勉な方法もあるが、別の「文学修行」の道があることを示唆していた。
 すぐにはわからなかった。ただ、強烈な印象を残して立ち去った男の不可解な行動は、謎解きを迫った。
 なぞの一つが、競艇やパチンコをすることと創作の関係である。そこに何か秘訣が隠されているのでないか。疑惑が魅惑に打ち負かされたのかもしれない。真実を突き止めるには、実際にやってみるよりほかに手はないように思われた。
 すると、負けたときに襲われるヤツアタリしたくなるような攻撃的な気分が創作衝動につながるのかなと考えついたことがある。
 では、キャバレーに繁く通うことの意味とは何か?

 ひとつは、通過儀礼に関係している。ふたつ目の意味を追求しようと思えば、金は掛かるが「小説」にはなるだろう。なぜなら、そこが「異界」であり、「人生の縮図」に他ならないからだ。
 賭け事に関しては、男はハマリのきっかけを作ってくれた。
 負けが込む。すると、純化した「復讐心」を手にすることができた。
 これをすぐに爆発させるのではなく、持続的な低温爆発力に変えることができるならば、ロケットでも打ち上げるような、創作の推進力として活用できるはずだ。
 なおも付け加えるならば、ウンコとの相乗効果を挙げたい。便秘がちでは、うまく離陸できないのではなかろうか。無論、この場合のトイレは、洋式である。

 けれど、実際に台と向き合っているのは、人ひとりを殺さずにはいられない憎悪の塊ではないだろうか。破壊へ向かって突っ走ろうとする衝動を鎮める役割を果たしていないか。
 それだからこそ「復讐」を肝に銘じて遊戯している限りは、心は赤穂浪士、果てはすべての作家の精神に通じるはずだ。
 −−と、佐伯とのパチンコ談義に熱中していた。

 詩人の大きな声で振り向いたときには、ひどく機嫌を損ねているように見受けられた。
 ひとりで物真似に興じていた。ある歌舞伎役者の声音を真似たあと、祐仁天皇の声音も。
 このとき、「眼光」のひとは、ひときわ輝く目を自分に向けてきた。
 回答をもらったあとは、知らんぷり、という非礼な態度をとがめたかったのかもしれない。心中が見透かされたと思った。
 すると、自分の顔はおびえをあらわにし、胸中は赤面でもするように罰の悪い想いで染まっていった。 
 とうに時間はすぎていた。
 このあと、記念写真を撮って散会した。


 最後に残された問題とは、不安と攻撃性の二つに収束できようか。

 といっても、もともと両者は紙一重なのだ。
 夜の不安に包まれながら、眠りに就く小鳥たちのあの安らかな表情を思い浮かべるがいいだろう。
posted by 9組の秋六 at 11:46| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

逸脱論]@■唐津の「魔王宮」で、詩の朗読会

takahasi_muturou02.jpg高橋のグロ詩(?)の分析■「メッセージ」というからには、難航といった暗号解読作業がつきもので、想像を絶した困難さを克服してこそ、明らかになった意味は黄金の価値を有するのだ。

 十年前、熊本のとある大学の前の書店で、薄い樹皮に包まれた繊細な枝のような感じの本『物語のメッセージ』(審美文庫)を買い求めたのは、石でもかじるような歯軋りの、あの苦労のさまを眺めたかったからと思われる。クロード・ブレモンという著者の名前など知るわけがない。
 が、読み流していると、「機能」という言葉のうえに、視線は釘付けになっていた。

《不変項とはひとつの行動であり、その機能は他の行動を導き出すことである。導き出された行動は、今度はまた別の行動に対して同じ機能を果たす。たとえば禁止は違反の可能性を作り出し、悪い行為は正しい行為の可能性を作り出す(処罰、悪い行いの矯正)・・・・。(坂上脩訳)


 十年前は、ごくフツウの多忙な日々をすごしていた。いろんな人との出会いもあった。
 幸福のただなかにありながら気づかずにいたのは、「動詞」という難題に頭を痛めていたからだ。
 高橋と出会ってから数年を経過しており、意識だけは烈しく昂ぶっていた。
 そうして大過もなく今日にいたっている。
 その間、劇的な変化が自分にあったかというと、そうではない。

 ただあの十数年前の日に、高橋の詩を読んでどう思うか、とコメントを求められても何も答え得なかったことを思えば、今は段違いに成長している。
 この飛躍には、向き合うことに秘訣があった。厳密に言えば、そのままの姿勢を長時間保持し、耐えがたきを耐え忍ぶにあった。
 自ら問題と向き合わない限り、人には成長も前進もなきに等しい。

 高橋の作品で気になっている詩篇がある。
 それは『暦の王』と題した詩集の中の「Julius(7月)」という章で、荘子の見たという「胡蝶の夢」の解釈に対して、疑問符をつけたくなるのだ。

 古代中国の『荘子』といふ本の中には、荘子といふ哲学者が夢みて蝶になつたと書かれてゐる。荘子は俄かに目覚めて、荘子が蝶になつたのか、蝶が荘子になつたのか、わからなかつたといふ。『荘子』に書かれてゐるのはこれだけで、情景描写も何もないが、荘子が夢を見たのは白昼、それも昼寝の中にではなく、ふとした放心のうちにであつたと、私は思ひたい。俄かに放心から覚めた荘子の上には夏の午さがりの空が青く、一羽の蝶が夢のやうに舞ってゐたのではあるまいか。(新撰現代詩文庫120『高橋睦郎詩集』−思潮社)

 今、その是非を問うつもりはない。疑問が意外な入り口となって招き入れるのだから、詩に関してはうかつなことはいえない。
 「Julius」の場合、他の散文詩と違って「転」だけが機能していない。

 荘子は自分が蝶になつたのか、蝶が自分になつたのか、わからなかつたといふ。私たちもまた目覚めてゐると思ってゐるが、目覚めてゐると思つている現在が夢であるか、現であるか、それは誰にもわからない。あのやうにも白らかなに見える昼の青空も、そこに漂う雲も、じつは幻にすぎないのかも知れない。

 上は、誤植ではないかと錯覚するほどの似たような表現が繰り返されている。
 詩人が自らの仕事をサボり続けたために、病床にあった詩の病勢が急激に悪化し、機能不全を引き起こしたみたいなのだ。
 このことから「転」に詩機能が宿るのでは、と考えてみた。

 『暦の王』は、十二の章に分かれ、それぞれの章にはえりすぐりの「季語」が冒頭に躍り出てくる。一月は「魂=玉し火」、二月は「去年の雪」、三月は「水のイメジ=性の匂ひ」、四月は「春鶯囀」、五月は「ありふれた小公園の緑」、六月は「窗」、七月は「白日夢」、八月は「欧羅巴の湖水の晩夏=退廃の兆し=盛りをすぎた婦人のけだるい魅力」、九月は「涙の壷」、十月は「舗づくし」、十一月は「黒=魔王」、十二月は「基督降誕祭」というように。
 各季語は、それについての「説き明かし」が連鎖的に行われ、途中「解釈」を交えつつ、「漂白」の後、「漂浪」で閉じられるとみてよいか。
 例を一月に求める。「季語」である「魂=玉し火」は、説き明かしの連鎖によって「死んで甦る太陽」信仰へと接続する。

 天に燃える巨大な魂の溢れる恵みを享けて、森羅万象の、そして人間の裡なる太陽は、燃える。これが、自然と人間との照 応の根本である。しかし、疲れを知らぬ天の魂、衰へを見せぬ第一の火の燃焼にも、いつかは終はりが来るのではあるまいか。その終焉は疑ひもなく、すべての生命の火の終焉、世界の終焉でもあるはずだ。怖れた人々は、そこで「死んで甦る太陽」の信仰を産み出した。一年が終り、太陽は死ぬ。しかし、死んだ天の魂は聖なる水で洗い浄められ、黄泉の国から生き還る。そして、これこそが「よみがへり」の「あらたまの年」の最初の意味なのだ。

 上は、陰陽五行説でいう「火」の意味を説き明かしている。そして、水剋火の「黄泉の水」。つぎに「水生木」の相生の理。
 私見によれば、詩機能とは「浄化作用」と同義である。そうではなく、詩人自らが用意すべく答えなのであって、自分がどうのこうのといえる筋合いにはなく、それは飽くまでも高橋の詩法の関わるものなのだ。
 だから、この後の最終連は「永遠のイメージ」が漂い始めるはずだ。

 今日、昇る太陽は昨日と同じに弱弱しく見えるが、明らかに異つている。昨日の落日の弱弱しさはあからさまな老衰の徴だったが、今日の日の出の弱弱しさは赫奕たる誕生の證なのだ。黄泉の水に洗われて甦る天の魂とともに、この晨、私たちの裡なる太陽も浄められ、いきいきとあらたまるのである。

 上を読む限り、思惑は外れ、「永遠のイメージ」の表出は抑えられている。
 これを「保留」といいうるならば、陰極まって陽に転ずの冬至解釈を下敷きにしての「再生のイメージ」が漂っている。

 ここで、「季語」を〈美しい娘〉と置き換えるとき、各章のシャンソン風のドラマが見えてくる。
 彼は彼女と出会い深く愛するが、やがて死別のときが訪れ、彼自らは死後も生き続けるのである。
 たとえば、「五月」の章である。

 彼は「ありふれた小公園の緑」と出会い、自らの説き明かしによって彼女の正体が「母の胎内=エデンの園」に他ならないことを突き止める。が、悪魔のささやきにも似た「楽園喪失」伝説の介入によって彼女を喪い、以後の彼は悲しみの余り、「・・・・五月の午前、私たちの目を囚える幸福の情景はじつは世界最後の日の情景で在り、その情景を彩る緑は絶望の色なのだ」と絶叫するに到る。

 今度は、「六月」を覗くことにする。
 詩人は例のごとく、美しい「窗」と出会う。彼女は「家」の一員であるはずなのに、そうではないと説き明かす。「・・・・窗は家の中にあって、家に属してゐない。樹木に止まってゐる小鳥が、けれども樹木に属してゐないように」と。
 だから、どうなんだ、ではなくて、形にもまして「美しい精神」を愛するがゆえに、彼女もまた殺害されたのである。

 人間の肉体と精神の関係も、家と窗の関係に似ている。窗の構造を思ひついた人は、自分の重い肉体の中にあって絶えずはばたいてゐる天上的な精神にかたちを与えて、窗にしたのではないだらうか。窗・・・・もちろん、両開きの窗のことだ。今朝、かぐはしい初夏にむかっていつぱいに開かれた両開きの窗は、また私たちの、彼方へ、天上へ、永遠へはばたく二枚の翼でもある。

 上の言葉が美しいとすれば、ひと仕事を了えた、すがすがしい気分に充ちているからにちがいない。

高橋の詩と真っ向勝負?■
実をいうと、高橋の詩には目を背けたくなるような殺しのテクニックしかなくて、ややもすると、自分の目を疑い、自分の頭こそおかしいのではないかと思う気持ちの勝つときがなくはなかった(それが「詩的逸脱」と気付いたのは後々のこと)。
 一方で、次のような詩の存在によって自分の読み方は決して間違っていないぞと、内部から励ます声もあることはあった。

 道があるからには出会わねばならぬ。出会うからには、愛するか、または、殺さねばならぬ。殺したからにはさすらわねばならぬ。原始たる道のかたちは、出会うからさすらうまでどの動詞にもっとも近いであろうか。(詩集『動詞T』所収は前掲書)

 裏づけはあった、という言い方はないに等しいにもかかわらず、あると思い込んでいた。
 思い込みのできた裏には、詩についてこうだと思えばそれに合わせて詩が変容してくるみたいな、実際には詩にあわせて自分が変容されるのって会社組織の中では当たり前のことなんだけど、すぐには受け入れられないところがあるわけ。
 とにかく、こちらの欲求を満たしてくれないと・生理的にダメというのが。
 お買い得気分の味わえないお店では買い物はしない、といったおばさんの論理ではなくて、どちらかというと、あたしが好きになった男はじきにあたしを好きになる、といった若い女性の論理に通じ、さらには、おなかが痛い、だけど僕が悪いんじゃない。痛いのはおなかのせいだ、といった甘ったれた若い男の論理に。
 そういう想いはいち読者の声として以後の作品に反映することはあっても、それ以前の作品にはまるで通用しないわけだから、やはり、自分の水準に合わせて読むしかないと。

 で、はじめに引用した「民話の形態学」にこの際だからご登場を願う。
 「不変項とは、ある事件が発生して物語の中で果たす機能」という説明がある。
 こういう考え方を詩に応用するのは面白い試みだと思う。静面をかき乱すみたいで。

 「物語の線分」は、置き換えによって「散文詩の線分」となり、彼詩人は麗しい「季語」と出会い、彼女を深く愛するが、詩の定めにより彼女は殺され、それでも殺し足りなくて、以後の彼は「季語」をさすらわせると具体化できる。
 この場合の「出会う」「愛する」「殺す」「さすらう」の四つの動詞もまた個々の「線分」の役割を担っている。
 ・・・・。


 と、自分は何か根本的な間違いを冒しているのではないだろうか。

 たとえば、これまで築いてきた研究の成果とは、一体なんだったのか?

 一方、高橋の動詞説を他の誰よりも目の当たりに見ていながら、それを活用しないなんていう法があるだろうか?

 この採りえる二つの方法を閑却してまで、「民話の形態学」に執着する理由とは何だろうか。

 ただ単に、高橋をへこましてみたい?

 それだけのことだと、一道具としか見ていないことになる。そして、遠吠えする犬みたいに逃げ回っていたと?

 民話の形態学のいう「不変項」とは、「A(P)B」と表記可能な何かであって、それ以外の何者でもない。
 「錠前をこわしてから入る」泥棒機能とは、通常考えられるよりははるかなる機能である。
 というのは、泥棒に変じることよってはじめて貧しい民は金持ちの世界への移動ができるのであり、財宝を持ち帰ることによって階層のワープが可能になる。
 つまり、泥棒機能こそ昔は、夢のワープ機能と考えられていたのだ。

 そんなずっと昔の錆付いた機能でもって高橋の詩がさばけるはずがない。
 すでに見たように、このひとは再生機能と浄化機能を自在に使い分けているのだ。
 方法の泰斗として仰がれるべき人物なのだ。
 それなのに方法的ナルシシストとしての名のみが馳せ回っている感じぃぃ。

 残るは、この二つ。両者はあざなえる雌雄の蛇のごときサーカス芸を演じながら幾多の階段を登り詰めたのであり、したがって、ヒントは、次の三点に絞ることができよう。

  @ 点とはひとつの逸脱であり、その後に始まる回復への手順を道とする線。
  A ゆるい詩的空間。
  B 動詞「渡る」説の活用。

 それにしても、これから何をやろうというのだろうか?

  A 詩の持つ欠点を指摘して嘲るため?
  B 詩の世界に侵入するため?
  C 置き換えなどによって、第二の意味を採集するため?
  D 何かわからぬが、手がかりが見つかればそこでガチャガチャといじくりまわしたあと、ただ意気揚々と引き上げるため?

 このように並べてみると、Dとしか言いようがないが、とりあえずは、三つのヒントを利用しながら虚心に立ち返って詩を見つめることにする。
 そこで見えるものがあればそこを進入経路として中へ入り、そこがグロに満ちていれば逃げ帰ることもあるし、失敗すれば適当に体裁を繕うだけのこと。
 たとえば、次の作品には「逸脱」とする三つの点の意味が読み取れる。

穿くを穿く。靴をではなく。歩くで歩く。足でではなく。到るに到る。神殿にではなく。(「穿く・歩く・到る」)

 見られるように、「靴を穿く」とおけば通例たりえるが、「穿くを穿く。靴をでなく」としたことで逸脱している。こんな調子の点が三つ刻まれている。
 しかし、「点」と見た組み合わせは、じつは、逸脱と回復の組み合わせであることに気づかされる。これは、点の中に点と線の組み合わせがあると考えるベきか。それとも、はじめから点と線の関係として投げ出されたものか。

 もし前者とすれば、「歩くで歩く。足でではなく」は線たる回復機能を持つフレーズと考えられるし、それ自体点であり、点と線の機能を持つともいえる。
 とすると、こういう見方の導入は、混乱するだけのことか。

 次に、詩行から伝わる「ゆるい」内容は、有名なパラドックスである。
 神は自ら穿くことのできない靴を造ることができようかという問いがそれで、造ることができれば神だが、穿くことができなければ神ではないと。
 こういう巨大な内容の喚起は「簡潔な形式」と「否定の核」とともに、すでに詩人の岩成達也が指摘している(前掲書の巻末)ことだが、まじめな読者にとっては「なんだ、弄ばれていたのか」という不満が読後に残ることになる。

 三番目は、動詞「渡る」説の活用。
 この「渡る」のイメージが高橋のスーパーマンの生き写しであることは前に述べた。
 だから、それは単なる喚起ではなく、神との直接対決を企てるものであり、多分、アメリカ的な戦勝気分に酔うている高橋の姿を作品の延長線上に読むことができるのではないか。

 自分の立場からは、これに勝る名答はないと考えている。
 後は、この詩の持つ簡潔な形式への惜しみない賛辞と巨大なイメージの詩的鑑賞。
 特に、詩行に点と線がぎっしり詰まっている点は奇貨に値し、破格の作品にして破格の評価が当然与えられるべきことは、いまさら述べる必要もなかろう。

 ただ、このように見てくると、最初の方法を用いることもひとつの手ではないかと。
 細かい点は抜きにして、詩ははじめの逸脱と終わりの逸脱からなるもので、二つの点を連絡して生き返る線的論述の意味は、としたほうが手っ取り早い方法だと考えられなくもない。
posted by 9組の秋六 at 11:17| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

逸脱論\■志賀直哉の「范の犯罪」とスーパー機能

「逸脱論」の構想のきっかけ■「人はなぜ逸脱の道を歩むのか?」との疑問は、かなり洗練されているが、最初は、「人はなぜ人を殺すのか?」という素朴な疑問から出発していた。
 それに対して、「彼はもともと人殺しだから人を殺すのだ」との答えは、同義反復に神は宿るという意味では、ひとつの真理には違いなかった。が、採用できずにいた。
 連続殺人犯ならば、二人目からの殺人の動機の説明として採用できても、最初の殺人の動機の釈明には不都合が生じる。
 それよりも人間はみな同じスタートラインに立っており、フライングを切った者だけが「はい、貴方は殺人を犯しましたね」と、アウト宣告するほうがよほど理に叶っている。

 問題は一方で、「赤い花は赤い」というトートロジーには神が宿るという論理学説への不信の念を呼び起こす。
 手っ取り早い話が、命題は形容詞文である点において、その主述の関係はゆるいと判断できる。
 時枝のいう風呂敷で包み込んだイメージをもって論理学は「真理」と称しているだけのことだ。

 ありきたりの命題には神は宿らないと仮定して、次の問題。
 つまり、「人間はみな同じスタートラインに立っている」という実存主義的立場。これに依拠する限り、「彼も私も同じ(殺人者)」というスローガンを掲げてはじまる社会主義的な運動が見えてくる。
 反対に、「そうではなく、ぼくはぼくだ」という個人主義的な立場も見えてくる。
 見えるからといって、アーダ、コーダといえる立場にないことも十分に承知している。

 何かが狂っているのだ。その象徴的な狂いをそれとは識らずに「学者はなぜ柄にない学説を唱えるのだろうか?」という疑問を抱えながら悩んでいた。
 やがて、それらの事象を呑み込んだものを総称して「逸脱論」とする構想が湧き起こった。
 二十一世紀にはいる前の年であったろうか。これこそライフ・ワークだと心に決めた。

 問題は、思いもよらぬ形で開けた。
 いや、開けたというよりは、その時点ではすでに、解決をみていたのだ。
 答えは、この章の中に前々からあった。自分がそのことに気づかなかっただけのことだ。

 確か、それは「小説機能とは何か?」という問いかけから始まった。
 機能そのものは、クロード・ブレモンのいう「物語機能」からヒントをえていた。

《不変項とはひとつの行動であり、その機能は他の行動を導き出すことである。

 一行にこめられた、不遜なまでの確信に満ちた観念に魅かれた。特に、「機能」という言葉が燦然と輝いていた。
 一行のもつ意味なんてまるで理解できていなかった。
 自分の側には「機能」という言葉を使って、小説の解体を行い、その後再度先駆けの「機能」と向き合って一致するかどうかのほうに興味を持った。
 その解体の過程で、ジャンプ機能というものを発見した。
 小説に宿る「ジャンプ機能」こそ小説機能に他ならなかった。


 たとえば、

《宇都宮の友に、「日光の帰途にはぜひお邪魔する」といってやったら、「誘ってくれ、僕も行くから」という返事を受け取った。(『網走まで』)

とある冒頭文の名詞に着目すれば、そこから沸き立ってくる象徴的なイメージにいやおうなしに目が向けられる。
 そのイメージ的な意味を起爆剤として、物語的なストーリーとは別に、イメージは自動的な運動を始めると考えられる。
 この点については、前章ですでに述べた。心理劇として。
 表現の心理学とは、a句とb句の間にある<くらい>関係に隠されたダイナミックな心理的メカニズムを明らかにする立場である。
 この場合の関係概念は、次のような三種類の逆接の用法から類推している。

  A 彼は猛勉強したが、大学は落ちた。(「明るい」論理的関係)
  B 彼は猛勉強したが、大学は合格した。(「くらい」心理的関係)
  C 雨がはげしく降っているが、歩いていこう。(「つよい」意志的関係)

 上にあるAとBの文例は、清水幾太郎の著書『論文の書き方』(岩波新書)にて拝見でき、特にBのような順接の働きはガの用法にはないから「ノデ」や「カラ」を使えと述べているが、「ボクハ落チルト思ッテイタノニ」というツブヤキを挟むと前後の意味がつながることから、「心理的用法」として区別し、ほかの用法とあわせて逆接のガの三大用法と称している。
 表現の心理学があるとすれば、表現の論理学があってもおかしくないわけで、この場合はa句とb句の間にある<明るい>論理劇に隠されたダイナミックな論理的メカニズムを解明する立場となる。

 では、両者に共通するものとは何か。それは、一口にいえば、越え出るものを指す。
 だから、心理学では「良心」が暴露の対象とされ、論理学では「超論理」、言い換えると、「論理の逸脱」が暴露の対象とされることになろう。

 「小説」という言語表現は、全体が明るい論理的関係で覆い尽くされていると考えられがちだが、よく調べてみると、その中に、部分の<暗黒>と線の<逸脱>を隠し持っていることに気づかされる。
 で、暗黒部分を調査すると「心理劇」が隠されており、同じように逸脱部分を調査すると「論理劇」、つまり、「超人化」が隠されているというわけ。

 だとすれば、『網走まで』の冒頭で、「返事を受け取った」という述部動詞だけが「論理学」と関係するとき、筋のピークに現われる「明るい論理劇」に関連して重要な意味を持つものは「論理の逸脱」、言い換えて、「超人化」となろう。

 これは、一種の大局観であり、これによって自分の研究がどこに位置しているのかを自分で見分けることができる。
 つまり、これまでの研究は「論理の揺らぎ」の指摘の段階にとどまっているのだ。

《吾々は、プラットホームで、名も聞かず、また聞かれもせずに別れた。自分は端書を持ったまま停車場の入り口へ来た。そこに函のポストが掛かってあった。自分は端書を読んでみたいような気がした。自分はちょっと迷ったが、函へよると、名宛を上にして、一枚ずつそれを投げ入れた。入れるとすぐもう一度出してみたいような気もした。何しろ、投げ込む時ちらりと見た名宛はともに東京で、一つは女、一つは男名であった。

 上は、『網走まで』の結末部分だが、そこだけ目を通すと「手紙を出す」ことで短編に終止符を打とうとしている。
 しかし、冒頭の「返事を受け取った」という言葉を思い起こすとき、物語はそこで「切れ」るのではなく、はじめにつながることに気づかされる。
 だからといって、背中合わせのようなエンドレスのお話にはなっていない。なぜなら、「手紙を出」して後「返事を受け取った」と組み替えたところで、解釈上の接点が見出せないでいるからだ。
 それでも象徴的な意味としてだったら、はじめの「死」と終わりの「再生」の関係が見えてくる。

 この点に関して、巻末の年譜(「旺文社文庫」)には、創作の前年の明治四十年、志賀が二十四歳の自分に、自家のお手伝いさんとの結婚を決意するも家族の反対に遭い、「父との不和は一段と激しくなる」とある。精神的ショックが越年後も尾を引いている様子が伝わってくる。怖いくらい暗合する話だと思う。
 だから、「返事」のもつ象徴的な意味は「あの世からメッセージ(招待状の類)」で、それを「あの世へ送り返す」ことによって始めて、死の呪縛から解き放たれ、こちらの世界で生きていく希望が湧いてきたのではなかろうか。
 では、「スーパー機能」とは何か。

《・・・・この母親は今の夫に、いじめられ尽くして死ぬか、もし生き残ったとしてもこの子にいつか殺されずに入られまいという考えも起こる。

上は、「論理の揺らぎ」の後に見える一種生々しい表現で、最後的な、大きな揺れを感じさせる。いわば「表現の胎動」は、それとは知らずに、一個の奇っ怪な「超人」を誕生させたのである。
 事実がどうであれ、相手の女性を不憫に思うことは、自己を巨大化させる十分な動機が潜むことを意味する。
 しかし、父親みたいな巨大化は、彼自身の父親へのはげしい憎悪や軽蔑心のためにできないでいる。
 ということは、自分が自分のままで、つまり、母親のサイズを小さくすることで、自己の「巨大化」が実現する。
 こうして等身大の、白樺風の「ヒューマニスト」が誕生した。いや、主人公の「超人化」が成立したのだ。

 「超人」が「超人」となるためには、最後に、二つの儀式的な手続きを必要とした。
 一つは、母親から預かった端書を遅滞なくポストに投函すること。この約束の履行は、一個の成人としての承認に関係する。
 もう一つは、その際、端書の文面に目を通さないこと。これは欲望の克服に関係する。

 ところで、正反対の事例が『范の犯罪』に見えることについて、どう説明すればいいものか。
 しかも、同じように不憫な母親でありながら、一方は「ヒューマニスト」、他方は「殺人者」とまことに対照的である。
 正反対だからといって、白樺風の志賀の評判が直ちに落ちるとは考えにくい。
 むしろ、共通のヒューマニズムの精神を底にたたえた作品と、よくわからないままに、うんうんと、日本人ならばそう受け取るのではあるまいか。

 この際はっきりとさせようと思う。
 方法は、すでに述べたように、ピークに現われる「スーパー機能」を見極めることだ。

「スーパー機能」について■作品の物語には、主だった二つの流れがある。
 一つは、奇術師の范が演芸中に「出刃包丁のようなナイフ」での妻殺害からはじまるもので、范は裁判官から執拗な取調べを受けるが、最後には裁判官の超法規的な判断で無罪を言い渡される。
 この場合は、裁判官に「スーパー機能」が宿ることになる。これは結末にもスーパー機能が一役買っていることを示す。
 とすると、始点にもスーパー機能をもつという考え方が導かれたとしてもおかしくはない。
 もう一つは、妻殺害に至った犯人の動機である。
 当然、そこには「スーパー機能」が宿るはずだから、明らかにする必要に駆られる。

 こういう問題設定は、志賀がはたして白樺派の一員たりえたかどうかを問うもので、瑣末なことを始める意義をそこに求める。
 范が妻殺害にいたるまでに伏線がいくつかあるので、順を追って並べる。

  a 結婚当初は、妻を愛していた。
  b 八ヶ月目に出産。が、生後すぐのみどり児を死なせる。彼女自身の「過ち」に対する償い?
  c みどり児の死だけでは償いきれない感情が残る。范は不快感に囚われはじめる。
  d 離婚したくてもできない事情。妻が生きてゆけないから。
  e 「本統の生活をしたい」という欲望が強かった。しかし、もがき苦しむだけ。
  f 妻の殺害よりは、「その前に死んでくれればいい」と心の中で祈っていた。
  g 前の晩のこと、妻が食事の支度でぐずぐずしているので腹が立った。
  h 結局、その夜は眠れないまま朝を迎える。
  i 事件のあった夜、「上ずった興奮と弱弱しく鋭くなった神経」を持ったまま、彼は演芸を始め、ナイフを投げる何本目かのときに、「めまい」に襲われざま、「ほとんど暗闇を眼がけるように的もなく、手のナイフを打ち込ん」でしまう。
 伏線で真っ先に気づくことは、「不快感からの解放」という共通の主題である。そこから「本統の生活がしたい」という欲望が生まれている。「網走」のほうは、自分は欲望を克服して超人化したのに対し、范は故意か過失か判然としないあいまいな流れの中にわが身の分身であるナイフを投じることによって、妻殺害という「欲望」を遂げたことになる。

 ここで、ロシア民話の形態学の先駆者プロップの作った「物語機能のリスト」に照らすと、伏線のaは準備部門で、bの「害」の発生によって物語は幕を切ると説明される。

A−悪者は家族の一員に害をもたらす。(害)
B−人々は身にふりかかった不幸を知る。主人公はそれを何とかしてくれるように頼まれ、または命令される。(救援依頼または派遣)

 この後、リストは「救援企図」「出発」「贈与者の第一機能」とつづき、さらに、次のように発展する。

F 主人公は魔法の助力を自分のものにする。(譲歩)
G 主人公が探しているもののある場所に到着する。(ひとつの王国から他の王国へ移動する)
H 主人公と悪者が直接戦争に入る。(戦闘)
I 主人公はしるしをつけられ、傷を負う。(しるし)
J 悪者は打ち破られる。(勝利)
K 不幸が取り除かれる。(回復)

 上にあるように、物語の筋は、「害」の発生によって除去するための具体的な行動がプログラム化され、手順どおりに運ばれる。「害」との戦いに備えて魔力が授与されて戦闘開始。はじめは苦戦し負傷するが最後には勝ちを収めて「回復」する。
 一方の直哉の小説は、「害」の発生に対して除去すべく具体的な努力はせず、ただ迫害されたと思いこみ、内的なの葛藤と戦いながら、戦闘前夜に「興奮」という魔力を身につけたまま、戦闘状態に突入し「害」を負かしてしまう。そのことにより、彼は殺人者の「しるし」をつけられるが、じきに「回復」する。
 このようにみてきて、見えてきたことが二つある。
 一つは、無定義のままの点と線の意味。「線の端は、点である」とは、古代ギリシアの数学者ユークリッドの残した有名な言葉だが、そうではなく、点とはひとつの逸脱であり、その後すぐに回復のための具体的な手順がとられ、最後はまたひとつの逸脱たる点をもって閉じられるのだ。その間にある回復への道程が、ほかならぬ線ということ。
 もう一つは、ストーカー型の犯罪の謎に迫るもので、たとえば、ある女性が白樺風のヒューマニズムの看板を立てている心の広い男性と交際を続けている。
 ある日、本人の事情があって別れ話を切り出すと、突然怒りだし、女性は怖くなつて逃げ出すが執拗に付きまとわれる。警察への通報もむなしく、最後には、ストーカーの手によって女性は始末されるという悲劇である。

 このストーカーの立場を范が演じているのだ。つまり、彼は身辺に起きた突然の「損害の発生」に対して、「すすいでもらいたい」と思っている。が、「害」のほうにその気がないのを見ていらいらしている。やがて、一念が昂じて最後には「害」そのものを取り除いたために、罪を背負うが裁判官の独断で「回復」するというストーリー。
 先の現代悲話には事由と一念が整然と共存しかつ連携しており、頭上には「自己の神格化」と「無謬性への固執」という双子の神が控えている。
 看板を書き換えて、オウム教の犯罪を例にとると、神への冒涜によって「損害」が発生する。この不当なる事由によって「すすいでもらわねば」の一念が昂じてきて、ストーカー行動が続々と誘発される。さらに、「利失」にも適用され、暴走行為は加速されて殺害が繰り返されたのだ。
 そんな侵害行為を行っても平気でいられるのは、「無謬性への固執」によって本来は脆弱な自我がガードされているからだと考えられる。

 現代に蔓延している「無謬」神話の源流を「范の犯罪」に見出して、仰天している。
 まさに、等身大のヒューマニストの誕生と同時に生まれた、等身大の「鬼神」であるからだ。


これまでの説明で、小説機能がいささかでも解明できたであろうか?


小説機能と物語機能の違い■すでに、范の妻への不快感の意味は明らかになった。残るは、殺意である。
 「殺意」の説明は、今日でもハードルが高く、当時の志賀はどうやってこの難関をクリアしたかを知ることは、まさに「知新」というものであろう。

《・・・・今日の上ずった興奮と弱々しく鋭くなった神経とをできるだけ鎮めなければならぬと思ったのです。しかし心まで食い込んでいる疲労はいくら落ちつこうとしてもそれを許しません。・・・・頚の左側へ一本打ちました。次に右側へ打とうとすると、妻が急に不思議な表情をしました。発作的に烈しい恐怖を感じたらしいのです。・・・・私はただその恐怖の烈しい表情の自分の心にも同じ強さで反射したのを感じたのでした。私は眼まいがしたような気がしました。が、そのまま力まかせに、ほとんど暗闇を眼がけるように的もなく、手のナイフを打ち込んでしまったのです。・・・・(「范の犯罪」)

 上を読む限り、アシスタントの死は「事故」である。というのは、プロの彼にとってナイフ投げは、もともとコントロールできる芸だからだ。
 その関係は、ちょうど人間の行動とそれをコントロールする良心の関係に相当する。
 ところが、めまいでふらつく疲れた精神状態に自らを追いやることで、良心の機能を麻痺させ、わが行動の制御できない中でナイフ投げを行った結果、惨劇が起きたと供述している。それは「故意」だとも。
 しかし、この場合の「良心の麻痺」は計画的ではない。
 もし「事故」だとすれば、これまでみてきたようなスーパー機能はことごとく否定できる。

イ ありきたりの超人の行動ではない。
ロ 超論理も、論理の逸脱も見当たらない。
ハ 変身願望も見当たらない。
ニ かといって、積極的な良心の関与も認めがたい。

その代わり、次のようなスーパー機能の介入を許すことになる。

ホ 「良心」とは別に、人間を支配する「闇の力」がある。

 上にあるような「闇の力」を仮定すると、近代小説の自殺行為につながるのではないか。
 なぜなら、中世風の「魔術的な力」を指すからだ。
 もし、小説がスーパー機能として「魔法のランプ」を持ち出すのであれば、それは「物語機能」であって、「小説機能」ではないことになる。

 では「小説機能」とは、何か?

 この問いに答えようとする者が、ほかならぬ作家自身であることは、前に述べた。
 「殺意」は、いうまでもなく、人間の理解力では推し測ることのできない「闇」に覆われている。その闇を合理性のツルハシで少しずつ削って光を通すものが「小説機能」なのだ。
 それでも闇は残る。が、「機能」の近代化との戦いで、ひそかに快哉を叫んでいる作品が『范の犯罪』なのだ。
 次の引用は、巻末の『創作余談』にある志賀の言葉である。

《支那人の奇術で、此小説に書いたやうなものがあるが、あれで若し一人が一人を殺した場合、過失か故意か分からなくなるだらうと考へたのが想ひつきの一つ。所がそんな事を考へて間もなく、私の近い従弟で、あの小説にあるやうな夫婦関係から自殺して了つた男があつた。私は少し憤慨した心持で、どうしても二人が両立しない場合には自分が死ぬより女を殺す方がましだったといふやうな事を考へた。気持ちの上で負けて自分を殺して了つた善良な性質の従弟がはがゆかつた。そしてそれに支那人の奇術をつけて書いたのが『范の犯罪』である。

 上は、はじめに「意志ありき」という志賀の創作態度が見事に言い表されている。范の欲望の実現には、范自身の持つ「意志」が強く関与しているのだ。
 もし、「良心」に代わって「意志」が彼自身の行動をシキるとき、身体は良心のチェック機能のきかない、一個の機械に化けることを意味する。それが「殺し」に向かって運動を始めるとき、精密機械は確実にターゲットの息の根を止めることだろう。「ナイフ」は、精密機械の合目的的な運動を助ける部品の一つに違いない。
 なぜなら、彼の投げるナイフは、正確に的を射るのだから。

 今の解釈でネックとなるのは、「意志」と「スーパー機能」の関連であろうか。

 「意志」概念とは、「雨がはげしく降っているが、歩いて行こう」という文例に負うている。
 その判断が論理的な関係を超えるというのは、前文の持つ意味が「雨がはげしく降ると服も濡れるし道も悪くなる。雨がはげしく降っている。ゆえに、服も濡れるし、道も悪い」と推論化が可能で、「だから、歩いてゆけない」と大結論が導かれるところを、「それでも歩いてゆこう」というのだから、意志的決断は論理的な判断を無視かつ越え出た判断となる。
 換言すると、「人を殺すことは悪い。しかし、このままでは自身が苦しくなるだけだから思い切って殺してしまおう」と脱線している。
 しかし、殺意の持つ「闇」を「意志」で埋め尽くしたとすれば、「小説機能」はそれ以上にはない方法で役割を果たしたことになる。

 前時代的な思考法とたとえ悪口を言われようと、「魔術的な力」ほど魅了するものはない。それがあらゆる欲望を満たしてくれるからだ。
 しかし、意志もまた万能である。身体の奥底=闇に眠らせている秘密兵器だ。
 何かのきっかけで意志が眼を覚まして活動するとき、心理はもとより論理的な関係をも跳び越える。
 この、闇の中でのみ棲息する・意志主体の超人が近代の小説を全うしたのだ。もし、「意志」が「超論理」と連絡するのであれば、その意志は「論理の逸脱」と脱線する。
 そういう意味での「意志の逸脱」を仮定すべきである。

 ところで、先に述べた問題設定であるが、『范の犯罪』をもって白樺派の作品とみなすことができようか?
 この点は、幸か不幸か、すでに述べたと考えている。

 最も私見は、小さいころ、親戚のおばさんと出会うたびに耳にした「ほわ、なおちゃんったら、ちょっと見ない間にずいぶんと大きくなってえ」という声を懐かしみたい気がしている。


註)巻末の『創作余談』のなかにある「支那人の奇術」とは、微妙な表現だね。
 せっかくのフォローをむだにする?
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改稿のお知らせ■逸脱論[□ゆるい言語の体系

 説明不足等を補うため、次のように「註」を添えるなど、改めました。
 今後も引き続きご愛読とご批評をお願い申し上げます。


註1)■「名でもて明らか」は、高橋の説に負う。
 参考までに、高橋の「名」に対する考え方を紹介する。

《名とそれを包む闇について考える。
 ・・・幼い私たちは大人たちから闇を怖れることを教わったものだ。闇に克つ、といわないまでも、闇に耐えて生きる呪法として名を知ることを教わったものだ。あれはクスノキ、あれはギシギシと教わるたびに、闇はそれだけ少なくなった気がした。・・・
(『恋のヒント』小沢書店)

 見られるように、高橋の「名」に対する考えは、どのページをめくっても同じで、「照明」機能を説いている。


註2)別解(「名=装」説)■「名」に神が宿る。
 故に、ボデイは切り捨てられる。
 故に、女性は美顔術を施す。
 故に、売春業が成立する。
 故に、「顔面」機能の存在が露わになる。
 故に、装うところに、神宿りとなり、「名=装」説が浮上してくる。

 個人的な意見としては、「名をもて物をことわり、装をもて事をさだめ」とするよりは、「名をもて事をさだめ、装をもて物をことわり」とした方が、わかりやすい。というのは、その土地で暴れる竜を鎮めるために冠したものが「地名」にほかならないからで、この場合は、「装」の意義が定まらなくなる。
 逆に考えると、用言を「装定」とした成章の、喝破というか、観察眼の鋭さが光りだす?

註3)動詞活用で「行く」をもって、終止形とすれば、音楽の演奏の終りのごとき印象を与えかねないが、実際は、封印したにすぎず、「文」の持つ興奮状態は解消されていないと考える、この立場は、今でも変わらない。
 たとえば、「太郎は本を読む」という例文において、文意の安定を読むか、不安定を読むかで、両者の態度はおのずと異なってくるだろう。
 言葉は悪いが、かかる表現に対して楽々とクリアできる鈍感な者が文法研究に携わっている面のあることは否定できないのではないか。
 もう一例挙げると、「I have a pen.」を直訳して「私はペンを持つ」と口にでもすると、聞き手の側は「えっ、何が言いたいの?」と思うことだろう。
 こういう例から、活用形に言う終止形とは、神語りを誘発する止め方と認識している。




註4)点と線からなる図形的な意味が漏出してくるから、文と数式の平行関係が破られる。
 つまり、文とは、数式でもあり、図形的でもあるために、単一的な数式的なモデルを拒否している。

註5)数学と詩は、最も縁遠い関係のように思われるかもしれないが、実は、イメージで密接するジャンルといえる。言葉の意味を追求することが苦手な代わり、イメージの想起の才のある人が数学者であり、詩人ということだ。
 計算に関しては、教え込めば類人猿は速い、という報告がある。これは猿にとって数がイメージとして捉えることができたからだと考えている。
 言葉には、このような意味とイメージの他に、シンボルを加えて、3つの意味を持つと考えている。このうち、緩いものといえば、やはり、イメージであろう。
 シンボルは、イメージが地に喩えられるならば、天である。


註6)第一原因としての詩情とは、怠惰な病者の意識を満たしているものをいう。この意味では、潜在意識を指し、自覚できないまま、潜在意識で侵された意識状態をいう。
 甘美な想念が滾々と湧出するなど、「願望」で彩られた潜在意識は、大脳の中の太陽ともいうべき海馬の働きに負うと推定している。太陽が周期性を持つように、海馬の働きも周期性を持つと考えられる。
 高橋のいう「詩情」が私のいうがごときのものと違うのか、あるいは、同じなのか、今の時点ではわからない。
 詩人が詩情を云々するのは、言い換えると、病者の意識を第一原因とすることだから、狂気と紙一重といえる。
 一方の数学者の親しんでいるはずの数のイメージとは、良性のイメージと考えている。
 悪性のイメージで満たされた病者の意識の掃除役を務める良性のイメージで、ここにはアポロンの神が宿ると考えている。
 アポロンとは、ギリシヤ神話に登場する神であるが、精神の秩序・回復を司っているから、精神分析的な精神科学が導入する以前は、精神病の治療に一役買っていたのではないか。
 アポロンの神、つまり、数のイメージを想起することが、精神病の治療に役立つ、っていうことじゃないのかな。

 詩で言えば、これに近いのがフランスのサンボリズムの精神ではないかと思っている。
 サンボリズムの精神は、一部を書いて全体を照らす点にあると伝えられるが、良性のイメージ効果は付随的なものであったとしても(中世の暗い意識からの解放に貢献という)精神史の上で、もうひとつの評価を与えるべきではないかと思っている。

 今述べたような二種の詩について、代表的な二人を挙げるとすれば、独のリルケと仏のボードレールあたりかな・・・。

 ちなみにニーチェは、生の深淵を覗き見た天才的な、独逸の誇る哲学者のひとりだが、晩年はその深淵に呑み込まれたと思っている。
posted by 9組の秋六 at 03:48| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月11日

ゆるい言語の体系■逸脱論[のA

神」という数学上の概念■ 《たとえば、ここに「ある」という動詞がある。ふつう存在または状態の動詞と呼ばれ、動作の動詞と区別されているものだ。「渡る」などがある点からある点への移動を表しているのに対して、「ある」はある点での停止を表しているとの認識に立つもの、といってよかろう。だが、果たしてそうか。私の考えを言えば、「ある」は「ない」から「ない」という点に向かう過程の移動を表している。こう考えてくれば、動作・存在・状態と分けることはおよそ無意味に思われる。いわゆる動作、存在、状態をひっくるめて、動詞はもっとも人間的な言葉ということができるのではあるまいか。(『讀賣新聞』)

 上にあるような高橋の動詞分類への強い拘りは、レヴェルが低すぎて、正直なところ、ついていけない面があるのも事実だが、反対に、自説の生き死に関わるような、大事な問題が隠されているのではないかと推理を働かせることもできる。
 その大事なものを見極めることは、負託されたも同然、とはいわないが、探ってみるだけの価値はあるだろう。

 ここで、高橋の仮説を借用すると、文はまず「点ありき」と説明できる。と同時に、「ある点からある点へ」と渡るものとして過程動詞化される。
 ということは、それらの文が「アチラのひとが花になって咲き顕われる」や「アチラの神が風となって吹き顕われる」という万葉集の事例にあるような、言葉のゆるい働きを示唆するものとなろうか。
 それが歌の「解釈」とすれば、「歌」がある前景としての詩情のあふれる世界の存在を示唆していることになる。
 「ある点からある点へ」という言い方が「異界から異界へ」と翻訳できることは前に述べた。
 それが「太郎は学校へ行く」という文に現れるとき、一方が異界にいる「絶対前者」ならば、他方は、もうひとつの異界にいる「絶対後者」となろう。
(例文には、絶対的な太郎と、絶対的な学校のイメージが宿る)
 高橋の説を歌のイメージに引っ掛けると、「絶対前者のいる点から絶対後者のいる点へ」向かおうとするのが過程動詞の意味となろうか。

 「絶対」という言葉に《恐怖》の意味を注入すれば、それは「神」の意義になる。
 それをせずに一個の存在と考えるならば、数の対象になる。「ゼロ」や「無限」を意味する数学論上の概念として用いることができるはずだ。
 ふつう、文というものは、前者と後者ともいうべき名詞で構成されている。間に、中間者としての名詞を入れてもいい。
 それらを主語とか目的語とか補語と呼んでいるわけだが、氏の動詞論?ではほとんど問題にしない。なぜなら、すべての表現が《ある意志》が加えられて、「ある点からある点へ」と化けるからだ。
 そういう絶対的な、あるいは、数学論的な見方が導入された以上、何が主語かと問うことは無意味になりやすい。
 仮に主語たりえたとしても、たまたまということに過ぎないのではないか。
 たとえば、次のような文例である。

  羊の群れが動く。

 もし比喩表現として眺めるならば、羊は「雲」の動くさまを意味し、「綿」の木でもかまわないし、「神々」を指すことだってありうる。
 そうした場合、どれをもって主語とすべきであろうか。ほんの一例にすぎない。
 何が主語かを問う正統派の文法論があってもいいし、それを超えようとする文法論があってもいいはずだ。

動詞の分類法■今度は、もうひとつのアプローチとして、動詞の分類法の持つ問題提起から始めたい。
 これは「・・・・動作・存在・状態と分けることはおよそ無意味に思われる」とあるように、よくよくの事情があってのことだろうから、高橋を苦しめている「事情」に迫りたいと考えている。
 氏の言葉はさらに、「いわゆる動作、存在、状態をひっくるめて、動詞はもっとも人間的な言葉ということができるのではないか」と結ばれる。
 この意味が解き明かすことができれば万々歳だが、はなから自信がもてずにいる。
 つぎの用例は、動作動詞「する」がその意味に反して、多様な解釈法が可能であることを示す。しかも、「状態」と「動作」と「過程」とそれぞれの動詞の働きに即して。

  A 太郎は(毎日)公園で野球をする(状態動詞化=文意の安定化)
  B 太郎は(その日)公園で野球をする(動作動詞化=文意の不安定化)
  C 太郎が公園で野球をする!(過程動詞化=「するようになった!」という驚きが伝わってくる)

 今度は、述語は主語規定を行うから、その規定力を用いて用例を作り直すと、次のようになる。

  A' (野球少年の)太郎は毎日公園で野球をする
  B' (いつもはしない)太郎がその日に限って野球をする。
  C' (野球嫌いの)太郎が公園で野球をする!
  D' (人殺しの)太郎が公園で幼児を金属バットで撲殺する。

 述語は主語規定を行う力があるといいつつ、D'のケースでは逆転している。
 このケースに限り、主語の方に述語規定力が認められ、述語が変質をきたしたと説明できるのではないか。
 高橋のいう過程動詞がDのケース(絶対的主語や「死」の出現)を指すものとみているが、A'、B'、C'のケースの存在まで否定するのは無理ではないか。
 それでも高橋寄りの立場をキープすると、Bのケースを無効とする考え方が生まれる結果、次のような二つの仮説が導き出せる。

  T 文意は、常に安定を保とうとする。
  U 文意が不安定化した場合、動詞機能は過程化して安定を図ろうとする。

 T説にある文意の安定化にかかわるのが述部動詞の状態的な機能と考えている。
 U説の不安定化に関係するのが動作的意味で、その克服に過程的な働きがかかわるのではないか。
 とすると、T説にある状態動詞の存在まで否定はできないはずだ。

註3)動詞活用で「行く」をもって、終止形とすれば、音楽の演奏の終りのごとき印象を与えかねないが、実際は、封印したにすぎず、「文」の持つ興奮状態は解消されていないと考える、この立場は、今でも変わらない。
 たとえば、「太郎は本を読む」という例文において、文意の安定を読むか、不安定を読むかで、両者の態度はおのずと異なってくるだろう。
 言葉は悪いが、かかる表現に対して平然とクリアできる鈍感な者が文法研究に携わっている面のあることは否定できないのではないか。
 もう一例挙げると、「I have a pen.」を直訳して「私はペンを持つ」と口にでもすると、聞き手の側は「えっ、何が言いたいの?」と思うことだろう。
 こういう例のあることから、活用形に言う終止形とは、神語りを誘発する止め方と認識している。

 ここで、さらなる高橋寄りの立場をキープすると、「太郎は毎日公園で野球をする」という文意の安定した文はあることはあるが、それは「人殺しの太郎が毎日公園で幼児を金属バットで撲殺する」といった解釈上の文を喚起する以上、状態動詞文の存在は怪しくなるから、あるようでないに等しい・・・。
 例文が例文でなくなるという異常事態が起きているとすれば、見せ掛けの例文の持つ状態の機能さえ無効とする考え方が生まれてもおかしくはない。
 それが「高橋を苦しめている」とすれば、文法学上のばかばかしい俗説が世にはびこりすぎのせいとなろう。

 残された結論部分−−私が「ここにある」とは、詩情に支えられてあるように「動詞文」もそういう在り方をする以上、「動詞こそは最も人間的な言葉」とする、でいいのではないか。
 第一原因としての「詩情」の存在を仮定すれば、「動詞=私=人間」という等号的関係が易々と導かれると思う。

 この場合の人間とは、理想的なモデルのそれではなくて、戦後的な全敗的な気分に満たされた人間存在とか、人間自身が人間であることに耐え切れなくなって、変身願望を持ったり、超越的な存在を希求する哀れな人間の類であろうか。
 とすると、スーパー機能を持った動詞のイメージとは、相反するものとなろう。

 それでも見果てぬ夢を見るが故に・・・・淋しい、淋しいと嘆くばかりの、それこそ本来的な人間というものの、赤裸々姿というのであろうか?



文とは、数式である■この章の終りに、高橋の説によって仮定された、もうひとつの動詞的時間説について。
 ここでは一例として、文を計算過程と捉え、文のもつ「解」を導き出したいと考えている。
 高橋先生にはまことに申し訳ないが、ここは真打を務める。

 認知言語学でいう「相同性」を使うことからはじめる。
 「相同性」とは、「ある領域Aに属する要因としてaとb、それとは別の領域Bに属する要因としてcとdとの関係にひとしい場合、aとb、および、cとdとの間の関係は相同的である」とする。
 たとえば、ドライブでA点とB点の間の距離が一〇〇キロだとすれば、車で平均時速四〇キロで走れば、走破するのに二時間半を要することになる。
 これと同じような「解」の出る事例を「太郎は学校へ行く」という文表現の中に見出すことができるだろうか。

 この場合、「解」が「未来の意味」とおけるならば、それはドライブにおける「解=二時間半」にほかならず、地点AとBの距離が「一〇〇キロ」とか「平均時速四〇キロ」とかは、解を導き出すための「導因」とみなすことができる。
 文表現における「解」として、加え算による「和」があると仮定するとき、文「太郎は学校へ行く」における「太郎」と「学校」は単なる名詞ではなく、和を導くためのふたつの「導因」とならなければならない。
 このときの和を「太郎と学校はひとつになる」とおく。

 解としての「和」がいま少しわかりにくいと思われるので、もう一例だけ示す。
 売買動詞は、もともと、往復的な意味を持っている。文「太郎は花子に本を百円で売った」では、文の持つ「和」は、太郎が「百円を所有」する一方で、花子は「本を所有」と説明できる。
 それぞれの解を正と負の「和」と呼ぶこともできる。

 この文における「和」は、ドライブでA点からB点へという旅において、旅の目的地にたどり着くことで得られる「解」でもある。註3)
 この意味では、「未来の意味」としての両者の「解」は異にする。しかし、「解」を導く点において両方の二つの導因は同じ性質を持つといえる。
 「導因」であることは、すでに「要因」としての要件を満たしているから、両者は相同性と合同性のはざまにあるといえ、この意味で、準合同的な関係にあるといえるのではないか。


註4)点と線からなる図形的な意味が漏出してくるから、文と数式の平行関係が破られる。
 つまり、文とは、数式でもあり、図形的でもあるために、単一的な数式的なモデルを拒否している。

註5)数学と詩は、最も縁遠い関係のように思われるかもしれないが、実は、イメージで密接するジャンルといえる。言葉の意味を追求することが苦手な代わり、イメージの想起の才のある人が数学者であり、詩人ということだ。
 計算に関しては、教え込めば類人猿は速い、という報告がある。これは猿にとって数がイメージとして捉えることができたからだと考えている。
 言葉には、このような意味とイメージの他に、シンボルを加えて、3つの意味を持つと考えている。このうち、緩いものといえば、やはり、イメージであろう。
 シンボルは、イメージが地に喩えられるならば、天である。


註6)第一原因としての詩情とは、怠惰な病者の意識を満たしているものをいう。この意味では、潜在意識を指し、自覚できないまま、潜在意識で侵された意識状態をいう。
 甘美な想念が滾々と湧出するなど、「願望」で彩られた潜在意識は、大脳の中の太陽ともいうべき海馬の働きに負うと推定している。太陽が周期性を持つように、海馬の働きも周期性を持つと考えられる。
 高橋のいう「詩情」が私のいうがごときのものと違うのか、あるいは、同じなのか、今の時点ではわからない。
 詩人が詩情を云々するのは、言い換えると、病者の意識を第一原因とすることだから、狂気と紙一重といえる。
 一方の数学者の親しんでいるはずの数のイメージとは、良性のイメージと考えている。
 悪性のイメージで満たされた病者の意識の掃除役を務める良性のイメージで、ここにはアポロンの神が宿ると考えている。
 アポロンとは、ギリシヤ神話に登場する神であるが、精神の秩序・回復を司っているから、精神分析的な精神科学が導入する以前は、精神病の治療に一役買っていたのではないか。
 アポロンの神、つまり、数のイメージを想起することが、精神病の治療に役立つ、っていうことじゃないのかな。

 詩で言えば、これに近いのがフランスのサンボリズムの精神ではないかと思っている。
 サンボリズムの精神は、一部を書いて全体を照らす点にあると伝えられるが、良性のイメージ効果は付随的なものであったとしても(中世の暗い意識からの解放に貢献という)精神史の上で、もうひとつの評価を与えるべきではないかと思っている。

 今述べたような二種の詩について、代表的な二人を挙げるとすれば、独のリルケと仏のボードレールあたりかな・・・。

 ちなみにニーチェは、生の深淵を覗き見た天才的な、独逸の誇る哲学者のひとりだが、晩年はその深淵に呑み込まれたと思っている。

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逸脱論[■ゆるい言語の体系@

高橋の「動詞」と発見の場所■「動詞とは、何か?」という問いかけに対して、「すべての動詞は、<渡る>ことの変形だ」と応じてみせるのが高橋の動詞哲学なのだ。
 それを言い換えて、「ある点からある点に向かう」過程の動詞とするのは、ひとつの解答には違いないが、「渡る」という言葉に象徴される動詞のイメージがいま少し定かではなく、結果的に、わずかに恨みを残している。

 確かに、「はじめに点ありき」とか「緩い体系」とかは、前に述べた。が、それとは別に、前景を知る必要があるのだ。
 自覚できる私があるより前に、「詩情」がずっとそこにあるように。

 前景のひとつ、動詞「渡る」のイメージは、高橋そのものではないか、というのが自分の考えである。

《・・・・最初の海の向こうへのたびの折だった。イスラエル、トルコ、ギリシャ、イタリア・・・・と回って、最終地のパリに着いた翌朝のことだ。旅先の常で早く目覚めた私は、おおたたみの簡便地図を片手に、このボードレールとマラルメの町を歩いていた。建物、街路樹、人々などをぼんやり眺めながら、一時間あまり歩いた後、誰もが知っている広場を横切った。
 私の足がちょうど中点を踏んだとき、まったく思いがけなく「渡る」という一語が、足から頭へ突き抜けるように、私の体を通過した。言葉は通り過ぎて去ったのだが、通過する際の不安はするどく残った。この不安を解消するために、私は知らず知らず「渡る」という言葉の注解を始めていた。(讀賣新聞)

 上は、高橋自らがつづる「未知との遭遇」ともいうべき霊感に撃たれたときの感動的体験である。
 「興奮」ではなく、いたって「クール」に受け留めているところが心憎く、かえって降るような霊感の中で毎日を過ごしているような精神生活の様子をうかがわせる。
 詩人はその後、「生き字引」として有名な老人を訪ねて、「動詞のみを注解した本があるかどうか」を問うたところ、「ない」と答えたので、「それなら自分の仕事の一底流として、やってみようと心に決めた」と詩集『動詞T』のモチーフを明らかにしている。

 ところで、不思議に思うのは、「広場の中央」と記すべくところを「中点」としている点だ。
 これは「広場」を「スクエア」と訳すことによって解けた。いうまでもなく、目測可能な二つの対角線の交わる点をさして、「中点」と称しているのだ。

 「悟り」は、彼のいた場所と無関係ではない。
 なぜなら、「場所」が一人の修業僧の肉体を借りて、「悟り」を産み落とすからだ。
 とすれば、幾何学的な点と線と面のイメージであふれかえったスクエアでの動詞「渡る」説の誕生は、「点から点へ」といった線的なイメージを宿していたとしてもおかしくはない。
 しかし、そこに隠されたもうひとつのイメージの存在をも感じる。
 欧州各国を転々とする旅ガラス的な自己イメージである。
 この貧弱な自己イメージに対して、あまりにも自我は無防備であるから、突如として降ってわいた動詞のイメージで、赤裸々な自我をよろったのではないだろうか。
 よろうと同時に、スーパーマンともいえる自己イメージを獲得したのではないか。
 とすれば、その場所のイメージと自己イメージの合作が動詞「渡る」説に化けたことにならないか。


ゆるい動詞説■もうひとつの前景は、高橋の初期詩篇「ブランコ」に隠されている。
 実際に比べてみると、「もうひとりの自分」との出遭いは、「動詞」とのそれに酷似している。「広場」と「公園」のほかに、「ブランコ」と「中点」。さらに、老人の言葉が予言的に働く点まで。
 これほど似ているのだから、公園で目にした孤独な少年が「もうひとりの自分」であるように、広場で出遭った「動詞」も「もうひとりの自分」という見方が成立しないか。
 まずは、次のように表に整理した。

|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー|
| 形式  場所  中心   出会った対象   老人の言葉   |
|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー|
| 詩    公園  ブランコ もうひとりの自分  彼を失う   |
| 散文  広場  中点   動詞=渡る      「ない」  |
| 象徴  聖域  空間性  時間性       非限定    |
| 用語  母    娘    息子         父     |
|ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー|

 上で、「象徴」とは、「象徴的な意味」をいい、「用語」は分析学的な「家族用語」の略である。
 「父」に関しては、「非限定」という高橋の言葉をヒントにしている。
 「用語」は自家製といえなくはないが、風景画とて画家彼の家族の心象画にすぎないといえば、ご理解が得られようか。
 表そのものは、認知言語学でいう「相同性homelogy」を利用した思いつきの域を出ないものだが、おかげで、あいまいな事柄がはっきりと見えるようになった。
 読めることを書き留めるならば、「ブランコ」は《娘》としての限定的な〈空間〉を象徴している。
 一方の「ブランコ」で戯れる《息子》は、限定的な〈時間〉を象徴している。
 「老人」は《父》を象徴するが、これは洗練されたうその類と見ている。
 自分だったら、おっ、これは金になるゾと思って図書館へ駆け込むところを、高橋も同じように、仕事になると思って図書館へ足を運んだと見ている。

 この点が大事なのだ。表は、動詞「渡る」説が時間性であることを明示している。
 ここから、動詞的時間とおく仮説の誕生が正当であるのに対し、一方の動詞的空間とする仮説の誕生は、「逸脱」とする考え方が導かれる。
 さらに、この両説が陰陽の姉弟のような骨肉の関係にあることも告げている。

 これは、妄想であろうか?

 もし妄想であるとすれば、自分のいう動詞的時間のイメージとして高橋の「渡る」説を眺めているはずで、平行かつ彼方にある動詞的空間のイメージは終生捉えきれなかったといえる。
 つまり、それは妄想ではない。
 たとえ骨肉の関係が事実であったとしても、そのことに溺れるつもりは毛ほどもない。

 では、高橋の動詞説が暗示している「緩い言語の体系」とは、何か?

 いささか難しい言い方をすれば、時枝の学説を「起点」とし、高橋の動詞説を「帰点」として、両者を連絡するひとつの線的論述、それが「ゆるい」伝統的な国学思想ではないかと考えている。
 無論、両説は互いに逸脱的関係にあり、「特異点」というべき「国学思想」の介入によって、両説の逸脱は修正される、とするのは、あくまでもひとつの理論的な考え方による。

 簡単に言うならば、時枝の学説の発展先が高橋の動詞説であり、高橋の動詞説が時枝の学説を尻に敷いたとおいて眺めるとき、両説は親子関係にあると・・・。


国学的言語観■この緩い体系の存在−−実際に、あるのかどうか定かでないが、用語表で析出されたそれ−−は、仮定から導き出した突発的な結論であり、意想外の展開上、また、自身かかる体系をかるんじてきた経緯があり、知識としては十分なプールがない関係上、概略をもって急場をしのぎたいと考えている。

《名をもて物をことわり、装をもて事をさだめ、挿頭・脚結をもてことばをたすく。(「用言」川端善明ー岩波講座『日本語』第六巻所収〉

註)□「ことわる」とは、(「事割る」の意)@物事の筋道をはっきりさせる。理非曲直を判断する。・・・A道理ありと認める。B物事の内容を理解する。思い知る。C予め了解を求める。予告する。D(理由を述べて)言い訳をする。釈明をする。E《断》(理由を言って)辞退する。・・・拒絶する。(広辞苑)
「さだめる」とは、ゆるぎなく維持されるような状態を固定する。@決定する。制定する。A平定する。鎮定する。B安定させる。C・・・。D判定する。断定する。


 上は、江戸中期の国学者富士谷成章の『あゆひ抄』の有名な一文であるが、「名」と「装」の関係に伝統的な国語観が表明されている、と専門家は見ている。

《その江戸時代の日本語研究の品詞分類に関して、最も注目に値するのは富士谷成章(フジタニナリアキラ)のそれであろう。富士谷は本居宣長(1730-1801)ほどには著名でないけれども、彼の日本語研究には一種天才的なひらめきが感じられる。彼は現在言うところの助詞・助動詞の類の研究面で、はなはだ程度の高い業績を残したが、彼の試みた品詞分類はおよそ次のようなものであった。

     名(な)
 (語) 装(よそひ)
     頭挿(かざし)
     脚結(あゆひ)

 彼の用語はきわめて特殊であって、なじむのに時間がかかるけれども、「名」は現在言うところの「体言(名詞)」「装」は同じく「用言(動詞・形容詞)」「頭挿」は同じく「副用語(副詞・・・)」、「脚結」は同じく」付属語(助詞・助動詞)」に、それぞれ相当する。そしてこの独特の名称は、人体の着衣装身になぞらえる意図を含み、「装」は胴体に、「頭挿」は頭に、脚結は足に、それぞれ擬したものである。つまり一つの文を人体に見立て・・・(渡辺実「品詞分類」)


と、述べているが、なぜか「名」に関しては、人体のどこに見立てているのか、謎にしている。
 この場合、単純に考える、という言い方は適切でないかもしれないが、「名」で連想される身体の部位といえば、「顔」であろう。続いて、「装」とは、「ボデイ」である。
 この両者の関係は、天地の関係に置き換え可能で、「天」は「顔」で代表させ、「地」は「ボデイ(=自然、天≠自然)」が代表するのである。
 つまり、会社等の組織でいう代表が「顔」をあらわすが、彼は働くことはしない代わり、部下が彼のボデイとなって組織の維持・運営・管理等を行うことを意味する。
 したがって、「名をもて物をことわり、装をもて事をさだめ」とは、名で(物を)顕われ、装で(事を)働かせる意と解しうるならば、「文」表現という物事は、名でもて明らかにし、装でもて(法に則して)運用する物事のいいとなる。
 この場合、「物事」を分けて「物」と「事」にして、それぞれ「静」と「動」の意味を付与することも可能である。
 ネックになりやすいのは、「物事」と「ことば」を対比させている点で、助けるものは「ことば」としての取り扱いが可能だが、「名」と「装」は、「ことば」であることを打ち消すものといえ、同時に、「物事」であるとする点である。

 であるから、ポイントは、あえて絞り込むならば、成章がいう「物事」が「文」を指すか、あるいは「文表現」を指すかであり、取り方によって研究者の態度は二つに割れることになる。
 前者の立場に依拠すれば、静的かつ分類的な還元化が研究テーマとなり、後者であれば、歌などにおいて語の動的な機能性の分析(職務内容)が研究テーマとなるのではなかろうか。


 当時、京大教授の渡辺は岩波講座の本が出る頃は、丁度50を数えるが、文法研究者はさらに年輪を加える必要があるということか。
 この後も、渡辺は慎重な筆を崩さず、次のように祖述している。

《・・・接続詞・連体詞・副詞の類は文頭に現れがちであり、助詞・助動詞は文末に顕われがちであり、それらが前後から動詞・形容詞をはさむ形で日本語の文が作られる、という文構造への巨視的な観察が、ここには含まれているのである。これに名詞(名)を、動詞・形容詞に結びつくものとして位置させれば、おおざっぱな観察ながら日本語の文構造を、大局的にはつかんでいる眼が認められる。
 なほ花咲かず。
などの、「頭挿(なほ)+名(花)+装(咲か)+脚結(ず)という構造は、実際に日本語の文の一つの典型なのである。


 こうして残った問題とは、国学思想の持つ「緩いとは、何か?」ということだが、渡辺もいうように、規定の緩さは指摘できるだろう。
 この点は、憲法の文言と同じで、「物(=理念)をことわ」るも、「ゆるさ」ゆえに法治することはできず、、代わりに、下位法でもて「事(掟)をさだめ」る点において、成章のことばは今に生きているといえるだろう。

 これとは別に、和の国ならではの日常的時間の持つ「ゆるい」流れは、決して無関係ではないと思っている。

註1)■「名でもて明らか」は、高橋の説に負う。
 参考までに、高橋の「名」に対する考え方を紹介する。

《名とそれを包む闇について考える。
 ・・・幼い私たちは大人たちから闇を怖れることを教わったものだ。闇に克つ、といわないまでも、闇に耐えて生きる呪法として名を知ることを教わったものだ。あれはクスノキ、あれはギシギシと教わるたびに、闇はそれだけ少なくなった気がした。・・・
(『恋のヒント』小沢書店)

 見られるように、高橋の「名」に対する考えは、どのページをめくっても同じで、「照明」機能を説いている。


註2)別解(「名=装」説)■「名」に神が宿る。
 故に、ボデイは切り捨てられる。
 故に、女性は美顔術を施す。
 故に、売春業が成立する。
 故に、「顔面」機能の存在が露わになる。
 故に、装うところに、神宿りとなり、「名=装」説が浮上してくる。

 個人的な意見としては、「名をもて物をことわり、装をもて事をさだめ」とするよりは、「名をもて事をさだめ、装をもて物をことわり」とした方が、わかりやすい。というのは、その土地で暴れる竜を鎮めるために冠したものが「地名」にほかならないからで、この場合は、「装」の意義が定まらなくなる。
 逆に考えると、用言を「装定」とした成章の、喝破というか、観察眼の鋭さが光りだす?
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児童虐待と信仰■児童虐待を読み解くキーワードG

きっかけ■「児童虐待と信仰」のテーマは、実を言うと、この問題い取り組むきっかけになったテーマである。
 ある日、突然に、児童虐待のイメージが私を襲ったので、居てもたまらず、次のような記事をネットの板に発表した。


《数日前の子供虐待死事件の報道記事に「母親は、暴行を傍観」とあり、これが事実ならば、「無びゅう性への固執」と「神格化」という事件の本質がみえてくる。
 「無びゅう性固執」型犯罪は、オウム教の犯罪において顕著である。彼らは発生した損害をすすぐためにのみ殺害を繰り返したのだ。ひとつのトク聖行為から始まってえた「大義」は、その後「利失」にも適用され、暴走行為は加速したと推理。
 この見方を採用すると、母親は神格化しており、少年はその信者となる。

 そもそも母親の無びゅう性とは何か?

 これは過ちを繰り返してやまない人間への寛容さをキープすることで、母親は神格化の道を歩みだしたと考えられる。これが母子の間のことならば、何の問題もなかった。母親の宗教的な寛容さは、聖母マリアそのものであったろう。
 母親と少年の間の聖俗一体の関係は、アルバイト先での少年の悪事に対する、上司たる母親の寛大な処置によって成立したとみている。少年は自己の犯した罪に対して何のとがめだてもしない上司の態度に神々しい姿を見たのだ。こうして彼は帰依する者となった。
 一方のわが子とは、神格化した母親の目には、どのような者として映っただろうか。
 少なくとも彼は少年のような信者ではない。反対に、神性を犯す汚らわしき者として映った可能性が強い。「損害の発生」が母子の間では日常化している以上、すすぎとしての制裁は日常化していて当然。

 事件のあつた日、母親は生理前のヒステリー状態にあったのではないか。ジャンプした状況が考えられる。めくるめく高みに自己の身をワープさせた後、少年にお告げを出したのだ。
 それがポアだったかどうか。どちらにしろ、神の言葉に翻訳や暗号解読は当然。少年はそれをそれと読んだ後、実行に移したのだ。
 ・・・


 見られるように、私のいう「信仰」は、宗教団体のそれとダイレクトに繋がるのではなく、会社等の組織を束ねる「精神(白樺風?の結社の)」のようなものを指している。
 そこには無謬を誇るひとりのカリスマが居て、彼を崇拝する部下という信者が居て、命令の有無に関係なく、手足となって働いた結果、引き起こされたものがいわゆる「虐待死事件」ではないかと考えた。

 それは論理を追って、たどり着いた結論ではなく、突然に襲った観念的なイメージであったから、その真否の確認のために、公判の傍聴を勉めるようになった。
 そこへ行けば、私の観念的なイメージの正しさが裏付けられるだろうと内心期待していたら、まるで違っていたので、がっくりきたというのが率直な気持ちである。

 仮に、ギャップというものを覚えたとしても、それを言葉で表現するためには、場数を踏む必要がある。そのために、性懲りもなく、何度か傍聴に出かけた。
 こうしてつかんだことは、検察側と弁護側が争っているのは事実関係のみで、「信仰」そのものははじめからカヤの外に置き去りにされていることであった。

 常識的に考えるならば、加害者がいかなる「信仰」を持とうと、それは憲法に保障された「自由」であるから、「信仰」を名指して裁くことはできないし、たとえそれが犯罪に直結する恐れのある「危険思想」だとしても、「思想の自由」とやらで、たちまち葬り去られることであろう。

 無論、今書いたことは、私のいう「信仰」とは異なる。どう違うかというと、壁にぶつかるとその都度、成長を続けるかのような、増殖する「信仰」である。
 ・・・


成長を続ける、「虐待」信仰■今回、これをテーマにしてネットの検索機にかかったのが「エホバの証人」の児童虐待である。
 これは「教えて Goo」の板で、最初の質問は、次のように簡潔であった。

>エホバの証人は現在でも児童虐待をしていますか。

 こういう書き込みに対しては、教会関係者は頭から打ち消そうとするのは、どこの世界でも同じ。しかし、外部を装った信者や退会者等の告発で、「見た」「聞いた」という不確かな情報の書き込みが寄せられ、教義には「ムチでたたけ」とあるu、みたいな書き込みのおかげで、教会関係者は一気に窮地に追い込まれる。
 この時のやりとりで、極端というか、3人3様の受け止め方に興味を持った書き込みがあるので、次に引用を行う

A■虐待を推奨しているのではなく、規律が厳しいのとしつけの一貫から、一般より厳しく感じます。あたしの親は両親ともエホバの証人でした。中学に入った時に「エホバに行きたくない」といったとたん、豹変しました。父親は長老(リーダー的な位置)だったため「自分の顔をつぶした」といって殴り続けられました。母親も気が狂ったようにガスのゴムホースの切ったのを持ってきて、たたき続けました。すごいみみず腫れと顔もたたかれたので腫れて1週間いけなかったのを覚えています。
 「集会に行きたくない」と抵抗するたびに、これは繰り返されました。

 結局、宗教に特定されたことだけでなく、親の理想がある家庭ではしつけが厳しくなり、それに反した言動や行動があると、異常なまでしつけといってたたくというのと同じことだと思います。基本的にエホバの証人になる人は、真面目で完ぺき主義な人が多く、このパターンの親に限ってはよくあることだと思います。同じ年齢のエホバの証人の子は、一般的な子供と変わらない生活を送り、ただ宗教してるってだけで生活している子もいました。その親は「子供にも意思があるから」といってあまり、しつけも厳しくなく、離れた子がいても「子供の人生だから強制はできない」という考えでした。

おかげで、中学2年の時から胃潰瘍寸前のため、胃薬のむ生活になり、そのころからパニック障害も出始め、社会人になってからは摂食障害になり、精神的に追い詰められていたので、気が付くと自分で自分の手をカッターで切りきざんでいて、血で真っ赤になっていたのを覚えています。(自傷行為という心身症の一貫<註:一環?>)何か人間関係が上手くいかないことがあると、常にそういった心身症の症状が出て、30歳でカウンセリング受けて心療内科に通い、その結果、ようやく自身の中で心の処理ができ、現在やっとこさそういった症状に悩まされることのない生活をできるようになりました。宗教しているいない以前に、親の考え次第だと思います。

B■あたしの場合は社会人になってから、その宗教にかかわることやめ、勘当同然で出て行き、自立することで解決しました。しかし最近になって、思うのは、その宗教に留まった子供は、40歳近くなってもアルバイト生活、自立もできておらず、結婚もせずといった子供を数人聞いてますが、社会的に問題ありだと思います。うちの弟も宗教こそいってませんが、結果的には20代の大半を就職もせず、宗教の活動だけしていたことにより、一般の社会人からはずれているのでなじめず、未だにフリータ状態。もっと悲惨な話で言えば、60歳越えた人だと、今までの人生宗教につくしたため、アルバイト生活。60歳になって年金ももらえないため、未だに働かなくてはならず、年齢のため安い給料でしか働けないので、生活のため仕事増やし、あげく宗教活動も参加できず。なんのために、人生捧げてきたのかあたしには疑問です。

 あたしがしていた頃よりは、規律にこだわりすぎることもないようなので、虐待というほどのことではないですが、しつけは一般より厳しいと思います。

C■現在エホバだったり元エホバだったり親がエホバだったりする方はやはり、普通の人とは認識が違いますね。そりゃあ全部が間違ってる宗教なんてあるはずが無いでしょう?
現実をみなさいな。ああいうのは狂信と言います。

 そういう私も母がエホバ(それもその地域(エホバ内)で尊敬される立場にありました)で、散々な目に遭いました。私は子供の頃から従順なタイプでしたが、よく"貴方が良い子に育つように打つのだ。打ったから良い子になったのだ"と鞭で叩かれました。
 弟が非常にやんちゃで良く悪戯をするので、その度に"弟を打つなら僕を打って"と言い、代わりに打たれてきました。お腹を何度も蹴られ、暫く御飯が食べれなかった事もあります。熱したスプーンで付けられた火傷の痕は、お陰様でまだ肩に残ってますよ。

 当時の私は幼く、それでも母の愛情の裏返しだからと我慢していました。結果父が私の体中の痣に気付き、夫婦内に暗雲が立ち込め、その中で母は他に男を作って離婚になりました。
 その時は弟と二人で喜んだものです。


 はじめのAは、典型的な児童虐待例で、アダルトサーバーというのですか、後遺症に苦しむも心療内科の治療を受けて、症状は寛解状態にあるようですね。

 次のBは、フリーターの元祖みたいな信者がいて、奉仕活動を続けたまま年を取ったが、年金がもらえないため、働かざるをえず、安い賃金のために奉仕活動もできなくなったというのは、これ以上にはない人間的な・身につまされる話で、感動しました。
 この話のどこが虐待に絡むのかという点ですが、制度的な・二の句の継げない「イジメ」の問題が横たわっている一方で、宗教活動ができなくなって自立した信者としての真価が問われているのかな、って・・・。

 最後のCは、展開がねじれて、ハッピーエンドで着地が見事に決まるところ、只者とは思えぬ体験報告です。これは、仏教物語があるように、「エホバ」物語と呼んでも支障がないでしょう。
 虚実のないまぜのもの、といっても単なるそれではなく、高次の虚実です。
 つまり、正義を行使する父こそ「神様」であり、虐待をするような悪い母親は「邪教」の使徒か、でなければ、わが父が罰してくれるとでもいうような・・・。
posted by 9組の秋六 at 09:10| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月10日

心的外傷とは何か?A■本体性の問題□児童虐待を読み解くキーワードF

701110a464.jpg701110a463.jpg トラウマを負う彼とは、自覚的な彼か?そうではなくて、自覚できない彼なのか?
 用語解説では、この点が謎に思えてきましたので、「心的外傷 本体」の組み合わせで、ネットの検索機にかけてみますと、

>封印された叫び 心的外傷と記憶. Image ■著者名 斎藤学/著 ■出版社名 講談社 ■出版年月 1999年12月 ■ISBNコード 4-06-209964-0 ■本体価格 1800円. ■目次 第1章 「母の記憶」が欠如した人生 第2章 「忘れていた記憶」の回復 第3章 心的外傷論の ...
trauma.or.tv/3books/books2.html - 7k -

といった感じで、本の紹介ばかりが12600件、ずらっと並んでいますから、なんていえばいいんでしょうね、アホみたいなことをやってるなと呆れんばかりなんですが、一応、まじめ。
 「本体」なんて、トラウマ説から完全に排除されているのかなと、途方にくれていましたら、一件だけ待望の記事に遭遇しました。
 この調子で虱潰しに、調べていけばぞろぞろと出てくるとは思いましたけど、時間がもったいないので取りやめ。
 これには、内容の伴った記事だからということも関係しています。ただ、漫画の話という点が引っかかってきますが、書いていることは私のよりは、何歩も先を行っています。
 つくづくと貧脳の持ち主だと思いました。トホホ

>青年の正体■一番最初に不思議に思うことが青年の正体だと思います。
何も考えずに単純に読めばドッピオくんっぽいですが、ラウンド2を読んでいただければ分かる通り、青年はドッピオくんではありません。ましてやボスであるはずもありません。
じゃあ、誰?
答え、青年はディアボロです。
ディアボロってボスじゃん!
まあまあ、慌てないで。
あたしはラウンド2を書くにあたり、多重人格について調べました。基本的に知識の乏しいあたしだけに、こうやって慌てて調べたりすることが多い・・・・。
で、本屋に行って一冊の本を買い求めます。
その名もズバリ!「多重人格」って本です。
その本を読んでみると、面白いことが書いてあります。多重人格の症例で、二重人格はほとんど見られない。大体、四人から十六人の人格に分裂するとのコト。二重人格は、ジキル博士とハイド氏のお話のように、基本的に作り話の世界でしか存在しないみたいです。
へえ。じゃあ、ディアボロも岸辺露伴のようにリアリティを求めれば二重人格って訳じゃあなさそうだね。
で、ディアボロにも、多重人格者の常識に則っていただいて、二重よりも多い多重人格者になっていただきましょう。そしてディアボロという、青年の人格があたしの手で作られました。元々、蒼桐さんのソースにそれを含ませる内容があったことだし、それに決定!
そこで、その青年の人格を本体に定義。ディアボロ(ボスの方)とドッピオが作られた人格に定義しました。
多重人格を語る上での本体とは、産まれた時に名前を与えられた人格のことを指します。本来一つの人格として形作られるべき人格です。
幼児期に心的外傷などを負わず、すくすく育てば多重人格にならず、一つの人格として完成しますが、余りに衝撃的なこと(性的虐待が多い)があると、それから逃避するように別の人格を生み出します。
嫌なことを全部、本体ではない別の人格に押し付けることによって、本体はストレスのない安心した生活を送れるのです。
そこで生み出されたのが、ボスの人格とドッピオの人格。
ドッピオはホスト人格です。ホスト人格とは、普段表出している人格のことで、本体とは異なります。
そしてその上位人格としてボスを定義しました。
人格の力関係はこうなります。

ディアボロ(ボス)→ドッピオ→ディアボロ(本体)

>つまり、人格の全てを支配するのはボスの人格でありながら、普段表出する人格はドッピオ。本体の人格は封じ込められたまま眠っている。そんな人格の関係があるのです。
HP「透明な赤ん坊+α VS 辻彩 うら話」http://www.sumire.sakura.ne.jp/~yb/taisen02/akaayaura.html
カウント594408hits!!071110 16j現在



 見られるように、「本体がボス」なんてあけすけに書かれてしまいますと、言葉を失ってしまうんですよね。
 その上に、「ホスト人格」なんてね。これって、社交的な人格を言うんでしょうか。

 負けたあ、とか自尊心がずたずたにされたあとまではおもいませんけど、結構、ふてぶてしいとこがあるんでしょうね。
 この続きが気になりません?
 読みたいと思うでしょう。多重人格の話なんか楽々と解剖してしまうんで、精神科医並み。


>しかし、ドッピオは死に、ボスはレクイエムに捕らわれ、ディアボロの魂は分離してしまいます。
そのお陰で、本体の人格が十年?二十年?ぶりに眠りから目覚めました。
でも、元々は一つの人格が分離して三つになっただけ。多重人格の病気を回復するには、全ての人格の統合が必要です。だから、本体が目覚めたとは言っても、それは本来の三分の一の人格でしかありません。
だから青年は残りの三分の二の人格が抜けている分を埋めるために、他人の人格を欲している。それが彼の基本的なスタンスです。
そこで青年は同じく母親を失った赤ん坊に目をつけるのですが、赤ん坊は赤ん坊でしかありません。
考えることはできるでしょうけど、脳は発達段階。
どちらかと言えば本能が先走りますから、無邪気な悪意で彩先生を殺そうとしておきながら、終わってみればそんなことはすっかり忘れます。
赤ん坊の場合、母親に捨てられた?としても、今ではジョセフがいます。彼女の心を埋めるものはあるのですから、結局は元の鞘におさまる、と。
一方の青年は、家族と呼べる人達をボスが殺し(多分、この事件は嫌な思い出としてボスの人格に押し付けている)ているため、完全な孤独。人格すら普通の人間の三分の一しかないのですから、やはり魂を充足させる人格が欲しい。人格の三分の一(ドッピオ)は死んでいますし、三分の一は永遠のループに捕らわれていますから、残された自分の人格がどんな立場にあるのか?それが分からない。
そして自分が死んでいるのか、生きているのか分からないまま、小道で震えることとなったのです。
>いずれ、自分の人格を埋めることのできる人間、もしくは魂が迷い込むことを待って。あるいは、自分の立場を教えてくれる人を待って。それを母親への憧憬に重ね合わせています。母親が彼を導いてくれる、と。

 麻薬みたいな文章を書くから、真似できなくて恨めしく思います。

 画像にもありますように、「ジョジョの奇妙な冒険」のお話です。
 お隣が20年前の作者の荒木飛呂彦。どうみたって当時は20代の青年ですよね。
 多重人格がミヤサキの鑑定に登場する前に、怪物じみた「本体」を描いていましたからね。

 飛呂彦の書いているものと比べると、自分の方がマンガ扱いされそうで、恥ずかしくなりました。
 貧脳の持ち主だから、何をかいてもダメ。
posted by 9組の秋六 at 16:37| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第一原因としての詩情A■逸脱論Z□パラレル

hosinomura010.jpg美しい風景■「こういう田園風景は(心臓を撃たれ・・・・)、昔と変わりがなくていいと思いませんか?」
 てつきりイエスの答が引き出せるものと思って、たずねてみた(銃創からは、鮮血が迸っていた・・・・)。
 ところが、尋常の反応を示さなかった。反対に、「どこへ行っても、美しい風景がなくなった」と嘆いた(事件を目撃した友人は「面白かった」と証言した・・・・)。

 氏自らが口にした「美しい風景」というものに魅かれた。
 これは、何をもって美とするかの判断の基準を知りえる、またとないチャンスであった。

 ずっと昔のことだが、都会人のいう「自然」と親しんだ経験がある。
 自動車会社の期間工として働きに出ていたときのことで、同僚から山へ行こうと誘われたので、同行した(盆休みを利用した山陰の旅の途中で、踏切事故に遭遇した・・・・)。
 山といっても(「事故」といっても、すぐに呑み込めたわけではない・・・・)、神奈川と東京の境にあるありふれた山で、麓にある駅を出た後、長い道のりを歩いて行った先が、山の斜面を切り開き、山寺のような石段を設け、芸能人を招いて何かのイベントを催しているだけの人工的な場所だった(どんと軽い衝撃音の伝わった後、列車には突然ブレーキが掛けられ、すぐに停まる感じもなく、先頭の車両は踏み切りを大きく通り越して滑るように停まった・・・・)。
 高々これだけの場所に、「自然とのふれあい」を求めて大勢の人間が押し寄せてくるのだ(停車したせいか、俄かに意識の流れが淀みだした・・・・)。
 「自然」ならば、途中にあった(退屈のあまり、窓の外に目をやると、踏み切りの手前に、作業着を身につけた初老の男がうつ伏せに倒れていた・・・・)。道の脇に広がる草深い場所にこそ、豊かな自然が埋もれているのに、なぜ親しまないのかと不思議に思えてならなかった(すると、男の体からと思われる黒く光る一筋の流れに、目は釘付けになった・・・・)。

 そのときは、ゲストの考えもどうせ「人工的な自然の美しさ」と高をくくっていたが、「ない」と主張するだけだった(「流れ」の先端は、白い土埃を巻き込みながら、やむこともなく・・・・)。
 いや、それが唐津にあるというのだ(白いコンクリートの表面の凸凹の意味を読み取る仕草を見せつつ、だらだらとスロープを下りつづけ・・・・)。「あれだけの松林は、唐津にしかない」と、彼の地を手放しにほめた(平らな場所に着くと、溜まりはじめた・・・・)。

 この褒め方は、希少価値ゆえに賞賛に値する、と翻訳できる(それは「体液」には違いなかった・・・・)。
 とすれば、そこに感動的なものとしての美を読むことができる(しかし、「血」とするよりは、「尿」とする認識が勝っていたせいもある・・・・)。
 が、意想外の答えの凡庸さに、みくびる気持ちが働いた(てっきり、一人の酔っ払いが寝ているものだと思っていた・・・・)。
 いや、その前に、人をバカにしてやがると被害感情に見舞われた(錯覚から目覚めるのに、十数年を要した・・・・)。
 だから、遮二無二に、ゲストをやり込める必要に駆られた(いや、今でもあれは「死」ではないと信じている・・・・)。
 対抗上、環境問題を提示した(一人の乗務員が列車の影から姿を現し、すぐにその場を慌しく立ち去った・・・・)。松林を維持するための農薬散布の問題である(記憶は、数分前に目撃した光景さえ、まるでかき消すかのように働いていたせいばかりではなくて・・・・)。

 ゲストと張り合うために背伸びをした自分は(胸に烈しい痛みを覚えると・・・・)、そこはかとなく反抗心を漂わせていたはずだ(畠土の中から跳び出し、そこら中をのた打ち回った・・・・)。
 そんな態度を見て、高橋は心の中で苦笑いを浮かべていたに違いない。
 というのは、これはユニークな捕らえ方だよ、という含羞にも似た特別な思いが込められているのに、ユニークさや目の高さが見えず借り物の観念で、美意識そのものをたしなめるかのように応待したからだ(しかし、・・・・)。

 今思うに、それこそ「美」に他ならなかった(傷口からぼこぼこと音を立てて流れる血は、止むはずもなかった・・・・)。
 というのは、万葉集以前の面影をとどめるがゆえに、唐津の松林は美しい、と翻訳できるからだ。
 気の遠くなるような時間の支えをまってはじめて、「美」を感じ入るらしかった(次第に薄れていく意識の中で、突如としてある観念が芽生えてきた・・・・)。

 一説によると、江戸時代に植林が始まるとされているが、原型はもっと過去に遡れると信じている(ぼくの血が畠の土を汚したおかげで、やせた土が肥沃に変わるのだから・・・・)。

 他方、自分に向かって「美とは何か」ときかれれば、即座に「内発的なもの」と答えたことだろう(ぼく自身が「神」として祭られることを・・・・)。
 ひと仕事を終えての一服の最中に、突如として出現するのが「美しい風景」なのだ。
 それは畑だったり、解体現場だったり、グラウンドだったりするが、いつも訪れるわけではなかった(残念なことに・・・・)。
 ただ、後先のことを考えず、仕事やスポーツに没頭したときに限り、いわば「充実」の対価として支払われる「賃金」みたいなものだった(村民たちはぼくのいるところへ足を運ぶどころか・・・・)。
 だから、力の出し惜しみをやったときは、いつも「賃金」はもらい損ねた(きびすを返すように、彼らの足音はいつも遠ざかっていった・・・・)。

 この美が三島のいう「体育教師の一刻」に他ならず、「夏のほてった肌が水浴の水に感じるような、世界と溶け合った無辺際の喜び」(『太陽と鉄』)だとすれば、ちょうどサウナで汗を流した後、水風呂に入り、意識のしびれや陶酔感に襲われだしたときに立ち現われる、周囲の景色の持つ甘ったるい・濃密な感じを「美」と称していたことになる。

 「喜び」にしたところで、この言い草にはどこかしら自分だけに与えられる「祝福」めいた考えが見え隠れしている(代わりにやってきたのは、一羽のハシブトカラスである・・・・)。
 なぜなら、労働の喜びにしろ、スポーツの喜びにしろ、厳密に言えば、ヒーローだけが味わえる喜びだからだ(僕は咥えられて、大杉の高みにある巣に運ばれ、貪欲な雛たちの胃袋を満たした・・・・)。

 ところで、次のような苛烈な体験から書き起こす高橋のエッセーに対して、私たちはどんな展開を予想するだろうか(でも、ぼくの価値ある死がずっとずっと後になって・・・・)。

 答えは、二つに一つだ(見直される日が到来するのを・・・・)。三島ならば「世界は喜びに満ちあふれている」と表現することだろう(革だけの亡骸の中で待ち続けていた・・・・)。詩人の持つ特異体質だけが、「世界は恐怖に満ちあふれている」と裏返して見せるのだ。
《ほとんど半日がかりで島のめぐりを泳いで一周し、・・・・(『知られざるPoesieをめぐって』より)


第一原因としての詩情■この後、詩人は浜に上がって宿までの帰途に着く。すると「歩いても尽きない日暮れのたぶの林の怖れ」を意識し、暗くなってからは「闇」への不安に襲われる。このときに「闇と光」、特に、闇のもつ宇宙的な巨大さを感得するにいたる。
 不安な道のりは、すぐにも、詩作に類比される。

《・・・・あの時、闇の中で、常にただいまいる足の辺りの砂明かりしか見えない不安の中にいたとき、詩人がただいまの瞬間における言葉の光にのみ導かれて詩作という名の道を進むという、あの、それがまことの詩人の証左である緊張の中に、私はいたのではないか。
 そして、最後にあかりを見つけたとき、ひとつの詩を書き了えるという労作を、私はアナロジックに了えたのではないか。そういえば、あかりとともに、犬が吠えたことは。ひとつの啓示だったろう。光と声=言葉は同値なのだ。それまでの闇が、同時に沈黙を意味していたように。・・・・

 直後に「神」への論及が開始され、「言葉は神」という世上の解釈を否定して、無窮の「闇」こそ「神」であり、「父」と説く。

《「闇である神」または「沈黙の神」は、新約流に言えば「父なる神」となろう。「子なる神」は、「光である神」「言葉である神」という形をとる。自ら限定である人間は、非限定の「父」の存在に耐えられず、限定で同時に非限定の仲介者「子」を必要とした・・・・。

 ところで、「闇」について書くことは、今日でも「最前線」を意味しよう。
 なぜなら、「うそを書いて真実を照らし出す」のが文学的手法であるならば、「真実を書いて闇を照らし出す」のがドキュメンタリーの手法となるからだ。
 では、「闇」を書くと、照らし出されるものは何か?
 「神」と答えたい。
 次に「神」について書くと、何が照らし出されるのか?
 この謎に迫り、解き明かした本があるとすれば、それは高橋のエッセーに違いない。
 いずれにしろ、神に最も近い、そして、最もあつかましい人種が高橋睦郎といえまいか。

 さらに「人間主体」といった、のどかな田園さながらの考え方の典型をデカルトに求めて、次のように述べる。

《「わたくし」の存在について、ひとは日頃疑ったことはない。あの、何者も疑ってやまない懐疑精神からも「わたくし」は免れている。・・・・かくして、「わたくし」はすべての前提となる。

 すぐにもそれを打ち消して、「契機」としての「わたくし」を説き始める。

《だから、Poesieが「わたくし」に来るとは、Poesieが存在から非存在へ来ることであり、「わたくし」からPoemeが出るとは、Poemeが非存在から存在へ還されるということだ。

 「神学序説」を模した詩論が難解なのは、西洋精神をもって眺めるからで、東洋精神に照らしてみると、ごくごく常識的な考え方だと思う(例:天地人)。
 高橋の言い分を平易に訳すと、そこにある詩情をたたえた詩は、「無私」である。言い換えると、丸々神様からのプレゼント。

 それにしてもすごいと思うのは、第一原因としての詩情の存在を言い当てた点だ。
 高橋はどうやってそれを知りえたのか。
 東築高校時代に襲われた大学受験前の精神疾患のせいか。
 エッセーは、その点だけが謎として残っていることを指摘したい。

 自分の見るところ、第一原因たる詩情は、脳死状態にある植物人間の意識として流れている。
 これは脳機能の緩みによって意識が奔流するイメージに満たされた状態に陥るもので、恍惚を特徴としてもつ。
 彼我の違いは、脳の自我機能が正常に作動しているかいなかの違いといってもいい。
 ドイツの哲学者ニーチェの病気は、梅毒の進行性の麻痺症が脳の自我機能を犯したために、第一原因たる詩情の中に埋没したからだと診ている。

 「美」についての話題は、すぐに途絶えた。
 第一、雑然としたあの松林が美しい、なんてことがどうして呑み込めようか。それに、「じつに美しい!」という感動の言葉が漏れたわけではないのだ。


「考える人」と浚渫船の相似的関係■郊外から山間部に入り、しばらく走ったところで、記憶は途切れる。
 まるで真っ暗なトンネルの中を走行していたかのように。
 いっぽうの、何かと絵になるおひとは、車の中で休んでいた。
 むさぼるような生理的な睡眠ではなく、首を窓ガラスのほうに傾けて、考えごとでもするように眠っていた。

 フランスの彫刻家ロダンの作品「考える人」が湾に浮かぶいっそうの浚渫船に似ていることに、最初に気づいた人は、スペインの画家ダリであったろうか。
 ポストは曲がった背筋で、重い思考の全体を支えている。
 二本のワイヤーロープが背筋から後頭部にかけて渡されており、頭骨には前後に二個の穴があけられ、要するに、大脳の中を酷く貫き、後頭部と額の前には滑車が引っ掛けてあり、額からロープが垂直にくだる仕組みである。
 ロープの先端には、鋼鉄製の一対のバケツが胡蝶の羽のように広げたまま中空に静止している。
 やがて滑車がからんからんと乾いた音を立てる。
 重い思考の回転が始まったようだ。
 開いたバケツはそのまま海中に没し、海底に軟着陸する。
 すぐに閉じはじめ、海底のヘドロを掴む。
 ドラムが逆回転を始めて、ロープが巻き上げられる。
 バケツが海上に引き上げられ、その瞬間から大量の海水がこぼれ落ちる。
 バケツが旋回して泥倉の上で開くと、ヘドロが船底に向かって落ちていく。ぼたんぼたんと。

 思考のバケツの掴むものが「ヘドロ」と皮肉っているのではない。
 高橋とて「ヘドロ」を掴むところから、思考の回転が始まり、一種泥まみれになりながら「鉱脈」を探り当てるのではないのか。
 
 高橋が眠りに入ると同時にはじまった記憶の欠落は、「闇」についての一考察を用意させずにはいられない。
 「闇」が記憶の欠落を意味するのは、緊張からの解放が与っている。しかし、精神の弛緩ではない。
 とすると、闇のもつ三つの働きを示唆するものといえる。つまり、精神の緊張と弛緩と宙ぶらりんの解放感である。
 換言すると、「恐怖」と「シュール(原義は、賢者の石?)」と「健忘」である。

 この健忘だが、問題となりやすいのが、家を出たものの帰りの道順を忘れてしまう病的なケースである。これを解き明かすことができれば、他についてはいうまでもなかろう。
 痴呆老人の「健忘」は、彼のおかれた孤独な環境の持つ「宙ぶらりんの解放感」と無関係ではない。
 生活のどこかに「緊張」が潜んでいるからで、死や病気への恐れが家での安住を脅かすのだ。だから、「家を出る」ことは、恐怖からの逃避を意味する。それでも、家は唯一のくつろげる場所であることに変わりはない。
 この家の持つ正反対の機能が「健忘」に関係すると考えられる。

 では、自分を襲った記憶の欠落は、孤独な環境におかれた孤独な老人の「健忘」に置き換えであろうか?

 思うに願望は、果てしなく続く関係の平行性こそ望んでいた。
 詩人と同乗することで、何かが危機に瀕した。過度の緊張が精神の負荷になって、固定観念を生み出したのだ。
 それは「深い・物体」から「追尾するマテリアルな車」、さらに「怪しい輝きを放つ(陸離たる?)詩人」へと発展した。
 それらは一口で言えば、光るものへの不安感を意味している。
 不安に襲われたからといってパニクる必要はなかった。またやってきたか、と突如として襲いかかる不安感を自覚してさえいる。
 この不安にさらされた緊張状態は、久しく続いた。ゲストを眠らせるまで。

 その後は、半ば解放感に浸りつつ、運転に専念していたようだ。
 しかし、間に何かが起きたのだ。
 痴呆老人と同じ種類の、記憶をかき消してしまうような化学的な変化が。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 高橋の眠るさまは、胎児に似ていると思った。
 すぐに、考えるとは「胎児化」することだと気づいた。
 ロダンはブロンズ像の制作にあたって、自らの願望も表現したのだ。

 「健忘」は、その後に始まったらしい。
 代わりに、もうひとりの自分がシキりはじめたのだ。
 要するに、内なる<それ>が闇に向かって・咆えだしたのだ。
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第一原因としての詩情■逸脱論Z□パラレル

hosinomura08.jpg星野村という聖地■星野村の地名は、中世に金山を背景に富裕を誇った領主の名前に由来すると、地名事典は伝えている。近世までは生葉郡(現浮羽郡)に属していたが、明治二十九年の郡制施行後は八女郡に改まる。開析溶岩台地。土地の85%は山林で、耕地は5,8%に過ぎぬとも。杉材をもって経済の主柱とし、米・麦などの農産物は専ら自給的としている。特産品は、茶「玉露」の他に、コンニャクを挙げる。四隅を持つ枕の形に似た村の総面積82ku弱、人口六千人余。最後に、金山はというと、ピークの大正期を過ぎると廃れはじめ、第二次大戦中に全部閉山。

 ごく最近になって星野村について調べる気になったのは、星野村から唐津へと向かう旅の持つ始点の意味を問い直す必要に駆られたからだ。
 繰り返すが、この問いを置き換えて、「ある点からある点へ渡る」というときの始点の持つ意味とは何か、とするのは、議論を永久に噛み合わないものにする。

 説明の前に、「一本の線」についての考察から始める。「二点間を連絡する線」とかではなく、はじめに「線ありき」とする。
 先に私見を述べるならば、線分を「過去」と「現在」と二分するところに特徴がある。
 それが樹木であれば、「根」と「幹」を指し表し、「根幹」を含む線全体が「生産過程」を意味し、<運ぶ>と訳せるのに対し、高橋のいう動詞的時間(以後、「空間」と改める)は、ただ「点ありき」としか語ることができないのではないか。
 たとえば、空間の上にひとつの点が静止状態のまま異界から異界へとトリップしているような、幻想的としか言い様のない動詞「渡る」のイメージである。

 では、旅の始点としての星野村の持つ意義とは何か。

 この問いは、出会いの場所を「祭場」と置くところから、聖域が視野に入り込む。
 「祭場」、即ち、「斎場」である。

 この点は、まったくの盲点だったが、詩人はなにゆえに星野村を訪れたのだろうか。

 もし、「招ばれたから」という消極的な動機の消去ができるならば、地名にすっぽりと覆われた感じの「金山」にこそ真の動機が隠されているといえないだろうか。
 これは、高橋の縁の地である某所「炭鉱=ヤマ→閉山」に通う点が示唆的だが、手っ取り早く、「廃山」をもって「斎場」としたい向きもある。

 「ヤマ」は、記憶の風化作用とともに、一部の人々に熱い想いをたぎらせる。
 が、「火」にも似た想いは、かえって、「ヤマ」を剋する。唯一、「詩」の「朗読」の持つ「風」の精気が、「ヤマ」を二重に蘇生させる。
 とすれば、「斎場」というイメージ空間が立ち上がりかけているところに、<聖>という記号を注入するだけで、ボロボロと化した廃土は、廃土ゆえに聖地として今に甦るはずだ。

 詩人はあの夜、巫女のような清らかな身体をもって廃土の上に築かれた祭壇をのぼり詰め、頂きに飾られた聖杯に、にえとしての「詩」を人知れず捧げたのである。


マテリアルな「川」■翌朝−−すべてを託したと思われる渡辺美紀ただ一人に見送られて、私たちの乗った軽乗用車は会場を背にした。

 急な坂道の途中でふと見ると、山荘は山の腹に、岩場のような段状の白いコンクリの塊としてしがみついていた。
 夜の闇に、それまで隠し続けてきた無機質的なイメージの全体像を横目に確かめながら、なおも坂道を下ると、川に沿って大杉の疎立する横を抜け、すぐの橋を渡ると東西を走る幹道に出た。

 幹道と平行して、星野川が流れている。
 といっても、それは「川」というよりは、得体の知れぬ「深い・物体」と呼ぶべきだったかも。
 確かに、橋を渡るとき、「川」を見おろした。清流の透明さは、谷の深さを翳として隠し、覆われた影を陰として黒々と映し出していたはずで、ところどころに、淀んだ水の水面は杉木立の間にのぞく空の青さを、あるいは、浅瀬の乱反射する群光を放っていたかもしれない。
 とするとき、どの面をもって「川」と呼ぶべきであったろうか。

 「黒い反射」物体?
 映し出された「空の青」?
 「光が乱反射するだけの(不気味な)」物体?
 ・・・・・。

 と、書いてみて、記憶は「川」の印象とは異なった、ありふれた人工的な映像を繰り出そうとしていた。
 大杉の疎立し、橋のあるそこは、緑色の光に包まれていた。
 橋を渡るとき、川に沿って延びる視野の広がりは、ほっと一息をつかせたはずだ。
 そして、見下ろしたときの川は石垣で護られ、円い石が川原を埋め尽くし、透き通った細い流れが中心部を小さく蛇行していた・・・・。
 もっとも朝の光は深い谷間には届かず、空の青を烈しく照らし出していたはずだ。
 明るい空の照り返しで、一帯は日陰に沈みこむのではなく、ただ曖昧に緑色に明るんでいたのだ。

 もし朝の光が差し込んでいたなら、光の弾けるそこにはもっと牧歌的な風景が浮かび上がっていたはずだ。
 朝霧の立ち上がる中に、斜光が差し込み、白い闇の向こうには、水車小屋のシルエットが浮かび上がっている。石垣の石は生まれたばかりの白い輝きを取り戻し、川原の上にも川の底にも木漏れ日が躍り、日向の川石はくっきりとした緑色の影を石の上に落とし、小さな蛇行は絹のような透明な流れを岩の上に走らせ、落ちては小さな泡を立て、くぼんだあたりからは細かい波を不断に湧き上がらせ、水と光の交わる音楽を奏でていたはずだ。

 と、車は橋を渡ると、左に折れ、林の道を下りつづけた。
 しばらくして、前方に、子供が好んで絵に描くような杉山と禿山とが代わる代わる樹幹に見え出した。
 それから程なくして、視界が開けた。
 ということは、それまでの間、視野を遮っていた杉林が道と川の平行関係を闇に溶かし込んでいたことになろうか。

 目の味わう解放感は、同時に、意識の片隅に巣食う固定観念「深い・物体」からの解放をも意味していた。
 が、それは束の間の出来事でしかなかった。直後に、ルーム・ミラーが一台の車の影を捕えたからだ。
 フロントガラスの、あるいは、ボンネットの端に山間から顔をのぞかせた朝日の涼しい反射光を従えながら、緑に覆われた山をバックにして車は川岸の道路を疾走していた。

 たちどころに追いつかれると、左のウインカーを点滅させて、路端に彼女を寄せた。
 ミニの制限時速を守った安全な走りに対し、後ろの車は先を急いでいた。
 この関係は、じきに危険なまでに間合いを詰めてくる恐れがあった。
 角ばった白い新車。高度成長期が産み落とした嫌味な八十年型車は、横を通り過ぎざま、押さえ気味のクラクションをひとつ鳴らすと、猛スピードで走り去った。

 路肩に寄せようとして、車の速度を緩めたとき、高橋は怪訝そうな表情を顔に作って見せた。
「後ろの車が急いてるみたいなので、先に通させます」とだけいった。
 すると、後ろの座席にいる智子が「いつもは、ぶっ飛ばすんですよ」と、茶々を入れてきた。  柄にないことをやる、とでも思ったのだろう。
「いいえ、そんなことはありません。自分はいつも安全運転を心掛けてるんですが、何分にもおんぼろ車なもんですから、重ね板ばねが利かなくなっているんですね。それで少しでもスピードを出すと、すごい振動が伝わってきて、速度感が実感できる仕組みなんですよ」と、一種コワ〜イ説明をやった。
 これににたいして、高橋は変わった奴だと心中では思っていたかもしれない。
 としても、大事なゲストを預かった関係上、予見できる危険性に対しては、ナーバスにならざるをえなかった。
 たとえ石橋を杖でたたいて渡るようだと笑われても、安全運転を貫くつもりでいた。

 日常の中に突如として襲い掛かる「非日常的意識の(と思われる)出来事」に対して、どんな表現が有効であったろうか。

(パワーを漲らせて・・・・)爆走する
マテリアルな(これから人を・・・・殺しに行くような)車だったから
(人命を・・・・救うために)先に通した。

 とでも言えば、詩人は歓迎してくれたかも。
 しかし、ゲストこそ怪しい輝きを放つマテリアルな存在であったとすれば・・・。


地図には載っていない「別天地」■星野村から唐津までは、約一〇〇キロの道のりである。
 のんびりと平均時速四〇キロで走っても、正午前の三時間以内で到着できる。ホテルでの朗読会は、夕方の五時からの予定だったので、まるで急ぐ必要はなかった。

 高橋の同意を得た上で、選んだドライブ・コースは、八女を通り抜けた後大川から北上して、車の渋滞する佐賀市内を避けて、郊外から西北に向かう迂回路である。

 話題が車に及んだついでに、ゲストに免許証の取得の有無についてたずねてみた。
 答えは、ノーであった。当然のこととして、なぜかと気にかかる。
 どうして取ろうとしないのですか、と聞く代わりに、ある疑問を一足跳びにぶっつけてみた。
「車を持つと、加害者になるからですか?」
 すると、高橋はびっくりしたように、自分の顔を見つめ、すぐに視線を前方にそらすと、ひどく自信ありげに呟いた。
「ぼくほど攻撃的で、乱暴な人間はいない・・・・」

 ゲストが視線をそらしたのは、「攻撃」の意味するホコ先をかわすためである。
 そらさずにいると、「ターゲット」は自分と受け取れ、文字通り、「嚇し」を意味することになる。

 ところで、氏の言葉をどこまで真に受けるべきであろうか。
 それとも、文脈から切り離された唐突の問いに、人は本当の姿をさらけ出してしまうと解すべきであろうか。

 八女市を通り過ぎ、佐賀市も通り抜け、郊外の山間部に入ってすぐのところで、道を間違えたらしく、気づいたときには、田舎道を走っていた。
 案内標識に従って、左折のために橋を渡った。コースから逸れたのは、その後にあるY字路であったろうか。通るとき、国道にしては、ちょっと暗いなという感じにおそわれたが、そのままミニを走らせて、結局、迷路に入り込んだ格好になった。
 通過するとき、「眼光」の詩人は、どこへ行こうというのか、とでもいうような一種絶望的な・疑いの目を向けていた。
 辺りに土地勘があるとは思えなかったが、それにしても鋭いものである。

「−−戻りましょうか?」
 と、ゲストにコマンドを仰いだ。

 台地の上に迷い込んだみたいだったが、何かしら地図には載っていない別天地という感じがしないでもなかった。
 サトイモやレタスを植えた野菜畑が見渡す限り続いてもいた。
 高く盛った畠土には、二つの特徴があった。粘土のように光沢を帯び、黄みよりは赤みを呈し、ずっと血の色に近かった(血まみれの心臓を内部に宿すようだった・・・・)。
 赤土のことはまるで知らないが、「光沢」は、昨夜の放射冷却と無風状態にストレートに関係する。空気の冷え込みとともに、発生した細かい水の粒子が風に飛ばされずに、葉に取り付き玉露となって滴り落ち、盛り土を濡らしたことを意味する。
 夜に発生した霧は、朝になっても退かず、ここに紛れ込む数時間ほど前まで、一帯を覆っていたはずだ。

 霧の晴れたーー朝のやわらかい光に照らされただけの、真っ青な空と時間の停止したような、のどかな田園風景が限りなく続いていた(ひとりの農夫が畑に鍬を入れる・・・・)。
 このままミニを走らせることができたら気分は最高だなと、心の中は躍っていた(土の中で眠っていたぼくの・・・・)。時間だって、楽々昼の前には到着できるのだから(心臓は破られ・・・・)。

 ゲストは、ゴーサインを出した(銀行の前では、ひとりの若い黒人が拳銃を持った数人の警察官によって包囲されていた・・・・)。このまま北上して国道に出ればいい(動くな、という警官の命令に逆らって無意味な動作をしたために、銀行強盗の犯人は銃で・・・・)。
posted by 9組の秋六 at 09:28| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

心的外傷とは何か?■本体性の問題□児童虐待を読み解くキーワードE

7 心的外傷とは何か?

「心的外傷」について語る場合、次のように「恐怖」の文脈を充てるのが専門家の間では常識となっている。

>心的外傷(しんてきがいしょう)とは、外的内的要因による衝撃的な肉体的、精神的ショックを受けた事で、長い間心の傷となってしまうことを指す。外傷体験(traumatic experience)ともいう。これが精神に異常な状態を引き起こすと心的外傷後ストレス障害となる。心的外傷は脳神経系への非可逆的ダメージであるので、強姦など心的外傷を伴う犯罪は、一般の傷害罪よりも重罪であるという考えが特に海外では増えてきている。(Wikipedia)

>概念
典型的な心的外傷の原因は、幼児虐待や児童虐待を含む虐待、乱暴者による強姦、心無い戦争、理不尽な犯罪や事故を含む悲惨な出来事、実の親によるDV、大規模な自然災害などである。

>重度の心的外傷(トラウマ)によりPTSDなどの精神疾患が生じた場合は、精神療法(心理療法)や薬物療法などの治療が有効である。(同上)

註)「心的外傷」なる用語解説に目を通すと、いつも釈然としない不満感に襲われる。というは、同じような衝撃やショックを受けても皆が皆、トラウマを持つわけではないからだ。人によってこういう差が生じるのはなぜか、という問題を閑却したまま、語られている状況が依然としてあるからだろう。


 これに対し、私は愛情不足など「願望の挫折」がトラウマに起因するのだから、挫折した対象(母親等)への報復感情を生むと書いてきた。
 これに関しては、浦島太郎じゃないけれど・・・、とか呑気なことを書くつもりはない。この点は、「昭和50年代に心の問題を抱えていて、その解決のために読みふけった「現代のエスプリ」の思想的な影響にあったということだ。

《子どもの自殺■・・・「子どもは耐え難い環境に反応を起こし、その極端な逃避手段の1つとして自殺に走ることがある。このような耐え難い環境の大部分は、愛する人を失うことから生じており、あるいは少なくともそのような仮定の上に基礎づけられている。愛する人(多くは両親)の喪失は攻撃性を引き起こし、その攻撃傾向は、まず愛情を否定する人たちに向けられる。罪悪感の影響を受けるとこの攻撃性は、自己に向かうようになる」という仮説が成立するように思える。・・・
(大原健士郎・田辺規充「自殺の疫学」−現代のエスプリNo。151=S55年2月号)

 上の引用は、「現代の自殺」という衝撃的な特集号からの抜粋だが、見られるように「願望挫折」への直接的な論及はない。この点は、「フラストレーション」の特集号からの影響が強いと思っているが、この号がなぜか書庫から見つからずにいる。
 いずれにしろ、「願望挫折」説は、大原健士郎の仮説に関係していると思っている。


 いきなりで申し訳ないが、結論を先に言えば、この二つの説を統合する必要があるということ。
 別の言い方をすると、トラウマを持つのは、通常考えられている人格ではなくて、「本体」なる人格ではないかと考えている。
 たとえば、登校拒否児童の場合、彼本体にとって学校は住みにくい場所であるために、本体のいやし空間である家庭に引きこもる、という仮説が成立するように思える。

はじめに■意識され命名されていないものとは存在していないものである。存在していないものは、当然のことながら見えないから、検討の対象になることもない。児童虐待とは長い間、そうしたものだった。親と呼ばれる養育者・監護者から子どもに向けられる身体的心理的暴力や養育放棄に「児童虐待とネグレクト(child abuse & neglect)」という呼称が付されたのは、20世紀も後半に入ってからのことである。8)
>多くの子どもたちが不適切な養育を受け、その結果死ぬこともあるという当たり前のことが明瞭に語られるようになってみると、生き残って成人に達したものたち(adult survivors)にも、児童虐待・ネグレクトの影響が残っていることに関心が向けられるようになった。4)8)

>「児童虐待とネグレクト」は主に小児科医たちの手で発見され、「アダルト・サヴァイヴァー」たちは主として精神科医たち10)が関心を寄せた。そして強姦という外傷体験に関心を寄せたフェミニストたちによって成人の性暴力の対象にされた女児(現在では男女児)の児童期性的虐待が明るみに出されるようになった。4)

>この時期は偶然、ヴェトナム戦役がアメリカの敗北で終わり、帰還兵の中から自分たちの特異な精神障害(かつて「砲弾ショック」と呼ばれたもの)について国防総省が責任を持つべきだという声が上がった時期に一致していた。5)

>ヴェトナム戦役の復員軍人に見られた戦闘ストレス後遺症の研究から始まった急性ストレス障害(ASD)と外傷後ストレス障害(PTSD)の研究は、やがて二つの方向へと分岐した。災害、事故、暴行・傷害などの単一外傷体験(single/simple trauma)の研究とは別に、家族という密室内で、幼少時から長期にわたり、様々な形で周囲の大人たちから受ける外傷的体験の影響が検討されるようになり、後者の専門家たちは、複雑性トラウマ(complex trauma: Herman5))ないし複合型トラウマ(combined-type trauma:van der Kolk)という名称を提示するようになった。(「斎藤学のメッセージhttp://www.iff.co.jp/ssworld/mssg/mssg_10_2.html


 引用がついつい長きに渡ってしまったが、この用語を取り巻く状況が見やすいために行った。彼兵隊にとって戦地は(死の恐怖にさらされるなど)住みにくいために、彼本体は癒し空間を求めていたとすれば、そこには必然的に《願望》が介在してくる。
 一方で、その状況が長々と続くと・・・、トラウマについて語る場合、その点が大事だと思っている。つまり、いつ終わるかもしれない「恐怖の継続」や日常的に繰り返される「恐怖の再現」である。


 ところで、トラウマに関わる「恐怖」説と「願望」説を統合して仮定される「本体」とは、一体なんなのであろうか?
posted by 9組の秋六 at 09:13| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月09日

逸脱論Y■A志賀直哉の「至福体験」とは?

kumo069254n.jpg志賀の願望と挫折■志賀は二十代のころ、ある願望に飢えていたと推定。
 それは実の母親から注がれるさんさんとした愛で、後添いの母親(浩)では、願望は満たしえなかったのではないか。
 作中に見える子連れの二十六,七の女性は、定めし、代理ママと言える。
 彼女の愛こそほしかったとしても、「願望」という以上は、人格の未熟さを前提にする必要がある。「受動体」ともいうべき受身の。
 しかし、作中のどこにも見出せずにいる。とすれば、「願望」は意識の深いところにしまいこんだものか。

 自分でも奇妙な言い方だと思うが、目の前の授乳シーンを眺めながら「幸福」を味わっているが、その意識を抑圧しているーーこれがたどり着いた結論である。
 抑圧した代わり、「願望」は主体的な表現となって、表面に躍り出たのだ。

《宇都宮の友に、「日光の帰途にはぜひお邪魔する」といってやったら、「誘ってくれ、僕も行くから」という返事を受け取った。

 上は、前にも引用した冒頭の文だが、「宇都宮」からは<うつろな子宮>のイメージが立ち上がってくる。同じように、「日光」が<東方=再生>ならば、「帰途」からは<回帰の途上>といったイメージが立ち上がっている。
 「胎内」とは、無論、水子の棲家である。彼水子は、浦島太郎のように、異類「亀」の甲羅に乗って波に揺られながら、竜宮城に赴こうとしているのだ。
 いうまでもなく、汽車とは遠心的な運動を繰り返す「ゆりかご」に相当する。
 これら「回帰」のイメージは、作者の精神(=内部)を照らし出す照明装置と考えている。
 願望は、一方で、恐怖心の存在を暗示する。

《それは八月もひどく暑い時分のことで、自分は特に午後四時二〇分の汽車を選んで、とにかくその友の所まで行くことにした。汽車は青森行きである。自分が上野へ着いたときには、もう大勢の人が改札口へ集まっていた。自分もすぐその仲間へ入って立った。

 引用から不安が立ち上がるとすれば、その意識は「人間」に向けられたものではない。なぜなら、「大勢の人」の中に「仲間」入りしているからだ。
 作者の意識は群衆と同化し、一匹の「蟻」に変身している。身長が縮むのと引き換えに、「改札口」の持つ意味が巨大化している。
 従って、引用に潜む不安感は、「改札口」の持つ巨大な<洞>のイメージに負うといえる。

 もうひとつの読み方として、数字に着目したい。
 「八月」に引っ掛けると、「四時二〇分」は、<死に出る>と読める。巻末の年譜には、「八月三〇日、母銀、悪阻のため三二歳で死去」とある。汽車の「青森行き」も<青山>のイメージ(「お墓」の)をもつから、二つを重ねると、汽車の旅は亡き母を後追いするような<死出の旅>を意味することになる。

 ところで、「身長が縮む」ことを心理学では「人格の退行」という。
 この退行現象が志賀に中で引き起こされており、「乳児」もしくは「水子」にまで人格が還っていると仮定すれば、連れ子の幼児は「自分」よりも大きな存在者に映る。
 そんな幼児が「厭な眼」でいわゆるライバル視されると、彼よりも幼い「自分」には脅威に映る。と同時に、旅そのものが中断を余儀なくされる。
 だから、そのとき「いやな気持ち」に襲われたとすれば、それは「願望」の「挫折の予感」によってもたらされた不安な感情といえなくもない。

 願望はひとつの危機を乗り越えると、安心したのだろうか、そのまま夢見るようないい気持ちで、ある黄昏の時間の中を歩いていると、乳呑児に母乳を与える母親の姿を見て、「いいなぁ」と心の深いところで思っている。
 こうして願望は一時的に満たされはしたが、「開いた胸を隠」すという母親の拒否的な仕草に出会って、逆に、攻撃的な気分がみなぎった。
 報復は、そばにいる幼児を自在に操ることで遂げた。それでも傷口は癒されないので、次に、乳児を手下にして使った・・・・。
  
 願望と恐怖は、実をいうと、神に向けられる根源的な両価感情である。と同時に、生への願望は死の恐怖と隣り合っている。
 この生と死の狭間に、われわれはある。
 だから、生死を越えたはるか彼方に、神の存在を信じた。
 換言すると、東と西に。といっても、両面的な顔を東西に振り分けたわけではない。東の神は西の神の機能を隠し持ち、西の神も東の神の機能を隠し持つと信じた。
 やがて、この信仰は廃れた。代わりに、より身近な場所に信仰の場所を求めた。
 山が怖ければ、山に。そして、再生の機能を信じた。
 一方の死の機能を持つ神は、ひとにも宿るという信仰が広まった。
 こうして誕生した神は、東の機能を持つ神としてその務めを果たさなければならなかった。
 それができない神はすぐに滅んだ。
 この信仰は多くの神々を全国各地に誕生させた。そして、戦いを繰り返した。
 こうして神たらざるひとの側に嫌悪の感情を呼び込んだ。というのは、それは偏在するものだからだ。

 それは偏在する。

 なぜなら、それこそ地に足を着けて生きている、生の証に他ならないからだ。
 悪阻が一個の生の誕生の証ならば、それこそが地に足の着いた生の証となるはずだ。


志賀の「漱石」拒否症?■作品では、「いやな気持ち」の生まれる仕組みとして、母親のためだけではなく、幼児のためを思って差し出した善意があだになりかけたゆえと読み取れるが、この点ばかりは「強い願望」と「受動体」という二点を抜きにしては「不快感」について語ることができないのではないか。

 「いやな気持ち」が昂ずれば、ついには神経症的な「拒否症」を呈する。
 志賀の心の病気を診断して、父親拒否症と呼ぶこともできるが、文学史の上で行えば、個人主義への拒否症と診断できる。
 「個人主義」とは、いうまでもなく、漱石の作柄を指している。

 このように述べてきて、ほかの初期作品についてはどうか、という興味ないしは疑義が生じると思われるので、冒頭に立ち上がるイメージに的を絞る。

《ある夕方、日本橋の方から永代を渡ってきた電車が橋を渡るとすぐの処で、湯の帰りらしい二十一二の母親に連れられた五つばかりの女の子を轢き殺した。(『正義派』)

 上の場合は、「湯の帰り」がキーワードであろう。そこから<産湯>のイメージが主体表現として立ち上がっている。
 とすれば、<怒り>はイメージ・テーマとして作品の首尾を覆っている。
  この点の説明には、怒りの抑圧が前提である。そして、イメージは<怒れる神>として作者と一体化していると考えなければならない。

《范という若い支那人の奇術師が演芸中に出刃包丁ほどのナイフでその妻の頚動脈を切断したという不意な出来事が起こった。若い妻はその場で死んでしまつた。范はすぐに捕らえられた。(『范の犯罪』)

 上の場合、「支那人」や「奇術師」や「ナイフ」や「頚動脈」という言葉に主体的なイメージの立ち上がりを感じるが、念のため、ほかの作品を参考にしたところ、順に「良心の痛み」「傷の癒し」「ペニス」「動物の殺害方法」といった意味の持つことをつかんだ。
 その中でキーワードは「奇術師」と「ナイフ」に相違ないから、<癒し+良心>がテーマとして作品の首尾を覆っていると考える。

 この作品に関しては、抑圧では説明できない作家の側に起きた変質を想定せざるを得ない。
 自分の見るところ、この作品を機に、志賀は男性作家としてのゆるぎない良心的立場を確立させたと考えている。もっとも、「ペニス=男根的な良心」としたのは、独自の判断による。

 『好人物の夫婦』の場合、引用は省くが、針仕事がヒントである。
 「針」は(懐胎した女中の)水子を殺害しかねない・妻の良心の象徴である。女性にとっては、「鏡」が良心的な機能を果たしている。そして、鏡は「胎内」をも象徴している。
 したがって、「針仕事」とは、自他の胎内に向けられた<攻撃>的な武器の行使の可能性を漂わせている。


註)「良心」というと、字面から「正しい心」をイメージするかもしれないが、善と悪を束ねた超越的な超j自我をいう。フロイトは、超自我の働きを無意識としている。
 これに対して、「願望」は潜在意識的な働きである。
 無意識という場合、この両者は混同されやすいが、やはり、区別するべきである。


別読とイメージの属性■こういう別の読み方(略して「別読」)を試みてたどり着いたのが、次のような三つのイメージの属性である。

  T 作品の冒頭に立ち上がるイメージは、神聖である。
  U 神聖なイメージは、作者の行動を支配する。
  V 神聖なイメージは、イメージ・テーマを持つが、筋とは交わらない。

 三つは順に、「イメージの神聖さ」「イメージの作品支配」「イメージ・テーマと筋の平行関係」と訳せる。いずれも「無意識的」という共通点はもつ。
 ただ一口に「行動支配」といっても種々相がある。
 たとえば、『網走まで』(二十五歳作)と『母の死と新しい母』(二十九歳作)では志賀の良心はイメージに呑まれた風であるが、『正義派』(二十九歳作)の作品では良心はイメージと一体化している違いが挙げられる。それも『赤西蠣太』(三十四歳作)ではイメージから独立した作家本来の姿を見ることができる。
 このことから駆け出しの頃の作家の良心とは、イメージに依存するが、次第に自立していくいわば「成長」の跡をみることができる。 

 後回しになったが、『網走まで』の冒頭にある「返事を受け取った」という表現について。これはエンディングに関係する点でモチーフを構成する。

《自分はちょっと迷ったが、函へよると、名宛を上にして、一枚ずつそれを投げ入れた。・・・・・

 トンと書き足すを忘れていたが、この作品の有する「ドラマの発生装置」は手が込んでいる。 なぜなら、モチーフが「受信」なのに対し、エンディングが「発信」を意味するのだから、出口があるようでない・一風変わった小説といえよう。
posted by 9組の秋六 at 10:59| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

逸脱論Y■志賀直哉の「至福体験」とは?

siga_naoya701110.jpg「至福」と「いやな気持ち」■志賀文学への切込みに一役買った「至福体験」であるが、これを主題とする研究テーマが我ながらユニークということに気づいた。
 一方、他の研究家たちは志賀作品から多々見かける「いやな気分」を主題とすることがあっても、「至福」を研究テーマとして取り上げることはなかった。
 この理由として考えられることは、「至福」が目に見える形で、顕われていないからだ。
 しかし、よくよく考えてみると、この両者は対極に位置することに気づかされる。「幸福」と「不幸」というように、単純に置き換えができるからだ。
 強いて、共通する点といえば、無意識の領域に属する点であろうか。

 自分の研究には、青い鳥を探しに旅に出たところ、どこにもいなくて、実は、心の中にあった、という定番のハッピー・エンドが用意されるのに対し、不幸の鳥を捕獲しに山に入った狩人たちは、たくさんの「幸」を持ち帰って恵まれた生活を送るが、その実、不幸な結末を招いてしまったことを後で悔やむことになる。
 と書くと、毒入り饅頭のようなたとえ話と受け取られるし、そうとは知らなかった式の介入の問題が新たに浮上する可能性がある。

 たとえば、新田潤という志賀文学の誠実な研究者がいる。
 氏は子供好きの観点から直哉像に迫っているのだが、作品の中には二人の子供が登場するのに、一人しか取り上げない明らかなへまをやっている。
 しかし、氏の両義性を大切にしての独特のアプローチは、暗いなりに輪郭を持った直哉像が提示してあり、迷路にでも誘うような粘着質風の鈍い光沢を放つ思念の通った文体に、ずばり魅せられた。

 早い話が、いわゆる二人一体の書き出しをやったところ、後になって自分のいい気さだけが浮上してきて考え込んだ。
 これも一種の戦後処理上の問題だから、「瑣末」といって閑却できないことを肝に銘じたいと思っている。
 ところで、「いやな気分」をモチーフに置いたときの展開先として、次のような四つの候補が挙げられると思う。

  A サルトル風の存在のアイデンテティから生じるもの=鏡のテーマ?
  B フロイト風の願望の挫折から生じるもの=無意識のテーマ?
  C 攻撃性の表出後の全敗的な気分によって生じるもの=戦後処理のテーマ?
  D 不潔感から生じるもの(Aに準じる?)。

 ここでは、Bのアンチ・テーマを縦糸とし、Aのサブ・テーマを横糸として縞柄を出すつもり。
 そこにCのテーマを配すと縞柄はもっと多彩になるのではないかと。
 Dについては、まるで念頭にはない。

志賀は戦後派的な「全敗」の気分に見舞われたか?■志賀は明治時代に生を享け、大正時代に作家としての全盛期を迎え、太平洋戦争の突入するまでにライフ・ワークの『暗夜行路』を書き終えている。
 戦後派の作家たちを悩ましたと思われる「全敗的な気分」が、明らかに戦前派の作家である志賀を襲ったかどうか。
 あるいは、鈍感であったかどうかに的を絞り込んでみたいと思っている。

《・・・・・氏が子供を書くことが好きだったからといって、必ずしも直ちに子供好きとは決められないようだ。といってまた子供嫌いとも断じられない。が、とにかく子供に対する大きな関心、子供を見さえすれば、立ち止まって眺めずにはおられない心、これは好き嫌いの気持ちを越えて、常に氏の深いところに生きていることが見出される。畢竟するに氏は大の子供好きといっていいようだ。「いやな気持ちがした」子供に向けた眼差しにも、冷ややかな光はなく、奥にはそのいやな気持ちを裏切ったものが静かに輝いてもいる。ただそこにあるのは、一種の距離、取っつきにくさである。(『志賀直哉研究』所収ー新田潤「志賀文学の初期」−日本図書センター)

 両義性を大切にする新田の見方は、志賀の「幼児」に対するこだわりに着目しているわけだが、一方で、もう一人の乳児への論及が見当たらない。
 これは、志賀の「乳児」への眼差しが透明ゆえに見落としたものといえようか。
 たとえば、『網走まで』では、乳児は次のように描かれている。

《「さ、滝さん、こちらへおいでなさい。どうもありがとうございました」
女の人はそういってお辞儀をした。動いたので今までよく眠っていた赤子が目を覚まして泣き出した。母は、「よしよし」と膝の上でゆすりながら、「チチカ、チチカ」とあやすようにいうが、赤児は踏反りかえってますます泣く。「おお、よしよし」と同じようなことをして、今度は、「うま、上げよう」と片手で信玄袋から「園の露」を一つ出してやる。それでも赤児は泣きやまぬ。脇からは、「母さん、あたいには」とさも不平らしい顔をしていう。「自分で出して、あがんなさい」といって母は胸を開けて乳首を含ませ、帯の間から薄汚れた絹のハンケチを出して自分の咽の所へ挟んでたらし、開いた胸を隠した。(『網走まで』旺文社文庫)

 見られるように、透明さの点は、志賀の眼差しが無遠慮といっていいほど目の前で繰り広げられている授乳シーンに釘付けになっていることで読み取れよう。
 瑣末な事柄も何か重大な意味を持つかのように、一つ一つが大事に描かれている。作家としての批評精神が働いているとすれば、傍らにいる子供への「不平らしい顔」という言葉に現われていようか。
 一方の「泣きやまぬ」赤児は、母親から乳首を口にもらいうけながら、どういう様子なのかが不明である。多分、満ち足りた表情を浮かべているはずだ。
 その種の表現がない以上、そのときの志賀の気持ちは推測するしかないが、赤子以上に幸福でいっぱいの心境にあったのではないか。
 「幸福」ということ、言い換えると、渇した「願望」の意識が満たされること。
 しかし、「開いた胸を隠」そうとする母親の仕草は、「受容」とは正反対の「拒否」と、彼の目には映るはずだ。
 「拒否」によって受けた心の打撃は、どうやって癒すのだろうか。

《男の子は信玄袋の中へ手を入れて探っていたが、
「ううん、これじゃないの」と首を振る。
「それでないって、どんなの?」
「玉の」
「玉のはない。あれは持って来なかった」
『いやだア! 玉のでなくちゃ、いや」と鼻声を出す。

 上は、甘えたがっている幼児がきかん坊ぶりを発揮して、母親を困らせている。
 が、表現の下に底流する大きな感情のうねりがあって、うねりが解放に向かっていると仮定すると、「拒否」は攻撃的な感情を呼び覚まして、母親に向かっていると読めなくもない。
 とすると、幼児は分身として、彼自身の受けた心のショックを和らげるクッションの役目を果たしたことになる。
 「分身」は、一方では、「不快」な存在として描かれている。

《男の子はいやな目で自分を見た。顔色の悪い、頭の鉢の開いた、妙な子だと思った。自分はいやな気持ちがした。子供は耳と鼻に綿を詰めていた。

 見られるように、上は新田をはじめとして研究家たちが志賀のこだわりや不快をテーマにして取り上げる箇所であるが、確かに、この種の表現が多い。

《Aは変に淋しい気がした。自分は先の日小僧の気の毒な様子を見て、心から同情した。そして、できることなら、こうもしてやりたいとかんがえていたことを今日は偶然の機会から遂行できたのである。小僧も満足し、自分も満足していいはずだ。人を喜ばすことは悪いことではない。自分は当然、ある喜びを感じていいわけだ。ところがどうだろう。この変に淋しい、いやな気持ちは。何故だろう。ちょうどそれは人知れず悪いことをした後の気持ちに似通っている。(『小僧の神様』角川文庫)

《「そうです。赤児の死だけでは償いきれぬ感情が残りました。離れて考えるときには割りに寛大でいられるのです。ところが、妻が眼の前に出てくる。何かする。そのからだを見ていると、急に抑えきれない不快を感じるのです』(『范の犯罪』)

 一口に「不快」といっても多彩である。
 『小僧の神様』の場合、たとえそれが「罪」に値するものだとしても、一仕事を終えた「明るい」不快である。
 『范の犯罪』では、「絶望」的な不快感の吐露といえようか。
 『網走まで』の場合は、母親が連れ子の持病を心配して、西日の差す方の席にいるとおつむが痛くなるから向かいの席が空くまで通路で立っていなさいと言いつけたところ、聞かない様子なので、向かいの席にいる「自分」が気を利かせて、隣の席へ誘ったところ、案に相違して、子供の向ける「いやな目」と遭遇している。
 このとき、子供らしい反抗的な眼つきと愛らしく受けとめることもできるが、「いやな目」は心中を見透かすように、脅かすものとして描かれている。
 後に、「いやな気持ち」の原因を「女の夫」に求め、次のように陳べている。

《自分は妙な連想から児の女の人の夫の顔や様子をすぐ想い浮かべることができた。自分がもといた学校に、級はそれほど違わなかったが年はたしかに五つ六つ上で、曲木という公卿華族があった。自分はその男を憶い出した。彼は大酒家であった。大酒をしてはいつも、大きなことをいっていた。鷲鼻の青い顔をした、大柄な男で、勉強は少しもしなかった。二三度続けて落第して、とうとう自分で退学してしまったが、日露戦争後、上州製麻株式会社とかいうのの社長として、何かの新聞でその名を見たぎり、今はどうしているかさらに消息を聞かない。
 自分はふとこの男を想い浮かべて、あんな男ではないかしらと思った。しかし彼は大言壮語するだけで別に気むずかしい男ではなかった。どこか快活で、ヒョウキンなところさえあった。もっとも、そんな性質はあてにならぬことが多い。いかに快活な男でもたびたびの失敗に会えば気むずかしくもなる。陰気にもなる。きたない家の中で弱い妻へ当たり散らして、いくらか憂いをはらすというような人間にもなる。
 この子の父はそんな人ではないだろうか。

 上は、「社長は、人生の落伍者である」という趣旨の一点を取り除けば、筋が通る。
 そういう奇妙な考えを心理学では「観念連合」と呼んでいたように記憶。いうまでもなく、二つの相異なる観念的イメージが脈絡もなく連合しているからだ。
 「社長」であることと「人生の落伍者」ということ。この相反する二つの命題は、志賀の反抗精神によって、次のように置き換えられたのではないか。

 A (父のように)会社社長にはなるべからず。
 B しかし、(父を越える)人生の成功者となるべし。

 ところで、父とのアイデンテティを失った息子のいつも辿る道は、母親へのべたべたした依存ではなかったか。
 その結果がたびたび悩まされる「いやな気持ち」の正体といえば、急ぎ足の結論となろう。

 「いやな気持ち」が志賀文学における表層の主題に他ならず、枝分かれしていることを指摘したい。
 一方の「願望」は深層の主題であるから、表層について説明できる利点があることはある。
 たとえば、彼の願望を満たしてやれば、彼の心には信仰心が芽生える(『小僧の神様』)。反対に、彼の願望が満たされないまま挫折すると、復讐の虜になる(『范の犯罪』)というように。『網走まで』の場合も願望が仮定できるが、その前にプライベートな面について触れながら説き起こしを試みる。

(つづく)
posted by 9組の秋六 at 08:37| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

児童虐待を読み解くキーワードD■窃盗とは?□付録・他のキーワードの検索結果

窃盗癖 心的外傷 信仰 ダブル・スタンダード
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yahoo 611 36500 41000 863
Jword 41 1690 1790 106


調査日は、07年11月8日。キーワードは、「児童虐待 窃盗癖」というような組み合わせで、検索。


5 窃盗とは?

 窃盗は、それだけを見れば、罪に値する悪い行いであるが、その心理機制はというと、まるで分かっていないのが現状ではなかろうか。
 私見は、少年の果実の窃盗と幼児の母親の乳房をもむ行為は同じと捉える。
 この場合、物への欲望や性的な欲望があるから「窃盗」や「痴漢」行為を働くと考えがちだが、そうではない。
 幼児の場合は、それまで安住していた生活空間がある侵入者によって脅かされ、足が地につかなくなり、宙ぶらりんゆえの眩暈や不安に満たされた時、母親に抱っこしてもらい、不安を解消しょうとする。それでも不安の根源が目の前にあるなどして、解消されない時、知らず知らずの裡に、母親の胸へと手を伸ばし、乳房をもみ始めるのである。
 この場合の幼児の不安は、玄関を訪れた見知らぬ人の生理臭や腋臭等の異臭によって引き起こされると考えている。

 精神科医の土居健郎の「甘え」理論は、著書(題名は、失念)の序に目を通されると分かるのだが、「子供が甘えて困る」という外国人女性の母親の訴えを、見知らぬ土地へ引っ越してきたばかりであるにもかかわらず、幼児の不安を読まず、その体験を機にして「甘え」理論と発展させたが故に、致命的な欠陥を有すると考えている。
 あえていうならば、「窃盗」や「痴漢」的行為は、不安と甘えに満ちた奇妙なアマルガム溶液の中から抽出された化学的な純物質なのだ。いや、心理学的な、陸離たる純行為なのだ。
 
註)ずっと昔、「現代のエスプリ」という専門雑誌に、「告白」という本で有名な、ある聖職者の少年時代に「果実を盗んだ」という苦々しい体験を紹介した論文執筆者某は、この場合の盗みは「男性性の確立であろう」と、結んでいた。
 そこには当然のこととして、不安と甘えが背景にあると考えられるが、「盗み」という面を取り除けば、それは「受動体越え」というべき、陸離たる男性的な行為と評価できるのではないか。
 一方で、「窃盗」は、報復感情を満たすための「放生」という極私的な見方も採用している。
 この場合、「報復」が仮定できるのであれば、「願望」の挫折(トラウマ)が前提されなければならず、「願望」が仮定できるのであれば、アンビヴァレンツの片割れの感情「恐怖心」を読む必要が出てくる。
 このふたつ、言い換えると、甘えと不安が一個の受動体の中で煮詰まった時、陸離たる行為として外へ弾け出したものがほかならぬ「窃盗」ではないか、というのが持論である。



「窃盗」について、そのように考えているわけだが、精神科医の斎藤学−−氏は児童虐待を読み解く際のキーパーソンの一人と見ており、唯一といっていいくらい個人的には尊敬している。それゆえに「先生」とつけたいとこだが、これは私的な敬意を読む者に対して押し付けかねず、あえて「氏」をも排す−−のプログ「斎藤学とのQ&A」において「クレプトマニアと罪悪感」と題した、一連の論考を拝読した。
 件例と共に具体的に書き進める(リスクを背負った?)やり方だから、読む方にとっては非常にわかりやすいし、時折、はさむ専門的なコメントは、ひときわ異彩を放っている。
 特に、2006年11月のブログでは、「子殺し」という罪を犯した女性の「窃盗癖(クレプトマニア)」をどのように両者を連絡させるのか、非常なる関心を持って読ませてもらった。
 次は、氏のブログからの引用である。

>彼の窃盗癖は痴漢行為というもうひとつの性的で反社会的な嗜癖的行為に付随するものだったが、そうした嗜癖行動が定着する以前に実母、養母双方への原初的な愛着の遷延と、それを裏切る非行(実母の下着盗み、養母の生んだ乳児への殺意)が既に存在していたことを指摘した。
 この時には、青年の「罪悪感」の質を取り上げることはしなかったが、窃盗癖に代表されるようなある種の反社会行為は、それ以前に存在する愛着対象との葛藤(およびそこから生じる罪悪感)の解決策として生じるのではないかと思うようになった。
 この考えが強化されたのは、ある殺人事件容疑者(女性)の精神鑑定を引き受けてからである。

>この女性容疑者は我が子殺しという反社会行為に走る以前から理不尽な罪悪感を抱き続けており、事件の5年も前に「罪悪感を放出した」としか思えないような連続窃盗事件を犯して逮捕されていた。

 こうして筆者は「人は根拠もなしに罪悪感を抱くことがあり、その大きさに見合った罪悪(非行、愚行)をやってのけることがある。あるのはまず「感」、ついで「行動」なのであってその逆ではない」と考えるようになった。

かつて生後13か月になった我が子を浴室で溺死させた母親の精神鑑定を引き受けたことがある([註2]斎藤,1998)。奇妙な事件であった。母親は警察が事故とみなしたにもかかわらず、自ら電話して犯意があったことを告げ、逮捕拘留されると明快な供述調書を残しながらも拘置中に死んだはずの我が子の生活を心配する手紙を夫宛に書いた。
 更に人格交替と思われる攻撃的な人格を呈して同房の容疑者たちを気味悪がらせ、法廷に立つと犯行前後のことを覚えていないと言いだした。


===
 弁護士らの要望を裁判官が容れて精神鑑定ということになり筆者が容疑者の心身の状態を鑑定することになったので、当時非常勤で勤務していた都立松沢病院に来院させたり原宿相談室で心理テストを行なったりしたが、筆者が最も力を入れたのは東京拘置所(小菅)の面接室(接見室ではない)での数回にわたる問診(それぞれ2時間近くをかけた)であった。

 この容疑者は鑑定書を提出後、筆者の証言のために開かれた東京地裁での公判中に失神を伴う失立失歩という古典的なヒステリー(解離性)症状を起した。宣誓して証言していた筆者自身が、その場で治療者として振る舞うように裁判官から要請されて暫時「治療的会話」を交わすという劇的事態があったりしたので、「解離性障害」による犯行で、服役よりも治療が望ましいという筆者の鑑定主文(表1)がそのまま認められ、拘置所から精神病院へ直送という結論になり、検察側も上告を断念した。

 鑑定の内容そのものは上記文献(個人が特定される怖れのある部分やミスプリを除き、ほぼ鑑定書のまま)を参照して頂くことにして、筆者がここで紹介したいのは彼女に見られた過剰で非合理な罪悪感である。彼女は自分が世の母たちのように育児に関心が注げず、子どもの存在を煩わしく思うということに罪悪感を感じていた。
 ・・・(続きは、氏のブログを読まれたし)
「斎藤学とのQ&A」:http://www.iff.co.jp/saito/archives/2006/11/


 読後感想は、割愛(臨時的措置?)。


追記■私自身の構想は、犯罪行動のヒトゲノム的解析であり、行動モデルは、次のように表せると思っている。

a  b   c  d  e  f  g        X
・−−・−−・−−・−−・−−・−−・・・・・・・・・・ (点は、逸脱。線は、回復)


 なお、この元となる考えは、ロシアン・フォーマリズムに負うている。
posted by 9組の秋六 at 07:17| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月08日

逸脱論X■森の見える「国語学原論」□鏡像

gk7417a.jpg時枝の言語過程説との巡り会い■高橋の提示した動詞の問題について他に解決の助けを求めて出会ったのが、時枝誠記の国語学論であった。

 なぜ時枝だったのか?

 それまでに研究テーマに沿って数限りないほどの文法学書や語学書などを読み漁りながら、ひとつだけテキスト『国語学原論(岩波書店)』として採用した理由について、今整理してみると、次のような三点が挙げられる。

  A 仮説そのものへの関心。
  B 個々の木よりも、森の全体像に魅かれた。
  C 逸脱した所に魅かれた。

 問題はそれ以上に、今それらの理由について説き明かすことにどんな意味があるかであり、弊論それ自体の持つ意義ではないかと思われる。
 明らかに内発的な、この厄介な問題に対して、時枝は国語学の自由化を控えて、国内の火急の問題とした上で自らの論述を正当化したことは歴然としている。
 もとよりこの種の仰々しい大義を弊論に望む事自体が無理な話で、自分自身の学生時代の経験に照らしても、方言への露骨な介入などを通して権威を保とうする国語学への嫌悪感は終生捨てきれずにいる。
 であるから、ここでの試みは、逸脱以外の何者でもなく、それゆえの逸脱論であり、ただの私論としての位置づけでしかないことを断っておく。
 「文法論」という俗称の採用も、その辺にある。
 さて、Aにある仮説への関心だが、時枝の提唱の「言語過程説」を指すことはいうまでもない。が、正体不明の怪説といった印象は、今でもぬぐいきれずにいる。
 もともとは、高橋の動詞説によって興味を持ったことで、関心は両説はひとつに重ねられるのではないかという一点に関心を集めたが、どうなるかはお楽しみ。「

 私見によると、「言語過程」観とは、言語の化ける仕組みを明らかにしょうとする宣長に始まる国学的立場の、伝統的な言語観である。ポイントは、「風が吹く」という文が時として「神風が吹く」と解釈できる点にあり、こういう<化ける>事例が万葉集において頻出することはいうまでもない。
 だから、万葉集などの古典に事例を求めて、「言語過程」説を立ち挙げなかったのかと、その点に恨みが残った。
 では、「風が吹く」という文がどうして「神風が吹く」と解釈できるのか。

 この点の詳述は次章に譲るが、高橋の動詞説にキーが隠されていた。
 例文の「吹く」は、風自らの行う動作でありながら、風の本来的な状態をさし表す動詞である。しかし、「過程」という働きを仮定するとき、例文からは<神が風に化けて>というひとつの意味が生まれてくる。
 高橋の説くようにーーといっても、説はそこまで踏み込んでいないのだが、言葉の化ける仕組みが動詞にあり、「過程」的な働きに負うとすれば、時枝の言語過程説は浮き上がってこよう。

 次に、Bの「森の全体像」だが、はじめに個々の木ありきといったヨーロッパ式の観察内容には、まるで関心のないことはすでに明らかだと思う。
 「国語学の森」といった、鬱蒼とした・くらいイメージが好みなのであり、特に、ゲームとしての迷路。したがって、迷い込んだ地点を起点として出口を求めることに、生のエネルギーの大半が費やされる。
 この成功によってもたらされる純粋なご褒美とは、アメリカ的な「戦勝気分」である。

他説への「介入」の問題■確かに、こういうゲーム設定は、だいいちおとなげのないことであり、口にすること自体が恥ずかしいし、品位や誠実さに欠けることも事実である。
 翻って、問題点の多い、一種おいしそうなブランドの論述に対して、どんなアプローチが可能であろうか。
 問題は、「大義」は捨てた。次に控えているのは、「介入」の問題である。
 もし必要な手続きの手間を省いて、介入をやれば目に余る言葉の暴力と受け取られる可能性がじゅうぶんに考えられる。
 言論の自由といったところで、建前に過ぎず、権威は一介の狼藉者の暴走行為とみなす限り、いささかも揺るがず依然としてそびえたったままである。
 もし、正式の手続きを踏み、「介入」の問題がクリアできたとしても、事態はまるで変容していない現実に遭遇することも考えられる。
 それはそれでいたし方のないことで、ただペン葬の件は、歴史的事実として残る。

 「介入」の問題は、従来のやり方を踏襲することで、解決の道が開けようか?

 つまり、自説を唱えた後、他説をなぎ倒すやり方(アニキのように)。これは、その実、問題の本質的な解決にはなっていない。
 なぜなら、「他説」とは一般的にはある場所に眠った状態で保管されてあり、「自説」に対しては反撃は無論、「介入」のないものであるからだ。
 ただ自説から他説への働きかけとしての「介入」が白昼堂々と、いわばペーパーの上で「日常化」しているだけで、棚上げの状態であることになんら変わりはない。
 ここでもし、自説の提唱を取りやめて、言い換えると、自衛のポーズを捨てて、「介入」を引き起こすとどうなるだろうか?

 ここにいたってはじめて、「アグレッシブ」の問題に突き当たる。才長けた者は、それを「真剣」と知らずに振り回したために、自らの一生を台無しにした例の、数限りのないことは言うまでもない。

 先へ進みたいから、「介入」の問題解決の現代的な方法を簡単に示しておく。
 それは「解体」と「再建」をセットにして提示するもので、論述の持つ欠点を「逸脱」として俎上に載せ、すぐその後においしい料理として食卓に並べてみせることである。
 具体的には、「逸脱」は複数箇所にのぼるから、逸脱を「点」と設定し、「点」と「点」を結びつければ、「線」としての論述が生き返ることになる。
 ここまでしてあげると、「アグレッシブ」は活剣として見直されるのではなかろうか。

 さて、Cの「逸脱」だが、当然のこととして、それをそれと判定する基準の問題に突き当たる。 自説や他説の利用を除いて、絶対的なものさしがこの世に存在するのだろうか。
 答えはすでに明らかである以上、自身の観察眼に頼るしかなく、そこに時代の制約や眼力の限界や私情の混入といった問題の余地が生じてくるが、所詮は、一介の人間のやることだから何がおきてもおかしくはなく、そう思ってご許容願うしかない。

 まずは、文体の検討から入る。
 時枝は文とは思想なりの考えを文体において著わしたもので、この点をクリアできれば、時枝の言語理論は理解に難いものではない。
 次は、序において、「いはば言語の本質が何であるかの謎に対する解答」と前置きした上で、時枝の提示した理論上の仮説である。

《・・・・・私は、言語の本質を主体的な表現過程の一の形式であるとする考に到達したのである。言語を表現過程の一形式であるとする言語本質観の理論を、ここに言語過程説と名付けるならば、言語過程説は、言語を以て音声と意味との結合とする構成主義的言語観或いは言語を主体と離れた言語実体観に対立するものであって、言語は、思想内容を音声或いは文字を媒介として表現しようとする主体的な活動それ自体であるとするのである。『国語学原論』(岩波書店)

 実をいうと、前に書いた引用部分に目を通してみたところ、上の棒線部分が気になって、原文と照合してみたところ、誤植でないことを確認した。
 自分の目を信じるしかないが、それを述語表現からの逸脱とおく。
 それを「帰点」とおくと、起点を引用の中にある「言語の本質を主体的な表現過程の一の形式」とする考えにおく。
 というのは、「主体」的である限り、「本質」的な問題解明へのアプーローチ法にはならないからである。それはローカルな言葉の説明には役立っても、それ以上のものではない。
 一方の「のである」は、文末の細部に拘泥した一種の抑えすぎで、言い換えると、「吾かく思う」と念を入れ込みすであろう。これを「細部的な粗雑さ」と称したい。
 粗雑な表現のおかげで「吾輩は大学者である」といった読み手に対して格上とする、尊大な主体的な表現方法が成立する。
 これを逆にして読み手に対して格下とする主体的な・粗雑さの混入した・表現方法とは、「なのです」調を指すことはいうまでもない。
 この両者をつなげてよみがえる線的な意味とは、敬語の「です」や「のである」といった主体的な表現方法は、わが国の伝統的な文章作法にかかわる、瑣末にして国語教育上の中心課題ということではなかろうか。

時枝の説と逸脱論の方法■ここで試みに、「起点」をそのままにして、「帰点」を奥付に求める。
 奥付にある第一刷発行の日付は、昭和十六年十二月十日。発行の日付に問題があるのではなく、同年同月八日の日本海軍の真珠湾奇襲攻撃と軌を一にする点にある。
 その日付の持つ意味が歴史的な逸脱と書くと、いささか矛盾した意義が含まれるが、大筋において良しとしたい。一方の粗雑な主体的な表現方法である「のである」は、尊大な意味が浮上することはすでに述べた。
 ここで、当時の時代を背景に置くと、時枝の国語学思想の「防波堤」となるべく気負った意識がみえてくる。
 といっても、両者を結び付けて生じる線的な意味はねじれているから、論述的な意味としては不適切である。というのは、もし逸脱が一部の将校のフライングのせいであるとするならば、時枝の「防波堤」とする意識はそれに反している。反対に、時枝の「防波堤」たらんとする意識が逸脱とするならば、将校のフライングは正当化できる。
 このように両者の関係がねじれている以上、線的な意味としては採用できない(両者間の逸脱的関係は、「特異点」とも言うべき中点の仮設によって線的論述は、劇的に回復するという考え方もできる)。

 今見たようなやり方が揚げ足取りに過ぎないことも十分承知している。であるから、理論そのものに触れてみることにしたい。
 次にある三角形は時枝のオリジナル作品で、言語の存在条件としての「主体「(話し手)」「場面(聴き手)」「素材」の三者の関係を三角形になぞられたものである。

              ・場面
              |
  素材・  
        |
              |
              ・主体

 問題は、上の三角形にある「場面」で、その導入は時枝の言語理論の破綻を意味するのではないか。
 というのは、一般的にいう言語とは緊張関係にある何かであって、「場面」というゆるい空間で生起する言語的現象を指すのではないからだ

 たとえば、「太郎は学校へ行く」という文にある緊張関係は、太郎と学校を結ぶ緊張した線的関係を前提として、「太郎」という主体的機能を持った主語が学校までの間を移動することを意味する。そこに「あくびをしながら」というゆるい要素が取り込まれたとすると、「昨夜は遅くまでテレビゲームに興じていたから」という説明文を後に付け加えることで、前文の持つゆるい要素は即座に排除される仕組みといえないだろうか。
 仮に、「太郎はあくびをしながら学校へ行った」という文がチェックを受けずまかり通ることがあるとすれば、フレーズはその緩さゆえにイメージ(=歌)として立ち上がってくる可能性がある。あるいは、「夜が遅かったから」と説明不足を補うことで、その文の持つ不安定さを打ち消そうとするだろう。
 ほかには、三角形の輪郭を意味する線について、「三者は相互に堅き連携を保ち」とあるように、文のいちファクターとしての線の認識の遠いことが窺える。
 この言語理論からの脱落を逸脱とし「起点」とすれば、「帰点」を時枝の説くところの文の性質規定に求めたい。

T 具体的な思想の表現であること。
U 統一性があること。
V 完結性があること。

 上のうち、Vの完結性は三角形のもつ「出口のない」円環構造から生じる論理的帰結と思われるが、採用しがたく思っている。
 時枝もまた不採用の立場を採用しているらしく、「裏の小川はさらさらと流れ」を引き合いに出しながら、次のように一種常識的な説明を行っている。

《という表現においては、陳述は零記号の形式で存在はしているが、それが「流れ」という動詞の連用形が示すように、完結しないものとなり、この表現全体がある統一を得ながら、更に展開する姿勢を取っている。・・・・この表現が文であるためには、表現の最後が、終止形によって切れる形をとることが必要な条件となる。(時枝誠記著『日本文法−口語篇』岩波書店)

 見られるように、「形」にウェートを置いた論定は、時枝らしからぬやり方で、理論との不整合を指摘するだけで十分であろう。
 なお、私見は、引用の「裏の小川」云々は、出所は不明だが、ゆるい形で終わっているから、歌=イメージが立ち上がるという見解を採る。
 ここで、両者を結んで生き返る線的論述として、具体的な言語体験から抽象化して理論的な言語のモデルを提示するならば、次のようになる。
 C
  A・−−・−−・B(A=話し手、B=聞き手、C=素材「もしもし」)

 上は、駅前広場で、話者彼が「もしもし」と呼びかけたところ、相手が日本語を解せぬ外国人であったため無視されたが、たまたま通りがかりの別の日本人が聞きとめたことにより、完成した言語回路の図式である。さらに、図式は、「太郎は花子に本を貸した」という4語文のモデルにもなるのだが、この点は、次章で述べる。

 ついでに、二語文についての見解を簡単に加える。「風吹く」等の文は「花は美しい」という形容詞文のカテゴリーに属すること。これらの文は緩い体系に属するもので、日本語には陰と陽ともいうべき二種の言語体系が混じた独特の言語的特徴を有することを書き加えたい。ここで留意されたいことは、「場面」というタームに象徴される、緩い言語の体系の掘り起こしに尽力した点において、時枝の業績は再評価されてしかるべきことを。さらに言うならば、高橋の動詞説がこの緩い体系の存在を鋭く言い当てていることも。


「理解の方程式」としての言語の過程■最後に、時枝のいう「純物理的」な「言語の過程」を取り上げる。



(画像で、充当)



 上は、前掲書の九十一ページにある図解のコピーだが、一読するとわかるように、話者と聴者が空間伝達過程をはさんで、「鏡像の関係」に立っている。図は、時枝の説明に従うと、具体的事物としての「花」を話者が概念化、聴覚映像化、音声化という三段階を経た後、空間伝達過程を通過して、彼方にいる聴者は耳にした「ハナ」という音声を聴覚映像に直し、概念化して「花」と理解するにいたるまでの道筋を表している。
 図解は、当時の教授と学生の関係を表している。ちなみに、再現すると、教授が「花」と黒板に書くと、学生は黙したまま「花」とノートに書き写す戦前の講義風景である。そこに、ゴッホの描く「花」や「氷の花」というさまざまな聴覚映像が十人十色であるにもかかわらず、個人差がまるで認識できていないことを明示している。 
 図の持つ逸脱を「起点」と置くと、「帰点」を詞辞説に求める。
 この詞辞説は、今日の国語学の正統派的な位置を占めるひとつの学説である以上、それへの口出しは重大な問題を引き起こさないともいえない。世界の転覆は、杞憂であるかもしれない。自分にあるのはそこまでやっていいのかという、ただの倫理的な問題であり、それが解決できない限り、それへの論及は避けることのほうが賢明と考える。
 しかし、この問題は詞辞説を「逸脱」とおかず、旧来型のどこにでもあるような批評方法を試みるだけでクリアできるはずだ。なぜなら、言論の自由を基盤として花開いた現代思潮のひとつである戦後批評の流れに即するからだ。

 と、以上のような検証を通して、時枝のいう「理解」とは、あくまでも椿事に類する出来事だと受け取るにいたった。いわば「鏡」で隔てられた彼方、要するに、神の領域で実現可能と妄想しているのが時枝の特徴的な考え方と解したのだ。
 言語過程説とは、聖俗の二つの過程がワンセットになる仕組みのもので、先の図でいえば、遂行課程の俗性を受容過程の聖性が包み込んでいるのだ。したがって、時枝のいう「志向的対象となる処の聴手」とは、「聖なる聴者」をさして、いうなれば「単なる聴手」を想定しているのに対し、他方では、俗なる聞き手には「受容者であれ!」という悲鳴に近い願望の盛り込みが読み取れよう。繰り返すが、「理解」とは神事に他ならない。
 聖俗のワンセットなるものが、例の詞辞論と思われる。

《詞如 寺社 手爾波者如 荘厳 以 荘厳之手爾波 定 寺社之尊卑

 上の「定家の著と伝えられる手爾波大概抄」の一説を引用して、時枝は「寺社とその荘厳とはまったく別の次元に属するものであり、荘厳は寺社を包むところのもの」と解釈を示した上で、

《詞は、「山」「川」などの客体化して表現するもの、
辞は、「テニハ」などの主体的に表現するもの、

 と説明して、当時の国語学界を一時混乱に陥れたように、別の著書(『遺稿論文集』〉では受け取った。この場合の「主体的表現」とは、包容する「甘いオブラート」に相当しよう。
 とすると、先の図解で「純物理的」と称した意味が解けやしないだろうか。つまり、「ハナ」という音声には、味もそっけもないとでもいうような。

《・・・・・国語はその構造上、統一機能の表現は、統一され、総括される語の最後に来るのが普通である。

    花咲くか。

 といった場合、主体の表現である疑問「か」は最後にきて、「花咲く」という客体的事実を包み且つ統一しているのである。この形式を仮に図を以て表すならば(図示困難のため、省略)、

 |花咲く|か|  或いは   花咲くか
        
の如き形式を以て示すことができる。この統一形式を風呂敷型統一形式と呼ぶことが出来ると思う。(前掲書二三九−二四〇頁)

 上にある「風呂敷」が「神的なもの」と理解したうえで生じる問題は、それが「幻想」であるか否かであろうか。幻想だとしても、聖俗がワンセットになる在り方、たとえば、神人を代表として、四十八士や勇猛果敢な兵士などは、典型的な日本人である一方で、ごく平均的な日本人でさえ、包まれて在る、という幸せの意識は持っているものだ。それが「安全」であったり、「理解」であったり、「潔白」であったり、「救い」や「祈り」の違いがあるけれど、全般的に「理解」は神事とする考え方に変わりはない。そういう聖俗が一体化した、本来的な在り方を時枝は言語に見ようとしたのではないか。

 今すこし補説を行うならば、時枝の言語過程説とは、「はじめに詞辞論ありき」で、理論的背景として言語過程観の樹立を試みた事情である。これには、ソシュールの言語理論の国内輸入によって、伝統的なものが危機に瀕するとの切迫した想いが引き金になったのであろう。この場合の伝統的なものとして、「祝詞」や「うけひ」の例を挙げるだけでいいだろうか。
 「祝詞」などを思い浮かべるとき、時枝のいう「聴手は同時に場面である」や「主体的な表現過程」の意味が理解できるように思えてならない。おそらくは、古代人にとっては言葉とは「事件」を惹起するものとして、みだらな使用はタブーに近い、禁制が敷かれていたことだろう。文字にしても「シルシ」の顕われとして、読むことはもとより目に触れるだけで、パニックに陥ったのではなかろうか。

追記■時枝の言語過程説は、未完の言説である。詞辞説が完成した説といえるならば、言語過程説もそのような形で完成すると考えるべきである。
 時枝は、話者と聴者の関係をあたかも鏡像の関係として捉えているるが、そうではなく、話者の行う発信を聴者が包み込むように受信してこそ、理解は成立すると解釈するべきであろう。
 つまり、遂行過程の俗性を受容過程の聖性が包み込んでいるのである。

 図式は、驚くべきことに、緊張の伝わり方を図示するものだが、ゆるい言語と緊張の言語の区別もない時代のことだから、混乱があって当然と受け止めている。
posted by 9組の秋六 at 11:07| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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